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チャールズ・バクストン

“何をするにも時間は見つからないだろう。
 時間が欲しければ自分で作ることだ”


この言葉は世界中の人に言える言葉である。

ここである実在する人の話に触れることにする。

その人は実に人格者であり、頭も優れていて、
愛する妻子もいる仕事が出来る男性だった。

大勢の部下から頼りにされ、慕われ、尊敬され、
副社長であった彼は仕事の日々に追われていた。

しかし、彼の仕事への責任感から家に帰る
日々は減っていき、気がついたら一番大切に
していた存在である妻子を失った。

妻は彼を信頼し、仕事を頑張っているから
帰れないこともある事を理解していた。

だが、理解というものはあくまでも認識であり、
感情とはまた少し別のものになる。

彼は自分への戒めのため、その後、別の女性との
出会いから結婚して以来、毎日必ず帰るように
なった。

彼は賢い人間であったが、有限な時間の使い道を
誤って使ったため、大事な人生で一番大切な人を
失った。

しかし、その後、その過ちをしっかりと受け止めて、
時間を作る大切さに気づいてからは、家庭を第一と
したが、部下たちからの信頼は更に高まった。

この話はチャールズ・バクストンの言葉を
直訳した実話になるが、彼等の言葉はいつも必ず
別の含みも入っている。

当然ながら、チャールズもまた似たような失敗から
自分を見つめ直した時に、そう感じたから言葉に残した。

理由等は幾らでもあって、その中でも時間を自らの意志に
近しい意思をもって作ろうと臨まなければ、必ず何か別の
言い訳を作って逃げるだけである事を真に理解した時、
人はそれを自分の人生に活かして生きていく。

人格者であった彼もまた、大切にすべき事は家庭である事は
分かっていた。しかし、分かっているだけであって、犠牲に
しているのが現実であると気づいた時には、妻の愛は消えて
いた。

言葉を知っていると言うだけでは、実生活に活かせる訳では
無い。つまり実際には無意味に等しいと言える。
人間は多くの失敗を経て、少ない成功や物事を知る。

どこぞの演説家が、有名な言葉を現代語に変えていくら
叫んでいたとしても、真に理解している事など有り得ない
のだ。

つい最近、自民の小泉氏が国民の声を代弁する時に
使った言葉があった。

「パンが無いならケーキを食べればいいじゃない?」

この言葉は中世フランスの王女の言葉であった。
如何に国民の事を分かっていないという例えの言葉で
ある。
小泉氏は、日本国民が80歳まで保険料を払い続けて、
80歳満期にする方針に対して、
「国民は奴隷か!?」と声を上げた。

私も同じように思う。既に人生の終わりに差し掛かった
政治家たちの思想と、国民の声をフランスの王女が
発言したとされる言葉にしたのは、余りにも温度差が
あり過ぎる事を言ったものだった。

しかし、今の日本に驚いている人は、前回に起きた
世界での少子化現象の時には、大したことでは無いと
捉えたのだと思っていい。

もう20年以上くらいになるが、世界の先進国で突然一斉に、
少子化現象が起き始めた。
記憶にはあまり残っていないかもしれないが、
「子供手当て」かそれに近い言葉で1人につき三万円支給
された時の事は記憶にあるだろう。

あの時が正にその時であった。
これも幾度も書いてきたが、あの当時の先進国の中で、
事を重く捉えずに半ば放置とも呼べる程度の事しか
やらなかったのは日本だけだった。

他の各国は事を重く捉えて、あらゆる方面からの支援は勿論、
語り掛けるので無くて、愛や恋のドラマに力を入れたり、
産休に当たり、給料の8割を国から支給したり、子供を産んだ
後の事にまでしっかりとサポートを入れていった。

国により、やり方に違いはあったが、金銭面のサポートは
各国が行っていたこともあり、数年で何とか持ち直した。

この問題は実に根深く、そして放置してはいけないもの
であるのは、少し考えれば誰でも分かる事であった。

単純に考えても、恋をする年齢層から恋の素晴らしさを
知る術が減ったか、または同性愛者の認知度が高くなった事、
金銭面的余裕が無い、それに繋がり時間も無い。
時間が無ければ夫婦の時間も減る。

考えればキリが無い程、色々な問題が増えたから現象傾向に
なったことだけは確かだった。
現象傾向になっている時点で、簡単に考えても、色々な問題
が起き始めたのは10年前後以前だと判断するのが賢明である。

理由としては極単純である。人は簡単に減らないし、
急増する事も無いからだ。つまりは現象傾向になったには、
多くの理由はあるものの、数年やそこらで突然起こる問題では
無いと言える。

現実的に考えても、恋から愛が生まれて結婚する。
子供が産まれて結婚する人もいれば、数年は新婚生活を楽しむ
人もいれば、子供を欲しがらない人もいるが、それは日本が
そうなってしまっただけであって、それは長年の不況や問題が
関わってくるので、日本独自な思想が生まれてしまったと
言えるだろう。

つまりは恋から始まり、20歳で結婚したとしても、働き手となる
までには、それから約20年の年月が必要になる訳だ。
問題は恋や愛が一度落ち始めたら、簡単には生まれない事にある。

他でも書いたが、日本は日本人による日本では無くなる事は、
既に現実的な未来と言えるだろう。
地方での現実的な数字を見れば明らかだが、89%は高齢者である
地域は珍しく無くなっている。

現地の人ですら言っている。
「あと20年もすれば無人島になる」
と他人事のように話している。

もうどうにもならないし、特別それに対して関心も無いからだ。
何も無い大中の島々に滞在する若者は減るだけで、増える事は無い。
学校も幾度も統合を繰り返した末に、小学校などは1つの教室に
6学年の生徒全員が入っている事も珍しくない。

東京から旅行や出張で出た人には気づけない恐ろしさが、
毎年のように増えている。
私の地元は広島で、昔は山が多くて人が増えにくい場所が、
今は開けていて、九州、四国、中国地方から人が集まって
来ている。

5年ほど前には、大阪のボッタクリがやり過ぎた為、
普通に営業していた夜の店に客が来なくなったらしく、
広島と東京に流れてきた。
突然、湧いたように大阪のガールズバーやキャバクラが
何店も出店してきた。

私はたまたま予約したステーキ屋に向かう途中で、
スマホを見ながら歩いていると、無料案内所の兄さんが
声をかけてきた。
まだ時間があったので、そこで1時間くらい立ち話をして
その時に仲良くなり、大阪から来た事情を聞いた。

その時に、「広島に来て初めて面白い人に会いました」
と彼は言いました。
そいつも面白い男で、夢は黒人よりも黒くなりたいと
言って、毎日陽射しの強い日には川辺の芝生の上で
焼いていると言っていた。

彼は私のスマホの地図を見ると、だいたいの場所は分かると
言って案内すると話してきた。
私は地理系は苦手なので、案内してもらう事になった。

店まで歩きながら話をして、夜はバーテンをしていると
言ったので、私は時間が空いたら行くと伝えた。

その後、時間が空くことは無かったが、時間を作っては
何度か足を運んだ。実に良心的な店で、店長も仕事が出来る
男で、お酒も安い上に、チャージを取らないので、
いつも帰る時にはその安い値段に驚かされた。

私が広島から東京に出た直後にコロナが流行し始めたので、
よく知る店の半数ほどは潰れていたが、
どこよりも安くて美味しいステーキ屋さんは潰れていなくて
ホッとした。

あれほどの柔らかい肉質でありながら、旨味もしっかり
している上に、薬味も7種類ほどセットで1500円だった。
何万もする肉など食べてきたが、あれよりも味は劣るもの
だった。

私は予約したその当日、行った後にその味を知り合いにも
教えてやろうと思って予定を終えた後、再び店に戻った。
おそらくは夫婦経営で旦那さんが肉を焼いていたが、
一日に二度来たお客さんは初めてだと言われた。

私は相当な美食家だが、この値段でこの味はこれまで食べた
事の無い美味さだと伝えると笑みをこぼしていた。
その後、その店には毎日のように持ち帰りを5食ほど頼むよう
になっていた。それくらい実に美味だったからだ。

ある偉人も言っていた。

「神が人間に平等に与えたのは時間だ」

つまりは我々が何に、どう使うか次第という事になる。
日常を繰り返していても、それは時間の無駄遣いになる。

“何をするにも時間は見つからないだろう。
 時間が欲しければ自分で作ることだ”


チャールズ・バクストンが言っている意味は、
何をするにも時間は見つからないだろうと言うのは、
時間は何をするにしても過ぎていくものであって、
その限られた時間を何に使うかで人生も大きく
変わる事を伝えている。

頑張りたい人は、頑張りたい何かに時間を使えばいい。
しかし、中途半端に時間を使えば、それは徒労に
終わり、後悔する事になるだろうと言っている。

どう生きるのかも時間があってこそ成り立つ。
日本という国は、大切にしなければならない時に、
問題を先送りにした。

そして、それに対して後悔したとは言えないように、
定年の年齢を伸ばして、死に往く国民たちからも
搾り取ろうとしている。

こういった問題に対して、すぐに分かるのは
保険のCMになる。
私は保険のCMを目にした時に、”80歳でも入れる”
等をキャッチコピーにしたものを目にすると、
いつも思う事がある。

日本はもう沈みかけているのは否定できない。
それをいち早く知って、行動に移すのが保険屋になる。
私は保険の対象者がいなくなっていく事に対して、
高齢者でも入れるようにしているのだと思ってしまうが、
国民はどう思っているのだろうかと思ってしまう。

もう現実の日本はつまりはそう言う事なのだ。
85歳でも入れる保険が意味するのは、
高齢者大国になってしまっているのを公言しているのと
何ら変わらないのである。

これからあらゆる職業に対して、荒波のような現象が
起こる事になるだろう。

日本はもう既に、終わりを迎えている。
それを受け止めて前に進む人は生き残れる。

しかし、現実を受け止められない人たちに待っているのは、
喜びの無い終末が待っている事になるだろう。

チャールズ・バクストンの言葉は、現在の日本国民にとって
大切な意味を持つ言葉だと心から思う。
未来のために我々は犠牲とならざるを得ないが、
今の日本を招いたのは政治家たちだけでは無い。

それを不問にしてきた我々国民にも責任はある事を
知らなければ、我々は無駄な犠牲にしかならないだろうと、
認めなければならない。

何期も当選してきた政治家などは、愛国心等持ってはいない。
今の日本に必要なのは、愛国心のある自己犠牲心もある
真の再建を目指す人たちになるだろう。

日本はいつもそうして再建してきた。
今期が一番厳しいと個人的には思うが、
いつの世も愛国心と自己犠牲精神のある人物たちが、
国を救ってきたのは、世界の歴史を見れば理解できる。

我々の時代は現実的に見ても、まさしくその時代であるのは、
明白である。

“何をするにも時間は見つからないだろう。
 時間が欲しければ自分で作ることだ”


そうなると最も大切なのは、どう生きるか、何をするかによって、
日本の未来は変わると言えるだろう。

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