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第四話 命の源を求める血種

「ダメだ。アリス、それ以上近づかないでくれ」ヴラドは初めて困った様子を見せた。その表情は驟雨《しゅうう》のように一瞬で顔色が変わった。自分が犯されそうになった時にも、わたしが愛しさを感じさせるように見つめた時にも、今までは常に冷静だった。見た目は二十歳ほどだが、わたしなんかよりも長く生きて来た彼が、初めて見せる表情に対して、女は性的欲求を求めるように興奮した。

アリスは心の中で彼の事をもっと知りたいという好奇心から、彼を求めずにいられなかった。彼女が男の間近まで来ると、男は苦悶の表情を見せて視線を下に逸らした。「アリス、君には分からないだろうが、我が一族は神を裏切った為に呪われた。永遠の生を得た純血種の吸血鬼なんだ。長く生きるのは地獄よりも遥かに辛い。愛する者が死んで逝く中、それを看取るのは何よりも苦しい」男が顏を上げると、苦しみよりも哀しみに、支配された目から一筋の涙が頬を伝って床に落ちた。それはガラスのように儚く散った。

彼女はそんな彼の敢えて冷ややかな哀しみの心を汲むように、ほどよく冷たい彼の肌に触れた。彼女の温かみが、彼には心地よかった。アリスはそこから一歩前に踏み出すと、その冷めた顏の頬に手を当てると、自分のほうに向かせた。彼女は殆ど力は入れなかったが、彼は振り向いた。その行為は彼女を受け入れた証だった。人間を心から受け入れるのは実に久しいものであったが、彼はアリスに対して、心の奥に眠る愛という感情の扉を開けた。愛せば最後は苦しみに襲われる為、彼は自分でも見えないような迷宮を心の中に作っていた。

愛の形は見えないが、確かに存在するものであって、それはヴラドにとっては短すぎる世界でしか無かった。彼の世界では一瞬で過ぎ去るようなものだったが、アリスに心に隠したモノを直《じか》に掴まれたような感覚を覚えた。

彼女に直接触れられ、彼女の口づけを受け入れた。それはただの口づけでは無かった。彼女の心の優しさから来る愛のあるキスだった。知り合い、彼女にとっても彼にとっても、それは短い時間であったが、二人は運命のように惹かれ合い、彼女の愛を受け入れた。

それから彼女は彼の妻として城に住みだした。彼に嘘の無い愛を感じながらも、彼がアリスの血を求める事は無かった。1年が経った頃、心地よい風が春と共にやってきた。それは甘い香りや、天高くにある太陽の暖かさで季節の節目を世界に示していた。

ヴラドは太陽の下でも平然と過ごしていた。明るい太陽を直視しても、春風を全身で受け止めて彼は春を感じていた。彼女は彼に最初に愛された時に言われた事を思い出した。「アリスに私の血を与えても、不老不死にはなれないんだ。私が君の血を吸っても同じだ。少しばかりの数年程度の寿命は延びるが、その対価として、太陽の下では生きられなくなる。あの美しい太陽を私は君と二人でいつまでも眺めていたい」

ある晩、いつものように二人は大きなベッドで愛し合い、彼女を後ろから抱きしめながら眠っていた。吸血鬼は普段は夢を見ない。その理由は誰にも分からなかったが、神の温情だと思われていた。長い間、時には数百年以上の眠りにつく始祖や長老たちは、夢を見る事は無かったが、始祖の血を引くヴラドだけは、ある条件が整った時にだけ、夢を見る事があった。それはいつも同じ夢を見ていた。そして今夜も夢を…………。

だが今回は、これまでのような夢とは違った。暗い闇を払拭するように、煌々と光が闇を払いのけて、光が強すぎて顏は陰によって見えなかったが、神だと名乗る者が現れ、彼に生の呪いを解く変わりに、神に仇名す人間の敵を滅ぼせば、呪いから解放してやる。と、言われた。そして周囲から「滅せよ」と彼に呼びかけるようにして、彼の脳と心に、その言葉が何度も何度も木魂してヴラドに語り掛けていた。

彼はうなされていて、アリスは彼を揺り起こして心配そうに見ていた。彼は悪夢にうなされただけだと言った。この忌々しい呪いのせいで悪夢を見たと。男はアリスには言わなかったが、彼が人間の女性と深い関係になると、決まって必ず現れる夢でもあったが、神を名乗る者が現れたのは初めてだった。その声だけで屈してしまいそうな程、静かにして力強い、まるで強制的に命じられているかのような声が頭の奥底にまで響き渡った。

初々しかったアリスも大人の女性になっていき、女性独特の魅力を感じさせるように成長していった。彼は彼女の成長した姿を見て、彼女が微笑ましい愛しさを感じる度に、苦しくもあったが、その素顔を見せる事はなかった。

美しい女性の成長ほど早く感じるものは無かった。アリスの美麗な姿に彼は心を奪われかけたが、彼は我慢した。彼は思った。人間の輝くような美しさは、命という代償と引き換えに生まれるものだと。外見だけなら同族にも美しい者はいくらでも居たが、そうでは無い、心の清らかな人間にこそ、真の美徳を有している紛れもない愛の心を持っているからだと彼はアリスを見つめながらそれを感じた。

それから4つの季節を何度となく繰り返した頃、アリスは床についていた。ヴラドは初めて出会った頃と変わりない姿をしていたが、自分は醜いと感じていた。それは彼女の瞳から察する事ができた。彼は彼女の手を取り、
「君ほど純粋で美しい人が永遠の命を持つ必要は無い。アリスは今もあの頃のように美しい。私の愛はあの時から変わる事無く君を愛している」

彼女はその言葉を聞き、彼の手を力無いまま精一杯握り、涙を零《こぼ》した。「貴方と出会えて幸せでした。嬉しくも悲しいのは、私を看取ってくれる事だけは嬉しいわ。私が貴方を看取る事は仮に出来たとしても、決して堪えられないわ」彼女は彼を見つめながら気持ちを伝えた。

「アリス。君が居なくなっては、私は耐えられない。私はもう千年以上生きてきたが、どんな女性よりも君は本当にいつまでも可愛いままだ。私は君と共に長い眠りにつく事にした。忘れる事は決してないだろうが、数百年眠れば、その間は君を想い続ける事が夢の中で出来ると信じて、一緒に眠ろう。棺も大きめのを用意させた」彼はアリスにそう囁いた。

「ヴラド、1つだけ教えて。何故、私に永遠の命を与えてくれなかったの?貴方の愛は本物だし、私を不老不死にすれば私たちはずっと一緒に居られるのに、何故そうしてくれないの?」ヴラドは自分自身で顏を押さえながら、ふーッと大きくため息をついた。そして語り始めた。

「もう昔の話だけど、実は純血種の血は濃すぎて人間には耐えられない事が多いんだ。でも、私がアリスを愛しすぎてしまったように、永遠の命を与える選択をした者がいた。彼の血を与えて、彼女は一番美しかった時まで戻って不滅の命を手に入れた。しかし、彼女は元は人間だ。彼女は彼が他の人間に恋をするのでは? と、恐れ始めた。以前の彼女なら人間だし、彼もすぐに対処出来たが、彼女は純血種の血を与えられたため、他のヴァンパイアよりも優れた力を手にしていたんだ。彼女は近隣の村々の美しいと噂される人間の女性を殺していった。彼は必死に説得を試みたが、彼女の暴走は止まらず、遂にはその地を治める長老から抹殺命令が下された。彼女は人間の男たちに次々と彼女の血を飲ませて奴隷化していった。彼女はあくまでも、純血種の男から与えられただけであって、その体に流れる血は純血種では無かった。それでも普通のヴァンパイアよりも遥かに強い力を持っていた。彼女は千人近い人間を配下に加えて、長老たちと戦争を始めた」

アリスの顏は明らかに、危惧の念を抱いた顏に変わっていった。その女性の気持ちが分かったからだった。




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