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映画イコライザー2ー1と自分を重ねてみた

デンゼル・ワシントン主演映画「イコライザー2」より
ロバート役・デンゼル・ワシントン


ロバートの唯一の親友であった女性が殺された。

私はそれを見て、死は突然やって来る事を思い出した。

そう。日本では少ないが、少ないはずなのに、
私はまだ子供の時、その現実を知った。

私の地元である広島は、
治安がいい場所とそうでない場所がある。

だからなのかは知らないが、一時期、
サカキバラ事件の犯人も住んでいた。

野良猫などが消えていき、
皆知っていたが、恐れている人はいなかった。

他人の死に関しては、特別な感情は沸かないものだが、
知り合いだと、今の私には分からないが、
ある程度ショックを受けることになるのだろうか?

ロバートの友人は、ロバートが孤独な事を知っていた。
本心の言える友人だ。
だが、感情までは出せない。本当は出したいが
出せないように教育され出せなくなる。

彼女はロバートの亡くなった妻の誕生日に、現れた。

彼女の手には、彼の好きなスープを持ってきていた
事に彼はすぐに気づいた。

彼女はCIAに戻って仕事をしていた。
そして強盗に見せかけ殺された。

夫も悲しみに暮れていた。どうしたらいいんだ?
とロバートに話しかけたが彼も同様であった為、
それに対して言葉を返せなかった。

私はある人に言われた。

私を心配している人は沢山いると。
しかし実際はいない。

私は完全に負けた。
無様にも信用してはならない父を、
たったの一度だけ、
信用してしまった。

奴は私を裏切り続け、
そして私のほうから縁を切った。
危ない思想も持ち、私の部屋を訪ねてきて、
いきなり何かと思ったら
弟を殺す話しをいきなりしてきた。
奴は残忍非道な人間だった。

人間は最後には本性を現すものでもある。

私は当然、否定した。
しかも私に殺させようとした。
自分が抑えつけるから
バッドで殴り殺せと言われた。

父のような悪魔が生まれる事は、
皆が思っているよりも珍しくない。

金にまみれて産まれてきた人間は、
何でも思い通りになると思っている。

事実、私の父母は、
金で多くの問題を処理してきた。

それは親類にも及び、
皆、金で解決している。
世間にバレないだけでソレは今も続いている。
私はいつがきっかけだったか、
今は思い出せないが、
またそのうち思い出す事になるだろう。

意味の無い事を多くしてきたから、
自分の中で理解したのかもしれない。

ある音楽の家庭教師の女性が、
いつものように小学校時代の
科学研究をするように雇われた事があった。
大金を積み、毎年誰かがそれをしていた。

口止め料と大金を積んで、
子供がするような研究ではない、
200ページにも及ぶ科学研究をやらされ、
私はそれを書き写していた。
それが当たり前の世界だった。

絶対に有り得ない事なのに、誰も異論を
唱えない脆弱な世界だった。

当然、異論など挟めば殴られるだけで、
悪魔が悪魔を作っているのと何ら違いが
あるのかと思うような事を、自然とできる
愚かでもあり、恐ろしくもあった。

それが当たり前の世界だから、
おかしくなる奴もいる。

まだ子供だった私は
いつの事だったか忘れたが、
3浪くらいしていた浪人生がいた。

そして、その人の父親は、
裏から金で息子を合格させた。

息子はそのショックで自殺した。

世の中にはやって良い事と、
絶対にやってはいけない事がある。

それに気づかなければ、
私の父のように凶行に走ろうとする。

行動に起こしていたら、
私は確実に刑務所にいただろう。

木製のバッドで殴り殺すには、
一発では無理だ。
頭蓋骨を割り、
トドメをささないといけないからだ。
父は既に癌で衰弱していた。

あらゆる事を考慮しても、殺した本人は
私になる。

弟を押さえつけれない場合、
当然、反対に襲ってくる。

そうなれば、私も殺され、父も殺され、
精神科に3度の入院歴のある弟が狂って
殺した事になるだろう。

私が殺しても、殺されても私と弟は
どのみち刑務所に行く事になる。

真実は闇に紛れ、滅茶苦茶な事になる。
それさえも既に分からないでいた。

親は子供に対して、
どのような教育をするかで
将来も決まって来る。

私や私の塾仲間は、
ただの被害者でしかない。

幼稚園児の頃から虐められていたが、
それに関しては母は一切言う事は無かった。

時には自転車ごとドブに落とされても
それに関しては、見て見ぬふりをしていた。

従妹たちも恋愛はするが、その恋は一発で
吹き飛ばされていた。

従妹の中では年上の方である京大医学部卒の
人がいた。彼は看護婦さんと付き合っていて、
結婚するつもりでいた。

その事を親に告げると、すぐに強制的に別れ
させられ、親が選んだ女医と結婚した。

しかし、その人の妻である女医は一度も
見た事は無かった。

つまりは相手も納得のいく結婚では
無かった事だと分かる。

世間は知らないだけで、肩書に弱い人は大勢いる。
医者だと言うだけで凄いという人もいるが、
それはただの肩書でしかない。

私も幼い頃は英才教育を受けていた。
成績は全国でもトップクラスだったが、
ある疑問が私を変える事となった。

幼稚園児の頃は、金持ちだという理由で毎日
集団虐めにあっていた。

そして小学生になって初めて友達ができた。
私は嬉しくてその日の後に遊ぶ約束をした。

しかし、彼が来る事は無かった。
あまりに遅いので母親に尋ねると、母は言った。
「あんな子はふさわしくない」

私は大泣きしたのを覚えている。
私にとっては精一杯の抵抗だった。

あまりに泣き止まないので、母親は仕方なく
家政婦さんに言って自転車の後ろに乗って
追いかけた。

彼はとぼとぼと歩いていた。

私が自分の人生を大きく変えたのは、自分の意思
でもあった。だから中学生になった時、心に誓った
事があった。

必ず奴らのような独裁的主義者がいない世界を創る。

時代は流れても、私のその思想は今でもある。

正しい教育では無い事を教えている従妹はまだまだ
いる。思わずため息がこぼれた。

肉体的、精神的にも虐待され続けた経験がある
私だからこそ、分かる事もあるが、分からない事も
当然ある。

人はそれぞれ許容範囲が違うからだ。

私自身もまだまだ足りないものがある。
もっともっと多くを知り、いつ何が起きても
対処できるようにならなければ、人助けはできない。

私は自分自身はまだまだ頑張っていない気がして
ならない。
頑張っているかどうかは自分が決めるものなのか?
それとも他者から見て判断するものなのか?

そのどちらでもないとすれば、過程と結果になる。
なるほど。そう、その通りだ。
過程は大事なものだ。人を育てるのは過程でしかない。
結果はあくまでもその終極でしかないものだ。

この理論で言えば、私は頑張っていると言える。
今も深く考えながら書いているし、いつも手抜きを
する事は無い。

音楽も自分的に納得できない場合は全削除するし、
このエッセイに関しても同様だ。

しかし、決定づける過程が見えないのは何故だろう。
今はまだ過程の過程の最中だからだろうか。

イコライザーでのロバートは孤独だった。
孤独になった事があるからよく分かる。

外では仮面をつけて愛想のある態度で話すが、
それは仮面であって仮面では無いモノでもある。

本当の素は出せないが、生活の中にある自分自身は
出す事ができる。

そういった意味では孤独な人は多いのだろうと
思う時がある。

私は慣れすぎてしまっているのか、
意味は理解できても、誰かを助ける力は今は無い。

まずは自分からだとは分かっているが、
この私の問題は死ぬまで解決できないという事は、
最初から変わらず変化する事は無い。

心の中に、絶対に開けてはならない場所がある。
これも色々考慮し、現実と突き合わせて出した
答えだが、普通の人が聴いたら頭のおかしいヤツ
だと思われるだろう。

だからもう今ではその話をするのはカウンセラー
と話す時だけしかない。女性のカウンセラーさん
で、大抵は世間話をするだけだ。

今ではタクシー運転手さんたちと彼女だけが、
話し相手でしかない。

勿論、タクシー運転手さんにこんな話はしない。
しかし、人と話すのは必要だと思っている。

今日ももうすぐ幕が閉じる。
明日は朝から出掛けなくてはならない。
私の曇り空がいつかは晴れる事を祈って、
今日は幕を閉じよう。

私がどう思おうとも、
明日はまたやって来る。
その積み重ねが人生だ。

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