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勝海舟の先進的思想と現在の日本

❝時代を動かすのはオレたちじゃねぇよ。
オレたちに出来る事は、次世代に繋げる役目よ❞

先進的な思想を持っていた1人と言える
人物であった。

いつの世でも先進的な思想は理解を得る事が
難しいものである。

それだけ一般的な人たちは、頭も固く、柔軟性も
足りないため、時代は常に前へ進むが、昔ながらの
思想から抜け出せないのが原因だと言える。

先に書いておくが、彼もまた晩年は決して良い
人生を送っていた訳では無かった。

77歳まで生きたが、私的な意見ではあるが坂本龍馬が
暗殺された事により、日本は大きく変化したと思っている。

普通、一個人が死んだとしても、それほど影響を与える
事は無いのが一般的だ。

しかし、中には死ぬには早過ぎる人物たちもいた。

坂本龍馬は非常に希な人物であった。

長州藩、薩摩藩、幕府官僚の勝海舟、大久保一翁等に
気に入られ、人間性的カリスマが非常に高かったと
分かる人物だったと私は思っている。

当時の日本で一番酷い目にあっていたとされる土佐藩
の身分の低い郷士では無かったが、分けるほどの差は
無いので、郷士とするが、とても裕福な家で生まれた。

土佐藩にもお金を貸していた程であったので、
相当裕福であった事が分かる。

しかし、身分の低い現実は変わらなかったが、
彼を慕う人物は大勢いた。

徳川慶喜は徳川幕府の最後の将軍であった。
15代も続いた徳川幕府であったが、
ここでも日本という島国故に、世界から時代が遅れて
いた事により、乗っ取られようとしていた。
260年続いた徳川幕府は既に、世界から完全に時代遅れ
であったため、国内外での危機にさらされていた。

坂本龍馬や高杉晋作は、その事に気づき、高杉晋作は
陸の軍である奇兵隊、坂本龍馬は海での活動に尽力した。

歴史上でも本当に滅多にいないタイプであり、
身分も低く、大勢の人たちに慕われていて、
龍馬は何の権限も無かったが、長州藩でも2番目の地位で
あった桂小五郎に、薩摩藩との同盟約定の立会人を
頼まれた。

これだけでも相当異例な事であり、坂本龍馬が如何に日本で
実質的な力は無いが、信頼に於いては絶大な存在であった事が
窺える。

今で例えると、仮になるが、ロシアとウクライナの停戦条約の
立会人、つまりはアメリカ程の信頼性があったと言える。
アメリカは国の軍事力的な意味も含まれるが、坂本龍馬の場合は
一個人であったので、実質はアメリカ等の場合、利害関係等が
絡んでくるため、人間的信頼度の高さは誰よりも得ていた事が
よくわかる。

よく歴史家などが、実際は坂本龍馬よりも先進的に行動を起こした
人物がいる等という人もいるが、各地に強い権限を持つ人の信頼を
得ていた訳ではないので、実際に薩長同盟のような事や、徳川幕府の
要人たちとも繋がりは無かったので、大政奉還という案も出る事は無く、
徳川幕府との戦いになったと思われる。

事実、薩摩や長州は徳川幕府そのものを潰そうとしていたので、
この大政奉還に対しては、薩摩と長州でもさすがに坂本龍馬に
対して、幕府と通じているのか? 等の思いは生まれていたはずで
あったと思う。

勝海舟の言葉は色々あるが、彼は時代をよく見ていた。
自分の命も含めた上で、

❝時代を動かすのはオレたちじゃねぇよ。
オレたちに出来る事は、次世代に繋げる役目よ❞

こういった発言をしている人は世界に於いても
珍しい。自分たちはあくまでも次世代の布石に過ぎない
と言っている。

これは第三視点から見なければ、分からない事である
ので、勝海舟は時代の流れをよく理解していたことが
この言葉によりそれが分かる。

坂本龍馬の暗殺により、徳川慶喜は大政奉還に同意したが、
当然ながら戦いの道を選んだ徳川勢力もいた。
その中には新選組も入っていて、近藤勇は山に籠って戦って
いたが、負けを悟り自害した。
最後まで戦い続けたのは、新選組副長の土方歳三であったが、
彼の指揮する戦いには勝っていたが、他の地域では負けが
続き、土方は果敢に戦ったが、最後は銃弾により戦死した。

これが勝海舟の言った言葉の本当の意味である。

次世代に繋げる役目を担う人物は多くいた。

その中でも勝海舟は気持ちのいい人物であった。
坂本龍馬の大政奉還の知識を与えた勝海舟は、
自分の手柄とせず、全ては龍馬がやったことだと
言って、次の日には龍馬と勝は会う事になっていたが、
その夜、坂本龍馬は襲われて致命傷を受けた。

長い間、立場的に追い込まれた勝海舟と明日会えると
知っていた龍馬と勝の心中は察することができない程、
涙が流れる想いであった事は間違いないが、
次世代への繋ぎ役として生きていた勝海舟のように
先進的な思想は大抵、一般人には理解できない。

小泉純一郎が首相となり、タクシー運転手たちの反感を
買うことも分かっていたが、実行したのは、正に同様である。

誰もが近い未来しか見ていないので、その心を知る人は
少ないのが世の常だ。
あの時、実行しなければ失業率は上がり続けて、円の信頼は
下がり続けていっただろう。

今のような生ぬるいものでは無い。
だからこそ実行した。

世界では常に国々の情勢を知るために、大使館がある。
日本にも約150ほどの大使館がある。

仮に危険だと判断されれば、一気に世界中に伝わっていく。
現在は世界中でインフレが起きているため、日本もインフレが
続いているが、世界で起きているので目立たないが、
日本の場合、戦争には殆ど無関係な立ち位置にいながら、
危機的問題は多数ある。

昔は、徳川慶喜にせよ、勝海舟にせよ、誰もが自分以外の為に
決断していっていた。260年間続いた幕府の幕を閉じる行為は、
実に正しい判断であった。

しかし、多くの人は殺すべきだと思っていた。
薩摩藩の西郷隆盛や大久保利通等も坂本龍馬の決断に疑問を
持っていたが、両者とも最後の時には気づいたと私は思っている。

彼らが徳川幕府を潰そうと考えていた時には、龍馬は既に新政府の
事について考えていた。

現在の日本も例外ではない。
国民たちがどう思っているのか、本当に理解しているのかと
思うほど、他人事のように今の日本を見ている。

時代は進み、安全大国の日本はもう無いものとなったのに対して、
安全だと思い込んでいる。

だが実際は違う。アメリカに日本人女性が新たに入る事は拒否され、
身売りをする女性たちが増えつつある理由は、少子高齢化社会に
なったため、国内だけではやっていけなくなっているのが背景に見える。

いつまでも昔の日本のような考え方をしていれば、間違いなく晩年は
大変なものへとなるだろう。

今ある日本の現実に目を向けて、政府に対して何かしらの行動を
起こさなければならないが、政府も国民も静かに眠っているかの如く、
安心しきっている。その10倍、もっと先になれば100倍にも危機が
迫る事になる。

勝海舟のようにまでなるのは難しいが、自国の危機程度は知る
べきだと私は思う。


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