見出し画像

後でなく今言おう。後付けは誰にでもできるから。

昔、父に尋ねた事がある。

「世間では絵画などの場合、その画家が死んだら
値段が上がると言うけど実際はどうなの?」

「実際はほとんどは値下がりする。生きている内に
高齢な画家の値段をわざわざ落とす必要は無いから、
そう言われているだけだ。家の絵の中でも全部本物
だが、有名な画家になったのは一人だけよ」

その絵は私も気に入っていてよく眺めていた絵だった。

日本だけでは無く、世界でも有名な画家で、家には
その人の絵は2枚あった。

どちらも同じ人が書いた絵だとは分かっていたし、
確かに良い絵だった。
1枚でそれなりの家が一件買えるほどの絵であったが、
晩年の私との争いの末に、その絵も売却されていた。

財産のおよそ9割近くは母のものとなり、
その頃には私はあまりお金に興味を失っていた。

元々、何かに執着することは無かった。その中に
お金も含まれていた。

お金はある意味、魔法に近い存在で、これまでの歴史で、
大成した大勢の人たちも、お金の魔力により、
人間不信になり、大抵の場合、そうなった人は孤独になる。

一番酷い状態で死んだのは、確かアメリカ人の大富豪だった。

彼は誰も信用出来なくなり、その上、強迫性障害になり、
手をふやけるまで洗い続けるようになった。

この点に於いては私の弟もそうであったので、分かるが、
1時間以上手を洗い続けていた。

彼の場合はどんどん加速していき、ついには手が腐り始めて、
肉は裂けて、血まみれになり、包帯で手が見えないほどまで
包み込んでいた。

そうなると当然、トイレで拭く事も出来なくなり、
悪臭が漂うようになっていき、食事も不便になって、
彼は死んだ。

基本的にお金だけの話ではない。
何かに取り付かれたように、その対象に対して異常なまでに
執着すれば、何かしらの事件になり得る可能性は高くなる。

既にその頃には、取り憑かれていても、自分ではそれに
気づけないため、その人間の本性が見えてくる。

母は昔、借金で苦しんでいる知り合いに対して陰口を
叩いていた。「借金まみれで逃げたのよ」と言っていたが、
今は自分がそうなっている。知り合いに借金をしまくり、
元の生活水準を落とせないのだ。

父と結婚した時に一生働かなくていいと言われて、
当時、他の人とも付き合っていたらしいが、
父と結婚したと話していた。

自分が悪いとは一切思っていないように語っていた。

私は母が借金を最初にした人に、母よりも以前に
会いに行っていた。まだ私が自殺すると決めた時の話
までさかのぼる。

生きている時に世話になった人たちに私は会いに
いった。幼馴染の母親で、父親であるおじさんは
まだ生きてはいたが、パーキンソン病にかかり、
もう自分で動くことや、食べることも出来なく
なってきていた。

パーキンソン病は通常10年で身動きが取れなく
なるのだが、おじさんの場合は20年持った。

医学的には10年とされてはいるが、私が思うに、
おじさんは西洋医学に頼らず、食生活に関しても
調味料なども自宅で造った味噌や、藻塩などを使い、
一般家庭にはある調味料などは一切使わない
食生活を送っていた。

もし、理由があるとすればそれくらいになるだろう。
タバコもお酒も控えめで、町長を長い間勤めながら、
海の大きなホテルの経営者としても働いていたが、
ホテル経営に関しては、無収入で働いていた。

お金は暮らしていくには充分あったため、
おじさんはそうしていた。

だが、やり過ぎる時もあった。
わざとボロい車や、ボロい服などを着ていて、
世間に対して、贅沢はしていない事を見せていた。

実際、贅沢はそこまでしていなかった。
逆に少しは贅沢をするべきだと私や息子たちは
思っていた。

何故なら、ホテルの料理に関しては、私の評価で
言えば、完全に落第点だったからだ。
これには息子たちも同じことを言っていた。

何事もプラスにしてもマイナスにしても
やり過ぎると、よく無い結果を生むことに
なりやすい実例と言えるだろう。

私が会いにいった時は、まだおじさんは生きていた。
何を言ってるのか分からない状態で、おばさんは
私が来たなら買い物に行けると言ったが、私的には
会話がわからないし、待ってと言ったが、おばさんは
大丈夫だからと言って買い物に出かけていった。

問題なくおばさんは帰ってきて、私に、
「おこずかいあげようか?」と言ってきたが、
私はもう旅立つ決意は固かったため、断わった。
当然、私が自殺をしようとしている事は言わなかった。

その後、私の人生で一番すごいと思っているおじに
会いに行った。おばさんはアルツハイマー認知症で、
私が誰だか解らなかった。
しかし、おじは前向きに生きていた。
愚痴一つこぼさず、高齢でありながら更に料理を
学んだり、他の事も覚え始めていた。

おじの強みは日本でもまだインターネットが流行して
いない時代から、大学でコンピューターの助教授を
していて、その後、教授となり、最終的には大学の
2番手に当たる副学部長にまでなっていた。

それに関しては自分でも謙遜していたが、おじは大勢の
人に慕われていたし、高齢でありながらネットも当然、
分からないことは無いほどであった。

色々なSNSを使いこなしていたので、私がほとんど
Xとかを使わないのは、そのためだ。

おばさんの面倒だけでも大変なのに、私に起きた事を
知れば、間違いなく問われる事になるのは避けたかった。
私からすれば唯一の恩人的な存在で、会う度に私よりも
成長していて、おじにだけは勝てなかった。

決まり台詞は、「どうだ? かわいいだろ?」とおばさん
の肩に手を回して最後に会った時にも、そうしていた。

おじは若い頃から、日本でのコンピューターだけなく、
よくアメリカに行っていた。英語も堪能であったので、
今でも日本の気候が悪い時期のワンシーズンくらいは
アメリカで過ごしている。

おじは私の近しい一族からも離れていた。
私の存在を知り、本家の長男の長男だという意味を、
子供の頃から教えてくれたのは、おじだけである。

あとの人は全員、幼馴染も含めて、誰一人として
教えてくれなかったが、おじだけは教えてくれた。

子供の私に、「今は理解できんと思うが、お前は
とんでもない家の跡取りとして産まれたんだ。
今はわからんだろうが、大変な目に遭うだろうから
言っとるが、いずれ分かる時が来るけど、もし何か
起きたら、ワシに相談に来い。お前の親戚なんか
他人事にしか思わんのばっかりよ。
何が起きても早まるなよ」

子供の頃に私はよく大学に来いと言われて行っていた。
母は弱者には強いが、権威ある人には弱い、愚か者の
見本のような人だった。
だからおじが私を呼び出す時は、止めれなかった。
今でもおじに言われた事を覚えているのは、何度も
言われたからだ。

だが、おばさんを愛しているおじに、自分が地獄の果て
にいる事は言えなかった。それまではどうにかして、
私の意地を見せつける死に方を選ぼうとしていたが、
おじに会って、相変わらず、昔と同じセリフを言うのを
見て、静かに逝こうと思った。

恩返しとして最後に出来ることはそれくらいしか
無かったからだ。

ここで私の運命が変わる事になった。

父の死後、予想に反して無法地帯と化していった。

母が借金をしにきた事は、幼馴染から聞かされた。
人がした場合は、情けないと言っていたのに、
何とも情けないと私は思った。

母は苦労的なものは、ほとんどしてない。
家も大きすぎて家政婦さんを家が建った時から
雇っていたし、掃除、洗濯、洗い物などを
した姿を見た事が無かった。

名ばかりの管理者として何もかも抜きにして、
月に50万のおこずかいがあったが、それでも
足りずに父母ともに浪費家だった。

資産はあったが、あっという間に10億円使い、
まだ資産があった父の実家から拝借していた
ようだった。

全ての元凶は父母にあった。
二人ともが結婚には不向きである事は明白だった。

父と何かをした記憶はハッキリとは無いが、
1度か2度程度でしかない。
母も同様で、私が子供の頃に好きだった食べ物しか
知らず、大人になった私にそれを買ってきてはいたが、
コミュニケーションを一切取らずに4人はただ別々に
暮らしていた。

家は大きかったので、一ヶ月程度なら合わなくても、
特に気にならないほどであったし、話す事も無いので、
お互いに、必要最低限の会話しかしてこなかったので、
限度を知らないことを考慮できずに、私が負けた。

父とトラブルを起こしていた私に対して、
誰がどう見ても、父が悪いのに誰一人として
口出ししなかった。
父の死後、母は直接では無く、仲介人を通して、
謝罪してきた。バカにするにもほどがある行為だ。

あれほど酷い有様の後に、「もう許して」と
言っていると伝えてきた。
「もう」もうじゃない。てめーは何もしてない。
お前が何をした? 父をいさめる何かしらをしたのか?
逃げて、逃げて、逃げて、全てを奪い尽くした後に、
「もう許して」私は呆れていた。

関係者全員に天罰が下る事を祈るが、仮に神がいても
天罰は下されない。
私が神だとしても何もしないだろう。

日本以外の国々では、それぞれに神の存在を認めている
人たちは確かに大勢いる。

「NUMBERS 天才数学者の事件ファイル」のドラマの
話を昨日したが、主人公のチャーリーには兄がいた。

最初は疎遠だったが、ドラマが進むにつれて不仲では
なくなっていく様も良かったが、ある時、ドラマの
設定では母親は病気で早くに亡くなっていた。

チャーリーはまだ子供で、死にゆく母親に
会いに行く事ができないまま、母はこの世を去った。
兄のドンは母親の最後を父と看取った。

その中の話にチャーリーはドンに、
「神が存在すると思う?」と尋ねた場面があった。

ドンは瓶ビールを飲みながら、
「神は存在するとは思うが、その程度だ」と
ドンは言った。
つまりは、神がいるとしても自分にとっては関わりの
無いものだと言う意味だった。

私はこのシーンはよく覚えている。
話の終わりのラストシーンでの一つで、
二人で外の椅子に座って瓶ビールを二人で飲んでいた。

悪くないシーンというか、全体的にラストシーンは
どれも好きだった。

私は頭は固くならないように、それなりには
努力しているが、神の存在は認めれないでいる。
日本人であるが故か、そもそも日本は多国籍宗教で、
教祖が何故偉いのかどうかも分からない。

これは言ってもいいかもしれないが、言わない方が
いいのであろうが言ってしまおう。

弟は地元の高校には行かずに、最初はPL学園に
入った。私は当時、母親にバイトとしてPL学園が
主催する花火大会に行く事になった。

宗教法人を利用して、パルテノン神殿のような
巨大な建造物を建てていて、信者たちは遠くから
地面に座っていて、教祖であろう者が顏も確認
できないほど遠くて、巨大なパルテノン神殿の
中央まで行くと、私と、母の知り合いの女の子
以外の全員がひれ伏した。

当然ながら、女の子もしなかったが、
私としては、馬鹿らしくてやってられるかと
思った。

一体どういう思想を持てば、あのような愚かな
真似ができるのか知りたいとは思った。

本気で神を気取っているとしか思えない
ほどのものだった。

後に分かったことだったが、私も弟も
宗教嫌いであった。

そして毎朝、お布施を封筒に入れてしなければ
ならないらしく、確か最低額が500円だったと
思う。

弟は毎朝1円しか入れずにいたため、
当然、注意されて、馬鹿らしくて
やってられないといい、辞めて帰ってきた。

500円は行き過ぎだと私も思った。
しかも毎日だと言っていた。
休みを抜いたとしても20日くらいは払う事になる。

私は偽物の神を気取ったものを見て思った。

神は人間を愛していたと多くの神々はそれだけは
認めている。
仮に愛していたのであれば、そのような行為は
させないだろうと感じた。

レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた「最後の晩餐」
でも、彼は皆と同じように椅子に座っている。

あのような誰かも分からないほど遠い場所では、
誰が立っても誰も気づかない。

仮にあのような行為で、普通の人ならばどう思うか
など、一度も考えたことは無いだろう。
仮に反対の立場になれば、どれだけ愚かか分かる
はずだからだ。

公言してしまったが、ありのままを言っただけなので、
問題は無いとしておくとして、一応、何か言ってきた
時には弁護士を立てる事は可能なので問題は無い。

ああいった人たちを見て、私はよく人間が分からなくなる。

母は当然ながら信者として多額の寄付と、どうせメッキで
あろうガラスケースに入った金色の置時計を買っていた。

弟とは別々に育ったかのように、お互いを知らないが、
二人の共通点は権力には屈しないという点だけは、
同じと言える。

弟も入学前はそれを知らなかったらしく、
学校側は伏せていた模様でした。

宗教法人だとは知ってましたが、
それもあまり外には洩れないものであって、
こういった事は、お試しサプリとかでも
よく使われる手段ですが、騙しているに近いので、
本当に辞めて欲しいと思います。

トータル的に私が相談を受けたり、その他も
入れると、基本的に断れない人が罠にかかるので、
確かに書いてはいるが、それをキャンペーンと偽り、
キャッチコピー並に大きく書けといつも思います。

自信が本当にあるのであれば、そうする事によって
真実味は増すと私は思います。

後付けは何から何まで迷惑な事ばかりなので、
迷惑行為でしかないので、断われるように
なれればいいのですが、性格的に難しい人が
損をするような真似は卑怯だと思います。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?