人生は自分の選択の連鎖である
人は己の言動で変わっていく。
困っている人を見て見ぬフリをした時、
お金をバレないと思い盗んだ時、
愛する人がいながら他の女性を抱いた時、
人は悪に落ちていく事を知りながら、
自らを穢して行く。
如何なる理由があっても、自分がやりたく
無いと、心で感じている事から目を背ける
時、人は悪の世界へと落ちて往く。
その間違いは2度までは許されると
してもいい。
理由は人間は間違いから、
正しい行いを学ぶからだ。
しかし、3度目は無い。
同じ過ちを3回してしまったら、
もう戻れない。
4回目も何か理由をつけて絶対に自分から
逃げ出す。
そしていずれは、善悪の判断すら
気づけなくなっていく。
そして孤独に落ちる。
自分で選択した結果で、人生は大きく
変っていく。
だからお金に執着はしないのが良い。
あり過ぎれば人間の心を蝕み、
いつしか人間が所有するのではなく、
お金に人間は所有されていくからだ。
人は生もののようなものだ。
生物の中で最も悪質で悪行を重ねてきた
のが人間である。
よく昔の写真などで、猛獣を撃ち殺して
その得物の上に乗っている写真などがあるが、
人間は出来る事や、可能な事に非常に脆い
生き物と言える。
象牙も牙の為だけに殺していったり、
虎も毛皮にする為に殺してきた。
過去を振り返れば、このような事を人間は
無数にしてきた。
多くの絶滅に人間は、今でこそ絶滅危惧種等を
保護しているが、その中には多くの絶滅が存在
していた。
金持ちの道楽のような感覚で、何も得なくても
ただ強いというだけで、人は多くの命を奪ってきた。
これは全て、可能だから実行してきた。
本来は命を奪う事など許されないのに対して、
余興のために命を奪ってきた。
人間はお金というものを上手く使える人もいれば、
悪しき事に使う人も大勢いる。
それはお金の魔力に負けた人間たちが、可能だからと
いう非常に有り得ない理由で殺してきた。
それは動物だけに留まらず、軍隊を使って教育を1から
学ばせるために、何かしらの職につている人間たちを
1日で大勢殺した事もあった。
学校の教師や医者、思想家、建築家などがたったの1日で
大虐殺された現実の歴史もある。
これもトップの意見一つで決まった事であった。
1から教育するにはどうするべきか?
まだ幼い子供たちを自分の理想を描くには、知識のある
者や、教育者のような人間の思想からまずは切り離すと
考えてそれを実行した。
このように人は実に悪に落ちやすい。
出来るからといって、やっていい事と
やってはいけない事があることを知っていても、
力が全ての世界では、こういった悪しき歴史を
生み続けてきた。
近しいことで言えば、浮気や裏切り、見過ごす瞬間、
等が多いと言えるだろう。
これは昔、世界中の首都で実際に検証された結果
であるが、都会の人の方が冷たいという結果がでた。
実際に、海外の地下鉄で死体だと気づかれずに
数日間、誰も気にしなかった事もあった。
実際、私も今は東京にいて、冷たい人が多いと
感じる時も多々ある。
今日は非常に暑かった。その炎天下の中で
ポケットティッシュを配っている女の娘が
二人いて、誰もが彼女たちが差し出すティッシュを
無視していた。
あのバイトはとにかく全てを出来るだけ違う人に
配り終えなければ終わらない仕事である事を私は
知っていたので、見た目でちょっと怖がられた
かのように、私の方向では無い方を向いていたが、
私が手を出すと、ポケットティッシュを差し出して、
「ありがとうございます!」
とその女の娘ともう一人の娘もそう言った。
ああいう場面の時には、私は必ず受け取るように
している。
一人一人に少しでも優しさがあるのであれば、
ああいった仕事は終わるのだが、現実では
長いバイトとなる。
ただ受け取るだけで、彼女たちは喜び、
御礼を言われてこちらも気分は良くなる。
私は受け取った時に、本当は、
「熱いけど頑張ってね」と言うつもりで
いたが、二人から御礼を言われたので
言葉を発する事は出来なかったが、
心では思っていた。
その小さな優しさだけで、彼女たちの人生も
変わる事に繋がっていく。
今日見た限りでは、誰一人として受け取って
いなかった。
ある意味では冷酷と言える。
まず目を逸らすし、全く受け取ろうという
気持ちが無い事は、見ただけで分かるほど
冷たいと私は感じた。
私は頑張る人を応援したいという思想を
持っている。
ホストや人を騙すような詐欺は別として、
本当に頑張っている人は顏を見ればそれを
察する事が出来る。
笑顔でティッシュを配っているのに、
無視するとは冷たいなーっと感じはした。
しかし、それは個人の問題であるので、
口を出すのは間違っている。
だからこそ私は受け取るようにしている。
小さな事でも、大きな喜びを与える大人たちが
大勢いるのであれば、日本は今でも熱い魂を
持っているのだと私は思った。
世界ではまだ日本人は、侍魂のようなものを
持っているのだと思っている事は映画から
見て取れる。
実際、ハリウッドスターたちの中にも親日派は
意外と多くいる。
渡辺謙や真田広之の影響も大きいと言える。
彼らはハリウッド映画に実際出ているし、
やはり日本という国のそういった心を感じ取れる
のか、そういったものは世界に無いからなのかは
分からないが、とにかく親日派は大勢いる。
その辺りは非常に日本としては助かっていると
言えるだろう。
あの奇跡の逃走劇をしたエドワード・スノーデンも
親日派で、特にゲームでは「鉄拳」の大ファンである。
そこは私も理解できる。
あのゲームは日本ではイマイチの人気しかない理由は、
難しすぎるという事になる。
普通の対戦アクションゲームとは全く異質とも言って
いいほど、あのゲームだけは別格である。
アメリカ等でも大人気で、大勢のプレイヤーがいる
のは、難しすぎるからこその挑戦心を持つ人が多い
からであろうと思う。
「鉄拳」は間違いなく世界でもトップ3に入る
対戦格闘アクションゲームだと言える。
まず、知らなければならないことがある。
それはキャラクターによって異なる移動方法が、
重要であるが、今ならネットを見れば操作方法は
分かるだろうが、それを実際にする事は出来ない。
それは一度の操作だけでもコマンド入力をした直後に、
キャンセルさせてその連続をするのが基本となる。
カクカクと異常な動きをしているのは、平八や一八は
そのコマンド入力タイプに属するので、強いキャラクター
と言える。
他のキャラクターたちにもそれぞれ移動のコマンドが
あって、それを完全に自分のものにしてからがスタートと
なるので、私も町では一番上手いプレイヤーではあったが、
平八や一八のコマンド入力は苦手であったので、
この2強よりはまだ多少は楽なキャラクターを使っていた。
このゲームの神髄を知って、大勢の人がバーチャファイター
に落ちていくのを目にしてきた。
鉄拳では最下層のプレイヤーでも、バーチャファイターなら
上位に位置するプレイヤーになれるからであった。
私が唯一極める事を諦めたのはこの「鉄拳」だけである。
元々私は、シミュレーションゲーム全般が得意なので、
という言い訳はしないが、あれは非常によくできたゲーム
であると断言できる。
私はヴァイオレット、ウーロン(ジャッキー・チェン声優も)
ブライアンとファランというキャラを使っていた。
私の町は他の街からも人が来るほどで、週末になると
皆、広島市内にある朝まで空いてるゲームセンターに
ハードユーザーたちが集まって、それぞれ戦っていた。
中には大阪大会優勝者の人もいて、不可能に近い技を
繰り出して皆が「おー」と声を出すほどの腕前だった。
その人も私の町によく来ていた人で、
がっつり強化タイプのプレイスタイルで、
攻めに全力を注いでいた。
しかし、今では、日本はゲームとは呼べないスマホが
流行してしまい、開発会社も安くて利益は高いので、
今でもどんどん出している。
それはある意味では本当のゲームから遠ざかっている
とも言える。考えないで出来るゲーム等、
ゲームの邪道でしかない。
頭を使う機会を日々奪われていくだけであって、
これほどまでに長く続けるべきでは無かった。
ほとんどはオートプレイなので、ゲームと
呼ぶべきかは何とも言えない。
私個人の意見ではあればゲームでは無い。
何故ならゲームとは考える事が前提にあるからだ。
中には放置ゲーといったものまである始末で、
私的な意見ではあるが、スマホゲームのせいで、
日本人のプレイヤースキルを大きく下げたと
思っている。
実際、開発会社の募集を見ると、そんな人来る訳が
無いようなデキる人材を募集している始末で、
昔のようにお金は投資として、人材育成に対して
消極的である。
これも実際、お金に負けた例と言えるだろう。
日本は良くない国になりつつあると私は昔から
言っていたが、今になってようやく東京都でも、
4区か5区で4人に一人は高齢者であると、
ネットニュースに書かれていたが、当たり前の
事である。
今日もタクシーの運転手さんと話していたが、
人口が減少しているのに対して、手を打たない
のは、自殺行為だと言える。
私の予想では将来では多国籍国となるであろうと
思っている。働き手がいない状況はこれから本気を
見せるかのように人手がいなくなる。
つまりは外国人に頼るしかなくなる。
悪くないと思われる国であるならば、
移住するだろう。
でも受け入れ態勢は恐らくまだ整ってはいないはずだ。
日本政府は大きな湖にコインを一枚投げるだけであって、
それで終わらせようとする。
しかし、実際に日本国民を増やすには、愛や恋、
その素晴らしさを訴えるような映画やドラマに、
援助金を出して、今の冷めた国民の思想を
変えていくしか無い。
これは実際にアメリカを始めとした日本も入っていた
少子高齢化の波が世界を襲った事があった。
海外ではこれを重く捉えて、フランスやイギリス、
アメリカ等の日本以外の国は、本気で取り組んだ。
記憶にある人もいると思うが、その時、日本でとった
対策は、子供支援だけだった。一人3万円支給した程度
でしかなかった。
その時、日本以外の国では、産休に対して月給の8割を
保証したり、愛や恋の海外ドラマも作っていた。
日本のように口先だけの三万円では無く、
将来をはっきりと捉えていた。
だから、他の先進国は今でも少子高齢化社会では無い。
多くの努力を国がしたからだ。
人口を増やすに当たり、まずは思想を生ませる事が
重要になる。これは洗脳などとは違って、普通にある
恋や愛の素晴らしさを伝えただけではあるが、
そこから始めないといけないし、その他でも結婚を
しているが、お金の問題で子供を産めない人達に
子供を産んでも、その後も支援するといった計画を
立てて自然に恋や愛、子供と続くように、
普通の事ではあるが、改めて考える機会を与える
事により、少子高齢化社会を長年を費やし回避した。
これから仮に日本が同様のように力を入れたとしても、
実際に日本人が増えるのは、最低でも30年前後は
かかる。
まず、言えるのは、国は何事も甘く見過ぎている。
だから国民は不安であるので、実際、結婚はしていても
子供は産まないという人は実際に、何人にも会った。
誰もが将来に不安を感じているからだ。
そしてその不安は数十倍になって向かってきている。
働き手を入れる事に対しても、消極的でなかなか
話はまとまらなかった。
絶対的に必要な事ですら眉をひそめるようなのが、
今の政府である。
今後、更に働き手として外国人を受け入れる事に
なるが、全く分かってない。
当然、その家族や子供なども来る人もいるだろう。
しっかりと外国人の子供や女性たちが安心できる
ように、態勢を整えなければならない。
幼稚園や小学校、中学校などがそれにも含まれる。
一人の外国人が日本の学校に入れば、
かなりの高い確率で虐めに合うはずだ。
塩の粒の一粒一粒に対して、対応をして
いかなければ、外国人は去っていく事になる。
ただお金をあげれば良いという訳ではない。
問題は気遣いに気づける人間が、
政府の立て直しをしなければ、結局は全てが、
終わるだけになるだろう。
恋をするのは実に良い事だ。
私も今は恋をしている。
日々、愛を伝えている。
日本人の多くは、特に男性の方が結婚をしたら
浮気やゴールのように思っているが、
それでは結婚生活など上手く行く訳が無い。
海外の人たちは、愛を伝え合う。
毎日、毎日、それを続ける事を習慣としている。
言葉にするだけでもとても大事な事ではあるが、
鎖国的な日本人はあまり良くない方向へ進んでいる。
私にはプランはあった。
先ほど話した世界中で一斉に起きた
少子高齢化社会の問題改善の案を当時は立てていた。
しかし、コロナに続き、ロシアも動いた。
コロナも中国が否定を続けたので、大勢の被害者が
でた。どう考えても中国が作っていた事は分かり
きっていた。
中国と北朝鮮の道を封鎖した時に、
気づくべきであったが、いや、気づいていた人も
多くいたと思うが、当時の中国は力をつけていて
あまり強くは言えなかった。
日本では猛威を奮うことは無かったが、
アメリカ等では隣人が死ぬような世界であった。
我々には想像を絶する世界に生きているので、
何事に対しても危険な時は危険だと知っている。
しかし、日本人にはその危機感は昔から無い。
昔、フランスだったかどこかで、本当に危険な
場所に遊び半分で行った女の子たちは消息を絶った。
それが現実である。地元の人でさえ近づかない場所に、
遊び半分で行くのが日本人である。
今の日本を正すには多くの事があり過ぎる。
まずは国からだと思う。
現実的に私の祖父等もそうであったが、
政治家と土木業界には繋がりがある。
政治家は当選するために、
土木業界は仕事を貰うために、間違った協力を
し続けてきた。
天下りも現実にある事だが、誰もが見て見ぬフリをする。
気持ちは分かる。勇気が必要な事も分かる。
でも、誰かが立ち上がらなければ、日本は日本人よりも
外国人が多くなっていくだろう。
それはもう日本と呼べるのか?
心ある政治家は実に少ない。
無理な事でも当選するために公言はするが、
当選したら、なんだかんだ言い訳をして誤魔化す。
しかし、歴史を振り返れば分かるが、
そのような事は永遠には続かない。
必ず崩壊の時が来る。
そして、それは間近に迫っている。
極々近い場所にそれはある。
ここで問題だが、今になって政府は目を
向けているが、それは間違いである。
根底から変えていかなければ、政府が信頼に足る
存在になれば、国民も頑張ろうと思うかもしれない。
それほどまでに、国民の心は現実には離れている。
私は何か喜ぶべき事があった時、
それが愛する相手なら、その日と翌朝まで気分良く
目覚めるまでは祝福する。
しかし、自分の場合は違う。
私は仕事が成功したりした時であっても、
当たり前の結果だと受け入れる。
自信が無いような仕事はしないからだ。
期待以上の成果を出す事を普通としている。
だが、予定外に喜びが降ってきた時は、
紅茶を一杯だけゆっくりと味わいながら、
その感情を消化して、再び立ち上がると
決めている。
油断こそ一番身近な危険だと言えるからだ。
人生では良い事もあれば悪い事も起こる。
大抵の場合、人の人生では良い事の方が少ない。
でも、良い事が起きた時の喜びは忘れる事は無い。
悪い事が起きた場合には、私はいつもその場で
消化するようにしている。
「まあ、そういうこともある」
として、そこで終わらせる。
だから、良い事があった時には多いに喜ぶ。
自分にでは無い。
大事な人に良い事があった時には、
自分に良い事が起きた時よりも嬉しく感じる。
私が今、こうして書いているのは、
未来への手紙になる。
今という現実を伝えて、失敗を成功へと繋げる
為に、必要な事を書いている。
言葉だけでは伝わらない。
現実的に見て言えば、未来で夢を持てる人は
少ないであろうと思うが、逆境をバネにして
夢を追いかける事の素晴らしさを見つけて欲しい。
我々が未来に向けて出来る事は実に少ない。
少ないが、恋や愛は相手の気持ちと
重なり合わなければ、縁は無かったと
するしかないが、夢は違う。
自分次第でどうにかなる問題でもある。
そこに生き甲斐を見つけたら、大きく成長を
果たして行くだろうと、私は感じている。
自分自身もそうだから言える事である。
失敗しても必ず何かを得る。
諦めなければ、失敗をしても立ち上がれる。
その点が重要になってくる。
ドラマのような世界は存在する。
現実にあるような事が多いのは、人間が
考える以上、それは現実に存在すると
言えるからだ。
自分一人だけが世界で考えている事など、
奇跡くらいの確率でしかありえない。
国は違ってもどこかに必ず同じ思想を
持った人は存在する。
だから良い事であっても、
不幸な事が起きても、孤独では無いと
思うようにすればいい。
空で繋がるどこかにいる誰かも頑張って
いると思えば気は楽になるはずだ。
私はそれを感じた時は15歳だった。
中学ではヤンチャをしていた。
そして母親が仕組んだ不正入学で
高校に入った。
推薦枠は2つしかなかったのに、
行きたくない私が受かって、
本当に行きたいと思っていた友人は
落ちた。
私は答案用紙をほとんど白紙で出していた。
だから自分で分かったが、
母親は大喜びしていた。
そんな母親を見て、正直言ってここまで
心が腐り果てているのかと思った。
だから自然と登校拒否児になり、
友達と遊ぶようになっていた。
そんな時、弟がイギリスの英語学校留学
から帰ってきて、珍しく興奮しながら
行って良かったと話していた。
本来は私が行くはずだったが、
私は行かなかった。
だけど、弟の様子を見て、弟が行った
ツアー学校の人とは良く知る仲だったので、
「何もしてないなら行ってみないか?」
と、誘われて行く事にした。
しかし、弟は最高級の一ヶ月のコースで
あったから、色々な体験をして帰ってきたが、
私は違った。
削りに削って半年間、行く事になった。
でも、今、考えれば、それが良かったと
思える。
一ヶ月くらいで日常会話は出来るようになり、
相も変わらず、私は自由に英語学校に通って
いた。
でも途中で教師が変わってからは、よく行く
ようになった。今でも懐かしさと綺麗な人で
あった事はよく覚えている。
今思えば、両想いだっただろうと思える。
まだガキだったから、キスは出来なかったが、
あの人もしたかったはずだ。
目を閉じれば、より鮮明に想い出せる。
年齢は私が一番下で、上だと40代の人もいた。
英語学校なので、色んな国の人がいた。
仲良くなっていって、ある日、サッカーに
誘われた。大きな立派な芝生が一面に広がって
いて、走りまくった事は覚えてはいるが、
どんなプレーをしたのかは忘れたが、
あの綺麗な教師の人と同じように、
鮮明に覚えていることがある。
私は走りまくって、芝生の上に仰向けになって
空を見た。その時、私は自然とほほ笑んだ。
日本では電柱や何かが邪魔をして、空の広さを
知らなかった。
どこまでも続く青空を見て、私は世界は本当に
広いのだと思った。
この話をしたらよく、
「それ今度使ってもいいですか?」
と、広島ではよく言われた。
だけど、あの青空を知っているのは私だ。
青空の先にも続く、何も無い青空だけが
遠い遠い場所まで続いていた。
あの時はと、今思い返して笑みが生まれた。
私は私として、生き続けてきたのだと、
今、ふと、感じさせられた。
父母のような悪魔にはならないようにと
思って生き続けてきたと思い込んでいたが、
それは間違いだと今、気づいた。
私は私として生きてきただけだ。
私は今まで気づけていなかった。
だから今は幸せを噛みしめている。
私の恋する桜の似合う素敵な女性と、
恋をして一緒に色々話した想い出は
綺麗なまま残すと決めた。
私の好きな人が出来るだけ私の事を
思い出してくれるようにする為に、
私は私として自分の道を進むべきだと、
今、悟れた。
これが最善だと言えるはずだ。
私は自分の信念を未来に生きる人たち
に送りたい。
簡単に約束はしてはいけない。
自分はそれほど想ってもいないのに、
好きな素振りを見せれば、
相手は涙を流す事になる。
世の中がどんなに酷くなろうとも、
自分だけは善意を持って生きれば、
絶対では無いが、素敵な相手と出会えた
時に、後ろめたさの無い自分に感謝する
はずだ。
穢れていれば、負い目を感じる事に
なるからだ。
未来の先の未来の先まで考えて、
強い信念の基に生きて欲しいと思う。
私は私に恋をしてくれた人に、
救われた。
正しい道へと導いてくれた。
恩人には絶対に迷惑はかけられない。
だから未来に生きる人に伝えたい。
時代背景が酷いからと言って投げやりに
ならずに、夢に向かって走り続ける事が
できれば、自信も湧いてくるが、そこで
満足はしてはいけない。
更なる高みへと昇る為には、常に不安も
持っていなければならない。
そしてライバルは常に自分を対象として、
同じ世界にいる人をライバルだと思えば、
必ず後悔する結末になる。
自分を高める事は簡単では無いが、
そうして生きていけば、必ず多くの仲間が
できるはずだ。
お金や権力での関係では無い。
本当に自分自身を心配してくれる人たちと
出会える。
誰かがやっているからとか、
誰でもやってるからとか、
くだらない言い訳をして自分を誤魔化す
人生を歩めば、死ぬ前に後悔する事になる。
恋する人のためでもあるが、
自分のためでもある。
彼女の笑顔を見たいなら、悪には染まるな。
「ジョジョの奇妙な冒険」の第三部では、
悪のカリスマであるDIO(ディオ)を倒す為に、
ディオのいる館へ乗り込む前に、
火炎の使い手であるモハメド・アヴドゥルは、
一人と一匹の仲間にこう伝えた。
「自分の身は自分で守る。
私は助けるつもりはない」
このような内容の言葉を彼は言った。
しかし、館に入ってすぐに、異空間のような
ものが仲間たちを襲おうとしているのを見て、
彼はポルナレフとイギーを館の中に押し込んで、
腕だけを残して消えていた。
咄嗟の判断であって、最後の言葉を残して
彼は異空間に飲み込まれて死んだ。
自分の口から助けないと言っておきながら、
仲間を助けるために、命が消えるかどうかも
考える前に行動に出た。
ポルナレフは一度はディオに屈して、
敵として現れた人物だった。
彼は館に入る前にこう言っていた。
「俺は今、白にいる。ディオは黒だ。
一度は屈したが、二度と負けない」
このようなセリフを吐いていました。
この言葉からも分かるように、
世の中では絶対的な白と絶対的な黒は
存在しないものだと言えます。
人を平気で殺す殺し屋でも、自分の子供には
愛を囁くように、どんなに強い
人でも弱みが存在します。
しかし、それは弱みでもありながら強みでも
あります。このように世の中は矛盾に満ちて
いるので、自分がどう生きるかが鍵になって
きます。
正しく生きていれば、善を説く事はできますが、
悪の道を往けば、善の道を説く事はできません。
全ての未来の人たちに今を伝えたい。
私が言えるのは、恋をする事を勧める。
恋は人間を大きく成長させる。
大抵は最初の恋は失恋で終わるが、
それは仕方のない事だと思う。
浮気とかなら決定的なものになるが、
誰もが初めて恋をする。
初めての体験はそんなものだ。
恋に限らず、人間性的な成長も
人と繋がりを持てば、絶対ではないが、
年齢を重ねていくと、見えなかったものが
色々見えてくる。
そこからが本当の人生の始まりだと
私は思っている。
初めての体験に対して、失敗するのが
当然であり、成功したとしても、
次も成功するとは言えない。
逆に失敗した人が、
次に成功するかもしれない。
ここで言えるのは、マイケル・ジョーダン、
イチロー、アインシュタイン、等の人たちは
全員が極限に「頑張った」という事だけは、
意見が一致している。
その他にも大勢の人たちが、一番伝えてきた
言葉は「頑張れ」なのである。
ただ頑張るのではない。
限界を超えるまでは最低でも頑張り続ける
日々の中で本当の「頑張る」を知る事ができる。
頑張っても報われない時もある。
しかし、力の限り倒れるまで頑張り続けたので
あれば、それは満足のいく結果だと言える。
自分は頑張ったと公言できる。
産まれた時は誰もが何も知らない赤子でしか
無い。
つまりは誰もが0からのスタートとなる。
多少、裕福だとしても、その差は頑張る事で
埋める事ができる。
私は結果が最悪だとしても、それに対して
後悔はしない。
自分自身で選択した事だから失敗したとしても
それは自分が選んだ道である以上、後悔はしない。
それを胸に納めて、
一番苦しい道を進んでもらいたい。
その道は険しくても、そこに人生の醍醐味とも
言える成長の糧である過程があるのだから。
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