善と悪の真理
善と悪、その違いは歴史を見れば
一目瞭然である。
元々、善と悪を定めたのは人間であり、
そして強い権力者であった事だけは確かだ。
これは非常に単純な話で、理解している人なら
3秒もあれば答える事は出来るだろう。
この世に善と悪は存在しない。
この事に関しては色々な言葉で言われてきた。
人間が定めたモノである限り、そしてそれを
裁定するのも人間である限り、終わりは来ない。
ただ時代背景が違うだけであって、
時と場合によっては人殺しも正当化される。
戦争や内紛も、全てはその国で何が起きている
かだけの違いであって、そこに善と悪は存在しない。
「勝てば官軍負ければ賊軍」という言葉は本当だ。
事実、織田信長も京を押さえたから天下統一できた。
坂本龍馬も最後の徳川家の将軍であった徳川慶喜を
説得できたから、内紛も最小限に留まった。
人間の本能や基本的な思考は、昔から今までも
変わっていない。ただ状況に応じて言動を
起こすだけで、人間の本質はおそらく変わらない
だろうが、状況に応じて何でもやってしまうのが
人間だ。
陰と陽や混沌に満ちたこの人間の社会だけが、
理由をつけて善と悪を語るだけであって、
自然界や動物の世界では純粋な力が全てである。
魔女狩りなどがそれを証明している。
本当にいたのかも知れないが、大多数は普通の
女性だっただろう。その犠牲者数も正確には
分かっていない事から、もみ消しがあった事が
わかるように、普通の人間の思考なら、問題を
残したままにする方が異常だ。
残っている文献などに関しても、100%本物
だからと言って、その内容が正しいかどうかは
不明である。
伊達政宗は用意周到な人間であった。
自らの家臣に命じて、わざと内紛を起こさせて、
秀吉により、政宗の領土を蒲生氏郷に譲った時、
農民や野武士などを扇動して、蒲生氏郷を
追い込んだ。蒲生氏郷の配下に当たる者の城が
攻められた時、秀吉は何かあった時には蒲生に
連絡するよう言ってあったが、
この内紛の背後には政宗がいる事を知っていた
蒲生氏郷は、自分が援軍に行けば、城が攻められる
と考え、援軍には行かなかった。
その代わりに政宗は、自分が起こした内紛であった
為、その城へ援軍に向かうと、対して抵抗も無く、
敵は逃げて行った。
その時、政宗はの父が死んだ時、人望の厚かった
輝宗を追うように重鎮たちは自害した。
そして政宗はその自害した父の息子たちに、
同じ要職につけたが、そうではない者もいた。
その者たちは、政宗の書状を盗み出し、密かに
その内紛を引き起こした張本人は政宗であると、
秀吉に訴えた。
しかし、政宗は用意周到な男であった。
彼の書状には龍の印が押されていたが、本物と偽物
の書状の印には違いがあり、そこまで深く知るのは
極僅かな家臣だけであった。
政宗は秀吉に呼び出された時に、それを指摘して
難を逃れたが、明らかに政宗の仕業である事は
見抜かれていた。しかし、罰せられる事は無かった。
そこまで優秀な人材を失うほうが損だったからである。
このように、実際、本物か偽物か分かりづらいような
ものは、今では判断する事は難しい。
その書状が残されていたのは、あくまでも偽物と本物
の違いがあったから残されていた。
しかし、家康などは多くの事を隠蔽していた。
それは驚くものでは無いのだ。
権力のある人間なら当然そうする。
真実は闇に葬られ、二度と光が当たる事は無い。
仮にこの事を善と悪のどちらか? と聞かれても
どちらでもないとしか言いようが無い。
家康は天下泰平を保つために、多くの事をしてきた。
それは客観的に見れば悪い事ではあるが、
それを悪と呼べるか? と聞かれたらどちらでもない
と答えるだろう。
原爆の父と呼ばれた、理論物理学者の
ロバート・オッペンハイマーは弟が後に、
まさか実用するとは思わなかったと、兄は思って
いたと言っていたが、仮にそうならロバートは
頭が悪いという事になる。勉強は出来るが、頭が悪い
人と同じだと言える。
軍人の手に渡った時点で、実用する可能性のほうが
遥かに高いのは分かり切っていることだ。
誰でもその気持ちは分かるはずだ。
買ったゲームをプレイしないようなものであって、
実際にプレイしたいから買う。
ペットを買って、そのまますぐ他人にあげる人は
まずいない。自分が飼いたいから買ったと考える
方が普通だ。
ただ、歴史から見て、後悔をしていた事だけは
事実だ。彼は原爆の父と呼ばれていたが、
その悲惨さから、原爆反対派に回って、その後を
左右しかねない行動を取った。
この事により、彼自信の後悔の念がうかがえる。
しかし、大半は分からない事だらけだ。
近年、日本では公務員、特に教員などの度を越した
セクハラ行為が連日のように起きて、捕まっている。
教師につくに当たり、それを選出する事自体に
問題があるからだ。
時代は我々の考え以上に進むものだ。
昔は通用した理論も時代と共に変化していく。
それに対応していかなければ、このような
同じような事件が浮き彫りとなって現れる。
しかし、捕まっているのはほんの一部の人間に
過ぎない。実際は捕まっていない方が遥かに多い。
それは何事に於いても同じだと言える。
日本の政府は、機能がマヒしているかのように
過去に縛られ過ぎているため、問題が山積みとなった。
一度山積みになれば、抜本的な改革をするのは
不可能に近いものとなる。
次から次へと出てくる問題に対して、即座に対応して
いくのが、世界では常識的な行動だと言える。
しかし、善と悪でどちらか答えろと言われても、
答えようが無いものだ。余程、酷い事件を
引き起こさない限り、絶対的な悪とは言い難い。
善に関してもそう言える。
私の父が医者でありながら、実際は医者になる気は
無かった事は、よくない思想である。
確かにお金儲けのために、医者になる人は多いが、
現代ではそれも通用しなくなっている。
近年、現実として脳外科、整形外科を専攻する医者が
増えている。今後も増え続けるであろう。
反面、産婦人科、小児科を専攻する人は激減した。
口には出さないが、誰もが日本はもう今から再生する
のは、難しいと思っている証拠とも言える。
脳外科や整形外科は高齢者の患者が多い。
皆、分かっていて専攻している。
しかし、開業する事は難しくなるだろう。
2022年、初めて東京の人口が1千万人を切った。
これは元々、東京に住んでいた高齢者が多いものだと
思われる。東京では警察の取り締まりも他と比べる
と、厳しいものである。そのため、各地方で発展を
遂げている県の人口は増えている。
あくまでも発展を遂げている県だけが、人数増加に
繋がっている。広島県も近年、急激に人口増加して
いる県である。
実際に他県から来た人たちに聞いた話であるが、
まず四国からも広島に年々人が移り始めている。
山口、鳥取などからも広島市内に住居を移して
いる。
そして意外だと思うだろうが、九州からも人は
来ている。福岡県の人口は多いが、福岡県での
仕事は減っている。福岡県に多いのは人材派遣
会社が多いだけであって、現地での仕事は殆ど
無い状態が続いていて、私の知り合いも福岡県
から東京に派遣されてきていると言っていた。
問題は大阪である。大阪では最近は耳にしなく
なったと思われるが、客を拉致して暴行を加えた
ぼったくりが多発した時期に、普通に飲み屋を
営業していた人たちに多大な損失が出たらしく、
大阪を捨てて、東京と広島に別れて移動したらしい。
私がよく市内で飲んでいた時、急激に大阪の店が
増えて、事情通な無料案内所の知り合いに聞いた所、
そういう訳があったと聞いた。
知り合いになった大阪の男も、同じ事を言っていた。
現在、広島では約300万人にまで増えた。
しかも働ける人が増えてくれた。
知らない人は多いと思うが、広島県の呉市は日本で
一番高齢者の多い町ではあるが、呉市は広いため、
それをあまり実感はしないが、山のほうの家は、
ほとんど空き家になっている。
断言できるほど、そこに住んでも誰にもバレない
だろうが、水道やガスなど契約すればすぐにバレる
ので、無人だと言えるだろう。
呉市は市町村合併で大きくなり過ぎた。
前市長は知っていたが、かなり広範囲を呉市に
取り込み、田舎ではお金が落ちないようにした。
田舎に住んでいる人は少ない。
当然、選挙に出たとしても勝ち目は無い。
そのため、田舎が発展する事もないという
汚いやり口だ。田舎町の多くは捨てられた状態に
なっている。
これらの事に関しても、善悪のどちらとも言えない。
ハッキリした悪は実際には滅多に無い事だ。
それは人間と人間が関わる以上、何かしらの問題が
上がっても、片方が100%悪い場合はほとんど無い
からだ。
車の事故でも同様だが、人や自転車等に車がぶつかれば
100%相手が悪くても、車は悪く無くても多くの場合、
多少は悪くなる。
善悪を語るにはまず、善悪とは何かを考えなければ、
答えは迷宮から出られないように、彷徨い続けるだろう。
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