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『親に捨てられた私と妹 不器用な人』をネットで冒頭だけ見て思ったこと。

私は父と本気でぶつかり合う前は、
彼女もいたし、それなりの経験はしてきた。

しかし、この世に人間の皮を被った悪魔が
いることを知った。

それから1人とだけ付き合ったが上手く行かず、
珍しく1ヶ月程度で別れる事になった。

彼女が言うには、私の闇は深すぎると最後に
言っていた。

この物語が本当なのか嘘なのかはどちらでもいい。
よく聞くような話ではあるが、父が死んで以来、
ある意味では初めて、家庭の事情の話を見た。

四コマ漫画のようなもので、絵も上手いとは
言えないが、気持ちは伝わって来た。

姉が小学五年生の時に両親が不仲で、
夫婦喧嘩を見続けてきた。

父は出て行き、姉と妹の二人は母が引き取り、
姉と妹は3人でこれから喧嘩を見ずに暮らせることを
喜んでいたが、母が向かった先は伯母の家だった。

姉妹は離れていく母の後ろ姿を見て泣き続けていた。

ある日、伯母は二人を養子に出すと言い始めた時、
母親は喜んでいたが、二人は嫌だった。

そして二人は祖母の家で暮らすことになった。

ある日、御飯を作ろうとした姉はお米が無い事に
気づき、祖母に伝えたら、買うのを忘れたと言われ、
自分で買いに行こうとした時、祖母は言った。

「お金が無くてお米を買えなかった」

姉は2千円ほど持っていたので、それでお米を買いに
行った。妹が千円あると言っていたが、お金を出す前に
ドアを閉めた。

姉である彼女は希望もエネルギーも闇に吸い込まれていく
感覚を覚えた。
寒さは感じていたが、白い吐息しか出なかった。

誰の迷惑にもなりたくないと彼女は思った時、
彼女はふと、父と母のことが頭を過った。

(今頃、何してるんだろう)
と考えながらお米を買いに行った。

姉が中学生か高校生になった頃、妹に父の事を
尋ねたら、
「え? 知らないの? 先週死んだらしいよ」

そう告げられた。

彼女の中で何かが弾けたかのように、
「え? うそ」と言いながら笑い始めた。

「え? ちょっとどうしたの? 笑えないよ?」
と姉に声をかけたが、彼女は笑っていた。

「どうしたの?」と重ねて問いかけると、

「なんでもない。なんでもない。ただ‥‥‥」
(笑ってないと涙がこぼれそうなんだ)
と心の中で思っていた。

この後ももう少しだけあったが、後はそれほど
重要な話ではないので、ここまでにしておくとして、
自分を見てみた。

これはカウンセラーや保健士の人にも理解を
超えたものであったが、今は音楽も聴かずに書いて
いるせいか、どうなのかは分からないが息苦しい。

父が死ぬ前から私は分かっていたことがあった。

99%に近いくらいの人の場合は、例え疎遠で
あったり、喧嘩をしていたとしても、死んだら
悲しいと思うのが普通だと知っていた。

それは何とでも理由は後からつけれるものである
からだ。口下手だったとか、本当はこう思っていた
んじゃないか? 等の憶測が出来るからだ。

だから、どんなに悲しくても人は死を受け入れる
事ができるものであって、それが普通だという事は
理解していた。

しかし、父は癌になり私は父親があと3カ月経ったら、
大きな病院に入院すると母に告げられた。

この三ヵ月で私の生死は決まると思った。
私はそれ以前までは、どうすれば自分に起きた事を
消化できるかを、一生で一番頭も使い考えた。

ありとあらゆる世界の歴史上、同じような目に
遭っても、生きている人を探した。

どうすれば生きて行けるのかを本気で考えた。

元々、歴史には強く、頭の回転速度でも誰にも負けた
事が無かったのに、神々や神話の世界までも調べたのに、
公開されている情報の中には、私に近しい状態に
追い込まれた人は2人いたが、2人とも自殺に近い死に方
をしていた。

現実を受け止めきれず、寝ても悪夢、起きても悪夢、
全てが黒い世界の中で、現実を直視できずに一人は、
酒を浴びるほど毎日飲み死んでいた。

もう一人は兄を恨み、夫を死においやったとして、
食事もほとんど口にせず、餓死で死んでいた。

この二人くらいの状態だった私は、残りの三ヵ月で、
自分の生死が決まると思い、癌である父を毎日、
21時から24時まで毎日、涙を流して正論を伝えた。

その当時の私の身体はストレスで酷い状態だった。
全て事実だが、信じられない状態だった。
90日間の21時から24時までの3時間、涙を流して
正しいことをすべきだと訴えたが、父は私の話など
聞いていないように、普通に24時近くになると、

「まあ、もう寝て明日にしよう」と言って三階に
上がって行っていた。

私は体内裂傷を起こして、胃潰瘍になり、小腸が
裂傷して血しか出なくなっていた。
しかし、猶予は無いから私は死ぬ前くらいは、
父親らしいことをしろとも言ったが、
全く聞いていない様子を見せていた。

涙を流して訴えている私に対して、冷たい視線で
私を見ていた。

三ヵ月が経ち、父は出て行く時に
ようやく口を開いた。

私の目の前に立って、
「わしは悪くない」
それだけ言って出て行った。

人生で初めて死のうと思った。
高齢になってあんな人間になるくらいなら、
生きている意味は無いと思った。

私が自殺をした日は年越しにすると決めて、
病院だった家から道具を持ってきて、
海外から輸入した日本では販売されていない
有毒ガスを購入して、ガス管からチューブ状の
口宛をつけて、外れないようにガムテープで
しっかり固定してから、睡眠薬を300錠ほど
飲んで、ガス栓をひねって布団の上に横になった。

一切ためらう事なく出来たのは、失望感と父だけで
なく、叔父や叔母までも父に協力して私を騙して
おきながら、私が悪かった風に嘘の話で騙して、
私の心にあった罪悪感を利用して、私は涙を流して
叔父と叔母に謝罪し、私しか解決できない裁判に
出ると伝えた時、二人は大喜びした。

私を嘘で騙して、更に嘘で私が悪かったように
見せかけ、騙している叔父や叔母は、涙を流して
謝る私に対して、一切の罪悪感も持たずに、
騙しておきながら、指先が止まるほど辛い。

仮にも甥である私に対して、騙してまで裁判に
出さそうとする上に、自分たちが悪いのに、
悪くない私に対して一体どうしたらそんな神経が
持てるのかは今でも分からない。

カウンセラーも保健士も誰も分からない。
私がその全てが嘘であった事を知ったのは、
悪夢を見て気づいた。

というよりは、これは深く考えた末の意見では
あるが、おそらく当たっている。

精神の限界点は人それぞれ違うが、私は誰よりも
強いと友人たちから言われていた。

強い精神をもっていた親友が気が狂っても、
小学生の友達が首吊り自殺をしても、
その時は私には解らなかった。

しかし、この時、私の中にいた私の心が、夢に出た。
初めは誰だか解らなかったが、私が4名いた。

これはその後、生きると決めた後に答えを見つけよう
として出した最終結論になる。

あの夢に出た自分たちは、自分で気づいたら終わり
だと知っていた。一人は私が殴ったら粘土のように
落ちていったので、3人になってしまったが、
一人は負の感情、一人は私に起きた全て、
最後の一人は、起きた事に対しての善の感情を
出来る限り残す役目だった。

実際、私はこの事を深く考えすぎた時、私は自分で
こんなに弱くないと強きに出た時、急性心不全になった。

しかし、私の場合は通常とは異なるものからそういった
状態になるものであったので、通常の手段では助からない
と思い、横になって頭の中を空にした。

暫くしてよくなったが、この話は何度かアップしたことで
あるし、全消しした事も何度もあった事だから私の話は
終わらせて、本題に入ろうと思う。


私はこの姉妹の話を見た時、出来るなら助けてあげたいと
思った。しかし、本か何かで話の続きは見れるだろうが、
おそらく、今は大人になっているはずだ。

本人が仮に今、起きている事を書けるような内容ではないし、
広めたいとは思ってないはずだと思うからだ。
それよりも先に辛さが来る。

なので、客観的に見るしかないが、姉も妹も父が死んで、
悲しかったとある。憎み切れずにずっといたと書いていた。

それは例え1%でも希望があったからだと思う。
この姉妹の場合は父母の喧嘩が理由で別れたと書いている
時点で、内容はどうあれ、父親は酒におぼれてそのまま
死んだと書いてあった。

しかし、離婚前に酒が原因とは書かれていなかった。
つまりは、他の事が原因で酒を飲み始めたと言える。

それは罪悪感である可能性も充分に考えられる。
今更、どんな顏をして子供に会えるかとも思える。

母親に関しても養子の話が出た時に、賛成したとある事から、
連絡を取っていた事が分かる。
普通に考えて、年齢から考えて小学五年生の時に離婚をして、
その後、伯母の家に預けられた間に、養子の話が出ている。

祖母の家にいく選択をしたのは姉妹ではあるが、
中学生くらいの時の話であった。
つまりは伯母の家にいたのは長くても3年ほどだと分かる。

この三年の間に伯母から先に連絡したとは考えにくい。
一発目の電話で養子の話は出さないだろうと思うからだ。
母親に関しても情報は少ないが、生きているし、姉は
今頃何してるんだろうと考えてしまうほど、父母の事は
嫌いではない。

ただ、喧嘩を見続けるのが辛かった一番の要因だと
思われる。子供に対して虐待もしていない。
だからこそ、悪いようには思い切れないのだろうと
思う。

私は実体験からこの事を深く考えた事があった。

それは幼馴染の一言から始まった。
歳は何歳か上の幼馴染が、
「自分も父親が嫌いで死んで欲しいと思ってる」
と彼は言った。

私はその時、既に分かっていた事があった。
彼の言葉は浅いものであって深いものではない
というものであると。

死を見て来たことや、実体験での体験でノーマルな
精神を何とか保てているのは、もう私しかいない。

幼馴染の彼は実際に、「今すぐ死んで欲しい」
と言っていた。
私はその時こう言った。
「〇君の言葉には深みが無い。虐待された訳でも無いし、
確かに嫌な事があったんだろうけど、本当に死ねば必ず
後悔する」

私の父が死んだ時、彼が電話でそれを伝えたが、
本題は別だと私は知っていた。
彼が「おじちゃんが死んだ」と言った時、
私は「それで?」とだけ言うと、母は異常なまでの人で
実際、精神病でかなり強い薬を飲んでいた。

体裁だけで見せかけの家族ごっこをしてきた私には、
父の死は建前であって、本題は別だと分かっていた。

「おばちゃんが葬式に出て欲しいって言ってる」
彼はそう私に伝えてきた。
「仮にも父の生前に恨みを残した状態であったのに、
騙されたことも知っている俺が行けばどうなるか
予想くらいできるはず。俺はギリギリの所に立ってる。
あの腐り切った母親は必ず体裁を保とうと嘘を絶対に言う。
いい? 絶対に言う。そうなれば流石の自分でも精神を
安定させるのは難しいよ? 全員皆殺しにする可能性が
ある事を提示している事に気づいてないね? 〇君とは
違って、俺は本気よ」

彼は弟に頼んでみると言ったが、弟が行く訳ないのは
分かり切っていた。
それから数分後に弟が行ってくれそうだと彼は言ったが、
当然、来なかった。

それから少しして幼馴染の父が死んだ。

私は一つの事だけ話した。

「〇君。悲しかった?」

「うん。悲しかったね」

「そう。そこには底が見えない程の狭間があるんよ。
死ぬ前は死んで欲しいと言ってたけど、実際に死んだら
悲しくなるのが普通。年上を叱りたくないけど、
まだまだ解ってないね」

この幼馴染はこの姉妹の話と似ている点がある。

本気で取り組まなかった点になる。
〇君の場合は嫌いという安易な理由であり、
姉妹の心情には昔が投影される恐れがある。
拒絶される事に対しての恐れだ。

しかし、両者ともが理由は後からつけられるので、
良くも思おうと思えば思えるし、悪くはあまり思えない
という点になる。

幼馴染は東京で働いていて、死に目に遭えたかどうかは
忘れたが、姉妹に関しては悲しみしか出てきていなかった。

私は一時よりは随分回復した。最初はカウンセラーも
保健士も拒否していた。

主な理由は3つあった。

1つ目は、余りにも常軌を逸した事であるため、
信じてもらえないだろうということ。

2つ目は、常識の世界では無かったため、そうなるに至った
経緯を説明することに対して、世離れし過ぎていた事。

3つ目は、私自身が人に対して自分の事を相談した事は
人生で一度も無かった点であった。

この3つ目の事では、実際に地元の親友で、
大勢に慕われていたが、私にしか相談出来ないと言って、
夜中によく私の家まで来ていた。
同じ境遇でないと理解してもらえないからだと、
彼も言っていたし、話が外に漏れれば圧力により
精神的虐待を受けるのは間違いなかったからだった。

そして彼も小学生の時に親が離婚し、弟は母親と出て行き、
彼は跡取り息子として残ったが、私が以前、東京に出ている
間に、祖母による圧力で携帯も持つ事を許されず、
彼の家に尋ねて行っても、追い返されてしまい、
孤独になっていき、人との会話も長い間できないままで
いた事により、精神がどんどん衰弱したため、
跡取り息子の為に残ったが、跡取りは叔父が取る事となり、
地元では大手スーパーを展開している本店で、
マネージャーのような何もしない立場で今もそこにいる。

この問題点はまず第一に、体験しないと辛さが分からない
事が問題になる。体験をすれば二度と復帰できない。
しかし、体験しないことには相手の事が分からず、
何を話したらいいのか分からない事にある。

私の場合は例外中の例外である。
簡単に言えば、海外ドラマのメンタリストの主人公で
あったパトリック・ジェーンのようなものである。

私も知識は豊富なほうであるし、スカウトを受けて東京で
ゲーム雑誌の会社では攻略や分析、インタビュー内容等を
していた。

絶対にバレないはずであった大手ゲームの拡張パックの
内容も全て当てた。一番大事な情報であったため、
完全非公開であったが、インタビューに行った際、
私が質問内容を渡した相方が、それを言うと、
信じられない顏をして、
「情報の出所は?」と聞いてきたほどだった。

雑誌の世界では一般的にインタビューに行くほどのページ数
である時は、各社が違う日にインタビューに行く。

インタビューに何故行くのかと言うと、インタビューをした
場合、それに答えるのが一般化されていて、つまりは
インタビュー次第で雑誌の内容は変ってくる。

この時は、絶対に口外できない内容であったため、
発表後は独占インタビューにすることで話はまとまった。

話はそれたが、ようするに私もバリアを張っている。
ジェーンの行動の心理も良く分かる。
その事はこれまでも書いてきたが、色々伏線が張られて
いて、今でも不思議に思うが、何故、一般視聴者には
分からない内容を入れているのかと思うシーンは度々
あった。

しかし、彼と同様に、薄いバリアでしかない。
彼の場合は、昔の古傷である事に触れられた際、
酷く動揺する。

つまりは偽りの自分で半分は誤魔化している。
全てでは無いのがポイントになる。

全てを偽ると内容は全て嘘になるので、覚えきれなく
なる。しかし、事実に混ぜて嘘をいれた場合は、
その合間が分かるので、どこで嘘を言ったかが分かる。

私の母は嘘にまみれた人生だったので、嘘しかつけなく
なっていた。自分で言った事を次の日には忘れていた。

カウンセラーと今は話しているが、私の場合は世間話が
ほとんどではあるが、このnoteを始めたきっかけは、
カウンセラーの助言に従い書いて見る事にした。

最初は酷いものだったが、今でもまだまだだが、
少しはマシになった。

その成長が目で確認できるので、それは1年に1度の楽しみ
として、1年後に見るようにしている。

私は生きると数年前に決めた。

私は自分であるためにはどうするべきか考えた。

嘘はもう聞き飽きるほど聴いてきたので、嘘はつかないと
決めた。更に約束を守ると誓うことにより、二重に強める
事になるため、自分からは死なないとした。

嘘もつけない、約束も守るの2倍の自分自身への誓いから、
死を回避する事にした。あとは頑張るという事は今年決めた。

元々、哲学にはそれなりの知識はあったが、
哲学の難しさは、頑張れるかどうかにある。

当然、心身が弱っている時は別として、
精一杯頑張ることにより、その答えは見えてくる。

だが、実際に自分自身で頑張っていると言える人は、
極僅かしかいない。勿論、あまり良い事では無いが、
そうしなければ見えて来ないのも事実だ。

そして哲学者だというのは、あくまでも他人が決める
ことであって、自称でいう人は偽物である。

哲学が何故、古代ギリシャから始まり、数千年続いても
未だ多くの事が議論されている理由は、現実と密接した
ものしか哲学の題材とされない事が大きなものである。

しかし、今、AIの参入により、少しずつではあるが、
近年では希に見る僅かではあるが、新しいズレが生じて
いる。

この事に関しては予想も難しい。簡単な予想なら出来るが、
それでは無意味でしかない。誰もが言える事を言うのは、
腹黒い政治家くらいのものであって、彼らは哲学者だと
呼ばれてきたが、それはあくまでも自分の道を進み続けた
結果でしかない。

つまりは頑張り続けたという事になるが、並みの頑張るでは
見えないのが厄介な所である。
大勢の哲学者と呼ばれた人たちは全員何度かは狂っていた。

アインシュタイン等は多くの言葉を残しているので、
色々な言葉が言われているが、彼自身も自分が悪くて、
周りが正しいのであって、自分が間違っているのでは?
等と何度も自分を疑ったり、半狂乱になったりしていた。

だが、時間と思考を使って、何度も立ち直ってきた。

エッセイにしては長すぎるので、流し読みでもいいですし、
仮に読まれなくても、書く事に意味があり、そんな中でも
頑張れるようにならなければ、私の場合は、そう、時間は
かかっても、彼らを救いだせるくらいの力は手にしないと
いけないと、第二の人生を始めた。

だから、頑張ることが最低限、大事な事であり、
あくまでもその結果として、出来るだけ多くの人を
助けてあげたいと思っています。

正直、姉妹の人生の一部を見た時、御飯くらいなら寄付
してあげたいとも思ったし、今の制度なら何とかなるはず
だとも思いました。

日本は滅茶苦茶な政治家たちもいますが、政治家だけが
日本を変える訳では無いので、とにかく頑張ってみます!

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