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フラインハート博士

 「”奇跡の一例”、を例えるなら、
人との絆は見えないものでつながってる。
それらは思いもよらないほどもろいものである。
そのつながりそのものが奇跡なんだと思う」

実に見事な言葉です。私は納得してしまいました。
奇跡とはいかに多くの隠れた場所に存在するのかという
疑問も問われるように使われている言葉です。

誰もが知っている言葉であっても、
その意味を知らない人や、詳しくは分からない
人は大勢いる。

この「奇跡」という言葉もそれに当たる。
誰もが知っている言葉ではあるが、
「奇跡とはどういうこと?」と尋ねられて、
この回答を言える人は少ないだろう。

我々の周りには言葉が溢れているが、
その言葉に対して、本当に知っているのか
知らないのかは尋ねられるまでは、
分からない人が多いはずだ。

だからこそ、この言葉は非常に大切な
言葉となっている。実に哲学的思考の答えでは
あるが、その中でも見事な答えだと言える。

主人公の師であり友人でもある、
フラインハート博士は、
数学者であり哲学者でもある人物ですが、
言葉に関しては彼以上の存在はいないと言えます。

彼の哲学としての言葉は、
実に惚れ惚れするほど、綺麗で優しく、それでいて
分かりやすい言葉を使います。

ドラマの中でも、綺麗なFBI捜査官が、
容姿はよくない彼と付き合うことになったきっかけは
車の話からでしたが、彼の数学的な哲学理論に対して、
よく彼女は惚れ込んだ目で見つめています。

主人公は天才数学者ですが、年齢的な若さと
数学者としての天才故、
友人と呼べる人物は少ない設定になっています。
主人公が困った時は必ず彼に尋ねに向かいますが、
フラインハート博士は答えを言いません。

答えへの導き手となって、彼にアドバイスをします。

これはアインシュタインの言葉にもあったように、
あくまでも答えまでの道を提供するだけであって、
答えは自分自身で考える事こそが大事なのである。

その言葉通り、彼も実践しています。
彼もまた若い時、天才と呼ばれた人物であったが
故に、主人公の気持ちを誰よりも分かってあげられる
人物として、非常に重要な役割を果たしています。

私は数多くの海外ドラマを見てきましたが、
個人名で上げるのは、このフラインハート博士だけです。

例えば、近年の海外ドラマでは、頭が賢いと設定している
人は、左利きが多く見られます。
実際、例えばアインシュタインも左利きでしたし、
過去の賢いと言われた人物の多くは左利きが多いのは、
確かです。

このように海外ドラマを色々見る事によって、
今のアメリカ社会の素顔が見えてきます。
おそらくは、脳学者か脳の研究者かが、理論を
発表したのかは分かりませんが、何かしらの事が
起こり、左利きの人間は賢い傾向にあると
言われたものから、近年の海外ドラマや映画では、
賢い人は大抵左利きにしています。

我々日本人は、列島諸国のように島国です。
インターネットで世界とは確かに繋がりましたが、
実際に知らない事は多くあります。

それは国やアメリカの要請等により、我々には
伝わってこない情報も多くあります。

しかし、海外ドラマや映画ではその規制は
されていない為、特に同じ時代を描いている作品は
そういう社会になっているのだと知る事ができます。

私が海外ドラマを見るのは、そういった目的も
含めた上で見ています。

そんな中、私の中ではフラインハート博士の言葉は
実によく響きます。

フラインハート博士は昔の生徒であった主人公に対して
師であることをアピールしません。
彼は卒業した彼をちゃんと一人の同じ数学者としてみて、
友人として接しています。

そういう点でも彼の精神的思考が非常に優れたものだと
私は思います。日本は狭い国です。
だからこそ違う意味での”ゆとり”が
必要なんだと私は思っています。

心のゆとりです。
何もしていない時間を作り、いつもと違う目線で
物事を見ると、今まで見えていなかったことが
見える事は多々あります。

人生とは如何に多くのことに触れ、体験し、悩み、
恋をし、失恋し、愛を知り、
人間として充実した人生を送るためには、
今の日本人が不要と見ているものが多くあります。

良い事ばかりでは、決して本当の意味を知る事は
出来ません。
悩み、失恋等をする事によって、得るものは確かに
あります。そういう経験を積む事で、人間として
成長を果たせるものであるが為、適当な理由を
つけて、脇道へ逃げる人は、一生、逃げ続ける事に
なるでしょう。

伊達政宗の永遠の師であり、敬慕し、敵わないと
認めていた「虎哉 宗乙」は、幼少の頃から
政宗の精神を鍛えた人物です。

伊達政宗の育ての親とも呼べる人物で、
長い間、片倉小十郎や伊達重実等と一緒に
暮らしていました。

政宗を育てた「虎哉 宗乙」の名は、徳川家康にも
届くほどになったのは、政宗がそれだけの人物で
あったからです。
彼がいたから伊達政宗は生きていけたとも
言えるほどで、真に優秀なものは、真に優秀な人物を
更なる高みへと導きます。

何が正しいか、正しくないのかは実際に行動を
起こさないと分からない事も多くあります。

政宗の精神が強くなったのは、「虎哉 宗乙」と
最初に挨拶を交わした時、虎哉禅師は政宗を見て、
まずは心から鍛えなければならないと思いました。

その為、跡取り息子ではありましたが、非常に
厳しく育てられ、一緒に暮らした時間は何年にも
及びました。

どんな人物にも頑張った時があるからこそ、
それを活かす時が来た時に、力を発揮できるものです。

本当の天才とは何でも出来る人では無いのです。
何もしなくても何でも出来る人は存在しません。

誰しもが、色々な想いを胸に秘めて、頑張った結果を
我々は見ているだけです。

”良いゆとり”が皆さまにも持てる奇跡が
生まれますように願ってます。

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