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足りない、足りない、まだ足りない。

自分の欲望を満たすことばかりに時間を使っていると、「時間飢餓」なるものに陥ってしまうらしい。この状態になってしまうと、いくら時間があっても時間が足りないように思い、「もっともっと」と時間を平らげてしまう。
去年の夏休みの自分は、まさに時間飢餓状態に陥った、餓鬼界の住人であった。
当時所属していたサークルも、コロナが拡大していたために活動がほぼ休止状態。なにもすることがなかった。唯一持っていた大量の時間は、怠惰に消費されることとなった。朝10時過ぎに起き、スマホを眺め、ゲームをし、映画を見て、昼寝して、アニメを見て、お菓子食べて、漫画読んで、ご飯食べて、午前2時過ぎに就寝。努力のいることは、何もしない。
そんな生活をずっと送っていた。最初の頃はまさに天国のように感じていたが、そんなものはすぐに虚無へと転じた。折角こんなに時間があるのに、こんな使い方をして、勿体無いのではないか。もっと他にすべきことがあるんじゃないか。でも、何をすればいいのか分からない。そしてまた欲を満たすだけ。だが、幸福感はそれほど感じない。
馴れも、もちろんある。しかしそれだけでない。一人の時間が長すぎると、社会が怖くなってくるのだ。夏休みが終わったらまた社会と触れ合わなければならないのかと考えると、行先が暗く、現在も影を帯びていた。そうやって現実から逃避していると、現実世界との隔絶が起こる。世界に自分しかいないような感覚、今日が何日か、何曜日かすら分からない。頭はずっとくぐもっていて、時間が一瞬で溶けていく。一週間など、体感で2日くらいでしかなかった。

休みは本来、目的を果たすための手段であるべきものだ。
目的が存在しない休みは、虚しいものでしかない。

今でも信じられないのだが、現在の自分には、人生をかける目的がある。
この先自分の人生においておそらく、あの夏休みのように、大量の自由時間を手にすることは、ない。少し、寂しい。あれほどたいらげたのに、まだ飽き足らないのか、と自分でも呆れてしまうが。でも、悔いはない。

欲を満たすことよりも、もっともっともっと大切なものに、出会わせてもらえたから。


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