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時間とは、何に使ったで変わる最たる貴重なものである。

私が自由だと感じた事はほんの数年前からだ。
父が生きている頃は、正月等に集まる事もあったが、
奴が死に、私はあの悪魔がどこの墓に入ったのかも
知らないが、道楽者であったのは間違いない。

最初に昭和大学を卒業して地元に帰ってきて、
東京は楽しかったと友人と話し、
一番東京に滞在出来るにはどうるか考えた。

その結論が医者であった。
当然、入るのは楽では無かったので、
東大主席の叔父に1年間の浪人生活は勉強に次ぐ勉強
であったと言っていたが、そのお陰で医学部に合格した。

昭和医大に進み、高須クリニックの院長が後輩にいた
らしく、「〇〇さん。これは絶対に価値がでます」と
言って絵をプレゼントされたが、最終的には殆ど価値は
無く、父は「アイツは絵を見る才能が無い」と晩年に
言っていた。

父は東京に長く居たいために医学部へ行った。
祖父も医者であった影響もあったとは思うが、
そうなってくると、結局は誰もが医者になって行く。

父は小児科。叔父は乳腺外科医。一番下の叔父は、
祖父に「お前は頭が悪いから歯学部にしろ」と言われて
歯学部に入った。

しかし、父を始めとした叔父たちも同じであるが、
誰もが医者になりたい訳では無かった。

父は癌になり医者を辞めて療養生活に入ったが、
元々人嫌いというか、人付き合いも出来ない人で、
唯一の親友は、祖父の後ろ盾から企業して、
業界では日本一にまでなったが、友人は父だけだった。

父は晩年に言っていた。
「別に医者になんかなりたく無かった」

私としては一瞬時が止まったのを感じた程であった。
理由としては父は引退まで大きな病気になる事も
無かったので、確か1日だけ何か訳ありで休んだだけで、
ほぼ皆勤賞だったからだった。

確かに人助けとかには全く興味が無い処か、
どちらかと言えば見捨てるタイプの人間が何故医者に
なったのか尋ねた所、東京に長く滞在するために
医者になっただけで、他に理由は無い。と断言した。

分かってはいたが、言葉にして言われると、
以外と衝撃を受けるものだ。
そういう人間であることは分かっていたが、
やはり言葉ではっきり聞くと性格からして
納得は出来るものだった。

父は昭和大学に4年、その後昭和医大に6年、
研修医として10年、つまりは20年東京にいる事が出来た。
私は東京の田園調布で産まれたらしいが、
数年しかいなかったので、あまり記憶は無いが、
実家の広島で父の家を建てている最中に、
祖母と一緒に見に行ったのは何故か覚えている。

うちは一階が医院で、2階から4階までが自宅だった。
その当時、日本で初めてデザイナーが手掛けた家であった。
普通は借金をして建てるものだが、元財閥であったので、
自宅なのに全室に火災報知器、更には防火扉まであり、
退路の確保を自動で行うようになっていた。
自分のお金じゃないのを良い事に、お金は上限無しで造らせた。

祖父の家も大きくて、一生使われなかった部屋が幾つもあったが、
うちも同じだった。だから大きい家には個人的には住みたくない。

父の趣味は絵だとずっと思っていた。よく画廊に招待されていたし、
実際、絵もかなりの数があった。画廊に来ても実際に買ってくれる
人は僅かなものでしか無いので、父はよく行っては買ってきていた。

しかし、ある時、「絵に興味は無い」と言った。
家には10枚以上が飾られていたのに、流石にその発言に対しては
私は声を出した。

父の言葉はこうであった。
「買った絵の全ては美大の優秀賞を取った絵だけ買っていた
だけで、好きな絵とかは無い。価値が上がると思って
買っただけだったが、殆どは赤字だった」

父が買った絵の中で、価値が上がったものもあった。
どちらも良い絵で、絵心は子供の頃からあったので同じ人が
書いているのも分かった。

どちらも6千万ほどまで上がっていて、もっと価値が上がる事は
分かっていたので、買いたいと言う人は大勢いたが、
売る事は無かった。

しかし、旧ソ連が崩壊した時、現ロシアは国庫から大量の金を
放出した為、金は一気に下落して、
20億円の損失を出してしまい、その2枚の絵は売却された。

このように突然と起こる事もある。
昨日も日経平均株価が急落して、
一時は1500円以上の下落を見せた。

今の日本は何が起きても不思議では無いと
言う事は分かっているが、

昨日、久しぶりに幼馴染と話しをしたが、
私は最終的には父としては排除したい対象となっていた。
その為には、物的証拠が必要であった。
だから邪魔な弟を私に殺すよう話してきた。
何の訳も言わずにただこう言った。

「わしが押さえるから、このバッドで殴り殺せ」

何の前触れも無く言ってきた時には少し驚いたが、
父は元々、人の死には一切関心は無かった。
しかし、自分が癌になって本性が初めて見えた。

父は人との交流がほとんど無い為、嘘が下手ですぐに
バレる人だったが、母は真逆で99%は嘘で1%も無い程、
もう長年嘘つきをしてきていたせいで、嘘を付く必要性の無い
事にまで嘘をつき始めていた。

だから私はある意味では、最も悪い例として父母がいた。
そのため、自分自身で誓いを立てる事に至った。

前例をこの目で見て来て、それが如何に醜いものであるかを
知っていたからだった。

悪い体験ではあったが、何とか活かして生きる事にした。

しかし、私は今、詐欺にかかった可能性が高い。
家賃を払えない状況に追い込まれたので、
私は最後に4年ぶりにお酒を注文して、
好きなつまみも注文した。

詐欺かどうかが分かるのは、今週の土曜日であるが、
可能性としては詐欺の可能性の方が高い。

今も平常心でいる。
先ほどまでは映画を普通に見ていた。

その時、ふと思った。
余りにも自分が冷静である事に対して、
昔、自殺をしようと決めた時と同じだと、
さっき知った。

そう悟った時、
私は心で既に覚悟していることを知った。

今回は土曜日に、シングルモルトを飲みながら、
購入したがまだ見れてない映画を見る予定だ。

詐欺でないなら、日曜日に詐欺では無かった報告を
ここでして、再びnoteを頑張っていくと決めている。

詐欺だった場合は、土曜日の夜11時に詐欺であった
事をここで伝える。

そしてお酒とつまみを堪能した後に、睡眠導入剤と
安定剤を飲んで、腕の血流を止めて麻痺させてから
バッサリと動脈を切る。

お酒、安定剤、睡眠導入剤で感覚は殆ど無くなる
ので、また土曜日に書きたいと思う。

普通の人なら自殺はしないだろう。
私は父母と一族の痛みが未だに身体に残っていて、
出血も止まらない状態が5年以上続いている。

更に詐欺に遭えば、私としては人生に疲れすぎた
と言える。

最後にハンター×ハンターの最新本が出たので、
それを読みながら、最後の晩餐をしたいと
考えている。

私のようにならない為には、自分の夢だけを
見つめる事が一番良いだろう。


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