フラインハート博士の愛に対する考え方

この世の中で最も信じられているものは
”お金”と”愛”である。
両極端とも言えるこの二つだが、
現実そうであることは認めねばならない。

これは哲学的観点から見ても、そうである
としか言いようが無い。
ここで否定的な言葉を使ったが、
そう言う訳では無い。

哲学的思考から見ても、と言う訳であって、
あらゆる面から理論的に考えても、
時代がそれを証明している。

人間は人それぞれで違う考えや、生き方を
するから理論上は成長を遂げてきた。
つまりは戦争や内戦が多発した時代を経て、
自由の大切さを身に染みて理解したからこそ、
そこから生ずる痛みや、悲惨さを体験する事により、
心的外傷後ストレス障害(通称・PTSD)の患者は
増え続けている上に、自殺者も多い。

これは戦争に慣れているアメリカの軍人でも、
大勢の軍人たちがPTSDにかかっている。
その人たちを支援を目的とした施設はあるが、
同じ人間でも精神面での許容範囲や性格などの
違いが影響し、2021年時点では、戦死者の約4倍の
PTSDにかかった患者が自ら命を絶っている。

つまりはPTSDの総数患者は、計り知れないほど
多いという事になる。彼等は第一線で戦ってきた。
私には想像も出来ないが、ある程度の知識は事実を
元にした映画などから、少しは察することはできる。

アメリカの軍人は戦争が無い時でも、日常的に厳しい
訓練をし、いつでも戦えるようにしている。
あくまでも仮想相手の訓練であっても、実戦と同じ
ように個人や部隊でしていても、実戦とは遥かに
身体が感じるストレスは激しいものである事が、
この事実から理解できる。

実戦経験の無い日本の自衛隊は、どうなんだろうと
正直思う。進撃の巨人でも、覚悟は決めたが、
実際に人間を撃とうとした時、撃てなかった。
アルミンが撃ったから助かったが、
心でいくら覚悟しても、それが現実に於いて
出来るか、出来ないかはその時にならないと
分からない。

それについては私は知っていた。
歳の離れた幼馴染の男性は、父親を憎んでいた。
早く死んで欲しいと口では言っていたが、それは
あくまでも言うだけである事に気づいていた。

私の場合は、憎む以前の問題だった。最後には
本性を現し、私に弟を殺させようとしたり、
引っ越すに至って、自分勝手な妄想から愛犬を
毒殺したりした。それは事実、そうしたから
元々、不仲であった父を真底憎んでいた。
弟を私に殺させてから、私を刑務所に入れよう
と本気で考えていた。

その裏付けとして、父は自分が死んだ後、
私が復讐に駆られる事を危惧して、身動きの
取れないよう、私には一切の私財を与えない
様にする為、掛け捨ての死亡保険を全て、
解約した。死ぬ3カ月前に母にも秘密にして、
弟である叔父に全て解約させた。

これらの事だけは無いほど、本性は恐ろしい
ものだった。元々、私の家では各個人が
住んでいる家と言うだけであった。
その為、私は家族や親族に対して、
一般世間とは違うものであった。

私には先は見えていた。
母は家にある金目のものを全て盗むようにして
出て行った。勿論、秘密裏にして去った。
私が人生で母親と和解した2日後に、出て行った。
涙を流して負けてもいいから裁判をしようと
言ってくれていた人が、何も言わずに2日後には
消えたのだ。

私の頭でも整理はつかなかったが、
幼馴染を使っていずれは連絡してくるだろうと
想っていた。私の電話は拒否されていたからだ。

そして、それらの事から私の精神面は限界を
越えてしまった。しかし、必ず父が死ねば
連絡してくる事は分かっていた。

母は外では仮面をつけていて、誰にも本性を
見抜かれないようにしていた。家で働いていた
家政婦さんたちは知っていたが、他に知る人は
誰もいなかった。

そして父が家を出て半年ほど経った頃、
電話が鳴った。
幼馴染は私の父親の死を告げた。
私にとっては、父が家を出た時点で、
もう私には勝ち目が無いと思っていたので、
死のうが生きようが、どうでもよかった。
そして、これまでの状況を考えれば不可能な
事を口にした。
それも読めていたから、特別驚く事は無かった。
「葬式に出て欲しいとおばちゃんが言ってる」

体裁を何よりも大事にしている母の事は
良く分かっていた。家では口も利かない癖に、
自分の都合の良い時だけ、利用してくる上に、
状況や相手の気持ちなど、これっぽっちも
考えない母ならそう言うだろうと知っていた。

私が「アイツは体裁の事しか考えない。
これまでの奴等の行動から見てもそれは
明らかなのに〇君は気づかないのか?」

私がそう言うと、歳だけとった役立たずだと
思った。彼は事情を多少は知っていながらも
こう言ってきた。

「今回は本当の気持ちだと思う」と言うので
私は尋ねた。
「ん? 今回は本当って何が本当なの?」
「最後に会って欲しいと思ってると思う」
私はまるで分かって無いと理解した。

「あのね、奴等のやった事は強制でも無いし、
あのクソ婆が求めているのは体裁だけだ。
それすら気づけないようでは話にならん。
いい?あのクソ婆は俺が葬式に出たら必ず
また嘘を周り対して、色んな嘘を言いまくる。
これまでも、そうだったから俺には分かる。
家では料理すら作らなくなって、20年くらい
経ったけど、世間の人は今でも言う、美味しい
料理が毎日食べられていいですねって周りは
思ってる。俺はその度に言葉にはしないが、
それらしい答え方をしてきた。俺は死んだ
クソ親父でも殴りたくて仕方がない。
その上、あのクソ婆は絶対に言いやがる。
「最後に会いたいからあの子は来たのよ」
とか平然と言いやがる。
俺が行けば間違いなくそうなる。
そうなったら俺でも自分を自制出来なくなる。
今までは誤魔化してきたが、
今回は今までとは訳が違う。
俺は奴等と戦ってきた。そいつらが勢揃いする
その意味が全く分かって無い。
行けば多分、皆殺しにして自分も死ぬ。
それでもいいなら行ってやる」

彼は黙ったまま、弟に聞いてみると言った。
「アイツは絶対に来ないよ。これまでだって
一度たりとも主席した事は無い」
「一応、聞いてみる」
そう言って彼は弟に電話をし、その後、
私に、弟は出席してくれそうだと言ったが、
私は絶対に行く訳が無いと分かっていた。

結果、弟は行かなかったと後から聞いたが、
当たり前の結果だから別に何とも思わなかった。

そしてその幼馴染の父親が、私の父の一ヶ月後
くらいに亡くなった。私はその時、分かっていた
事があった。彼も父親を心底憎んでいたが、
私とは別次元の憎みだと分かっていた。だから、
葬式に出たら絶対に悲しくなると思っていた。

彼が葬式に出て数日が経った頃、直接話をした。
私は「おじさんが死んで悲しかったでしょ?」
と言うと、彼は悲しかったと答えた。

それでも彼は父親に対する憎しみに、次元の差が
ある事には気づいていなかった。彼の頭はもう
カチカチで柔軟さは一切無いため、自分の思う事が
全て正しいと思い込んでいた。
彼とは幼馴染ではあったが、成長期や思春期には
合う機会は無かった。

彼から一度も女性関係の話が無いので、
私は彼はゲイだと思っていたほど、一度も女性の
話を聞いた事が無かった。
3兄弟の長男ではあったが、弟たちは一度も女性と
関係を持った事もないまま、見合いで結婚した。

彼は、それでも女性関係の話もしなかったので、
私は探りを入れてみて、正直、驚いた。
彼の父親は女性に対して、蔑視する人であった。
そしてケチで口下手ではあったが仕事はできた。

彼はそんな父親を嫌っていたはずなのに、
彼自身も女性に対して、かなり重度の女性蔑視を
今の時代でもしていた。
それを聞いて「そういうことか」と思った。

一度も女性と付き合った事が無い状態で、
相手の性格や癖とかも知らないまま、見合いで
すぐに結婚した。当然上手くいく訳は無い。
上手くいく事もあるが、それは希である。

案の定、10年近く前からほとんど別居状態で、
男の方は実家に戻って来た。嫁さんと子供は
奥さんが1人で面倒を見ている。子供が3人も
いるのに、手伝おうともせず、戻って来た。

ただ、結婚式の時以外にも会った事は以前
あったのだが、これはあくまでも、
私の予想ではあるが、かなり変わっていた。
おそらく、男がいると思ったが、それは
誰にも言ってない。子供は思春期の子供
たちで、かなり大変なはずであるのに、
化粧も上手くなっていたし、服装もセンスの
ある服を着ていた。おそらく離婚するんだろう
とは思うが、思春期の子供が3人いたら、
男がいても体の関係がメインだろうし、
せめて、子供が独り立ちするか、大学にでも
行けば、離婚の話も出るだろう。
条件も良い形で成立するだろうから、
時期を見ているのだろうと思った。

日本人特有のあまり言葉にはしない
愛の形なので、一度も付き合った事が
無いので、疲れたのだろうと思った。

三男のほうは同じような感じでは
あったが、上手くいっている。
一番話しやすいし、非常に優しいので
上手くいっているのも納得がいった。

恋や愛は確かに簡単では無いけど、
それほど難しいものでもない。
私にとっての話だ。
そんな中、フラインハート博士は
愛とはどういうものかを数学者の
言葉も使いつつも、こう述べている。

「人を結ぶものとは?——愛
近くにいても、離れていても愛の力は計り知れない。
愛は時を越え、
その源も客体も尽きることはなく光よりも速い。
光が空間を移動するには時間が必要だ。
しかし、愛は瞬時で対象に到達する。
愛の旅は永遠であり無限である。
そして愛は2人の人生を結びつけるのだ」

私はこの言葉が大好きである。
女性に対して手本として、私の心に焼き付けている。
このように深く愛する事が出来るのであれば、
離婚する人も少なくなると思った。

「愛」という一文字に対して、
これほどまでに、流暢りゅうちょうに言葉が
出る事にも敬意を払いたい。
それは映画やドラマであっても現実と同じだ。

誰かがそう思うからこそ、その言葉は生まれる。
どこで生まれようとも、想像の産物では無いのだ。

今も数秒間ではあるが、じっくりと噛み締めた。
心から良い言葉だと思う。
このような愛の言葉があるから、
私も愛を信じていれる。
一生その気持ちが変わる事は無いだろう。

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