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ジョージ・エリオット

“何事も実現するまでが一番楽しい”


その通りであるとしか言いようが無い
言葉である。

人生の大部分は、睡眠と物事までの
道のりである。
始めるから終わりまでの
過程がそれに当たる。

そしてこの過程を大事に生きている人
も多数いる。

ハンターハンターのミザイとクラピカ
の会話でも出ていたが、
「結果よりも過程のほうを大事に思って
いる奴等も多いほどだ」

というような会話からも分かりますが、
実際、結果を出すために絶対に通る道のり
が過程となるので、それを大事に思う人は
自然と多いのが普通と言えます。

特例として、ある分野を極めたに近しい人
の場合は例外として、晩年は結果を大事に
していくような人もいますが、そういう人も
過程の大事さは知っています。

過程と結果はセットのようなものであって、
結果を重んじる人であっても過程は必ず通り
ます。

ただ、結果を大事にするという人の場合は、
過程に於いてもそうですが、あまり他人に
興味を示さない傾向があります。

結果を大事にするのは、あくまでも自分の為で
あるので、他人は基本的にどうでもいい存在で
あり、自分のためだけに頑張っているので、
理論的に言えば、そうなるのは自然と
言えるでしょう。

実際、私の父も結果だけしか見ない人でした。
そのため、友人と呼べる人は1人だけで、
その相手の人も父しか友人と呼べる人は
いませんでした。

その人は私の叔父に当たる人になりますが、
私も含め、子供はあくまでも道具として
しか見ていませんでした。

そのため、父は癌になったとき、余命は
長くても1,2年でしたが、自分の為だけに
全てを費やしました。

そこで私を利用するために、幾度となく
騙され、それまで見せていなかった悪の顏
を見る事になりました。

邪魔は全て排除する方向で、10年も飼って
いた愛犬を毒殺し、私に弟を殺すように
言ってきました。

ですので、私は実際、家族とか親族という
ものを知らない世界の人間です。

そういう世界は実際に多くはないですが、
存在します。
しかし親の支配化にあるため、このような
事は公言できないので、世間が知る事は
無いのが実情です。

私の場合は、例外中の例外として見て
頂くのが妥当と言えるでしょう。

一応、昔からの金持ちの世界では、長男は
絶対的な権力を握っていました。
私の父は長男でしたので、妹や弟にとっては
絶対的な存在でした。

私はそんな父の長男として生まれた為、
幼い頃から英才教育を受けていました。
親の敷いたレールに乗るのが普通なので、
全国模試でもトップクラスでしたが、
幼くして、親が私に対して嘘を言っている事を
初めて知って、幼いからこそ理由が分かりません
でした。

そのような状況下の中で生きていた事もあり、
人生で初めて疑念を抱いてしまい、
親の言われるままのまだ幼い子供でしたが、
疑念が生まれると、当然、疑うようになるので、
成績は下がり始めていきました。

幼い時に、哲学的思想に触れてしまった事に
より、私は私として生きると決めましたが、
親はあらゆる手を使って勉強させようと
しました。完全に暴力という力で私を制御
しようとしましたが、中学生になった時には、
格闘技も習い事の中にありましたし、
父親の唯一の教育は、喧嘩でした。
弟と私は昔から不仲でよく喧嘩をしてました。

「父は武器は使うな。それ以外なら何をしてもいい」
というのが唯一の教育でした。

そのため、当然、中学生になる頃には私も弟も
強くなっていました。
特に弟の場合は危険な人間になりました。

私は中学に上がった時、全ての塾と習い事を
辞めると言いました。
当然、父はこれまでのように暴力で解決しようと
しましたが、空手をしていた父の拳を、
私は見切り、その拳を片手の掌で受け止めました。

それから一切、父は暴力で解決しようとは
しなくなりました。

私の祖母に当たる父の母親が亡くなった時も、
「もう歳だから仕方ない」の一言で済ませましたし、
愛犬を毒殺した時も「もう歳だから」と言いましたが、
私だけは殺した事を知っていました。

そんな父であるので、弟を殺した後は、
もう使い道のない私を殺しに来る事は分かっていました。

それとは別として、まず弟を殺すまで憎んでいた訳でも
ないのに、そのような事を言ってきた時は正直驚きました。
一応、平常を装いましたが、危険極まりない人間だと
改めて知りました。

父ほど結果のみと自分だけが大事な人は希ではあると
思いますが、そういった世界に生きる人は大抵の場合、
子供はあくまでも道具の1つとしてしか見ていません。

私はそれに反しての気持ちで、過程を大事にするように
なった訳ではありませんが、過程こそ人生で大事だと
思っています。

“何事も実現するまでが一番楽しい”

ジョージ・エリオットの言葉は
ただ単に結果と過程の話に留まってはいますが、
色々な事に対して言えますが、必ず派生は生まれます。

結果だけに意味を感じる人であった父は、
その思想の派生から、邪魔なものは全て排除する
思想が育ちすぎた結果です。

そういった意味でも過程は、自分を育てる意味も
含まれていますので、大事な事だと私は強く思っています。

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