見出し画像

ウィリアム・ジェームズの人間思想感

”人間の持つ性情のうちで最も強いるものは
 他人に認められることを渇望する気持ちである”


この言葉はまず日本人の言葉では
無い事を理解するのが大切だと言える。

基本的に日本は閉鎖的な国であるため、
国民も閉鎖的な人が多く、あまり良くない
偏見を持った国である。

海外の連続殺人犯と指定されている人物
等は終身刑ではあるが、自分の殺戮の意思や
殺しを自伝として残したいと思う人も少なく
無い。

日本人には殆ど理解出来ないとは思うが、
現実的に見て、ウィリアムの言葉は的を得て
いると言える。

国民性に違いはあれど、有名になりたいと
思う人や、自分の生きている世界で有名に
なりたいと思う人はいる。

それが例え、ソーシャルゲームの中でも
そういう人は後を絶たない。

海外で死ぬまで刑務所から出られない
死刑囚等でも、自伝を残したいという思いは
消える事は無い。もう外に出られないと
してもだ。

恩赦等で実際は終身刑を下されていても、
出る人がいる事はある。
その辺りは、色々と裏があるが現実的に
出て来るという事に変わりは無い。

ウィリアムの言葉は一般的には確かに
その通りだと言える言葉ではあるが、
私的にはそれは違うと思う。

あくまでもほんの一部の人間は、
この意見に反する意見を持っている
だろうと考えられる。

何故なら私は私のために頑張っている。
イチロー選手や松岡修造さんも同意見
だと言えるだろう。

会った事は無くても、情熱の熱い言動
に伴うことを両人ともしているからだ。

自分自身を自分で認める時は来るのかどうか
今の私にはまだ分からないところではあるが、
少なくとも、周りを気にしていたら何も
出来なくなる。

そういった偉人の言葉もある。言葉通りは
覚えていないが、意味は合っているもので
あれば、色々ある。

自分の進む道には必ず立ちふさがる人がいる

周りを気にしていては何もできない。事を成す
には人の目などきにするものでは無い

このように反対的な意見に近しい言葉を
残している偉人も多数いる。

これらの言葉を口にした人たちは、
世間から哲学者と呼ばれた人たちだ。

哲学者は自分で名乗るものでは無いと
以前、私は言ったことがあるが、
その意見は今も変わらない。

私的な意見ではあるが、私も自分を
ライバルとして自己啓発や成長への糧とし、
伸びしろを短くしない努力はしている。

なるべく多くの意見や物事を知ろうと
するのは、自分の為にしていることだ。

私はそうしている事は、ここで書いたの
は、あくまでも説明の過程にあったからで
あって、リアルの実生活の中で人に言った
事は無い。

これは自分と自分の向き合いの事だからだ。

自分をライバルとしてもう長い時間は
経過していったが、自分の成長が目で見て
分かる程度は着実に成長している。

それは全て自分のためでしかない。
そして相談や困っている人を助ける
事はあっても、それも自分のためでしている。

この意見に疑問を持つ人はいるはずだと
思うので説明しようと思う。

自分という人間は、自分で決めるものだ。
私は腐り切った父母と戦い、その結果、
自分に誓いを立てる事にした。

世間では知名度の高い人間でありながら、
誰にもそれを知られる事は無いが、
実際にはどうしようもない人間だった。

私はそれを見て、絶対にそうはなりたく
ないと思った。その事が起こる前から
自分なりに自分という人間を決めては
いたが、その件により、より強く思う
ようになった。

頑張っているのもその誓いの中の1つ
でしかない。
嘘も限りなくつかないと決めている。
絶対的なものとしなかったのには理由が
ある。

時として嘘をつく場合の方がいい時も
あるからだ。
しかし基本的には絶対に嘘はつかない。

そして約束を守る事も誓いにある。

「約束を守ること」&「嘘をつかない」

この二つは繋がりが生じる事により、
私はこの二つに関して更に強い想いで
誓っている。

その他にも色々あるが連鎖させる事により、
自分自身に対しての誓いの強さを増している。

これらは全て、自分という人間であるから
そうしている。
これらの誓いを破れば、それはもう私では
無くなってしまう。

自分が自分で無くなったら、自ら自分を
否定する事になる。

しかし、これはあくまでも自分自身の意見
である。ウィリアムの言葉の意味は分かる。
彼の気持ちは理解できるものである。

全てを否定する訳ではない。
実際、自分が思うような人のほうが少数で
あると思っているし、そういった思想を
持つ人の気持ちも理解出来る。

ただ一点、私は私のために頑張っている
だけであるという事だけが、意見の不一致
と言える。

柔軟な思想を持つ事の大切さもよく
理解はしているつもりでいる。

堅物になったら、そこで人間性は止まる
だろうと思っている。

自分という自分を変えずに、自己啓発の念
や哲学的思想も大切だと思う反面、
そうではない世界も存在する。

人間社会は複雑極まり無い世界だという
事は分かっているつもりではあるが、
まだまだ自分は駄目だと心が言っている。

自分の心を満たすために日々頑張るだけ
ではあるが、この頑張るが何よりも
難しい。

時には映画やドラマを見て楽しみ、
音楽を聴いて癒され、力を貰って
私は生きている。

それが私という人間だ。
当然ながら欠点も沢山ある。

立派な人たちは偉人に多くいるが、
彼等にも欠点は沢山あった。

しかし、それが人間なのだ。
だから欠点があったとしても、
それを補う自分にすればいい。

そうする事で自信もついてくる。
多くの意見の飛び交う中で、偉人たち
は命の尽きる時まで考え続けてきた。

その彼等の言葉を無視する事はできない。
ただ違う意見の時があるのも現実だ。

ただ単に意見を否定するのでは無意味で
しかない。
否定する意見を口にするにはしっかりと
した自分の考えを持たなければならない。

そのために色々知る事は必須である。
今日もまた終わりが来る。

明日になっても私は変わらず頑張るだけだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?