アウトプットしたい。

何かを効率的に習得したい時、あなたはどうしますか?

私は今日からここで、アウトプットしてみることにしました。

「百聞は一見にしかず」

さっそく軽く得た知識をアウトプットしてみようと思います。
「インプットをひたすらし続けるよりアウトプットをした方が習得しやすいということ」と微妙に違う気がする「百聞は一見にしかず」。

百聞をいっけんにしかずはデジタル大辞泉によると

《「漢書」趙充国伝から》人から何度も聞くより、一度実際に自分の目で見るほうが確かであり、よくわかる。

デジタル大辞泉(小学館)

他の辞書も見たの(コトバンクを見ただけ)ですが、「何度も聞くより見た方がよくわかる」という文字通りの意味しか出てきません。

てっきり「転じて、〇〇なこと」のような解説があると思っていましたが、どうやら厳密には文字通りの意味しかないようです。

由来となった「漢書」の趙充国伝には、ある将軍が皇帝に異民族の攻撃に対して対応策を問われ「百聞は一見に如かず」と言って現場で指揮を取りたいと願い出たというエピソードが残っているようです。

ちなみにその将軍の名前が趙充国です。趙充国伝は国の話ではなく、その将軍の話なんですね。

百聞は一見にしかずのくだりがあった時には趙充国はすでに70歳以上と高齢で、皇帝は戦地には行かせないつもりでしたが、趙充国の熱意に押されて笑ってこれを許したそうです。

これを読んで、なんとなくパンサー尾形が「行かせてくださいよぉー!」と言っているのが浮かんでしまい笑いました。

どうでもいい上に多分失礼でした。すみません(笑)

百聞は一見にしかずは本当か

「百聞は一見にしかず」は実際には「聞くこと<見ること」だけでなく「見聞きすること<体験すること」の文脈でも使われていると思います。

例えば下のような文脈

最近はネットで見たり聞いたりして物事を判断することが多くなってきています。ネットショッピングなどはその最たるものでしょう。レビューやスペック表を見て、実際に触らずに購入するか決めるわけです。実際に買ってから後悔した経験は誰にでもあると思います。百聞は一見にしかずで、店舗で実際に見て触って、あるいは使ってみて判断することも大事です。

のような感じでしょうか。

話が変わってしまうようですが、上の文章で
「最近は〜」
とは言ってみたものの社会に出て数年目の私はそこまで昔を知っている訳ではありません。「最近はネットでなんでもできるから〜」というよく言われていることにつられて、それっぽく書いてみただけなのです。

これも広義の「百聞は一見にしかず」だと思います。
私は、情報化社会が百聞は一見にしかず状態を増やしているかどうかを実体験から判断することができません。

むしろ改めて考えると、私は「百聞は一見にしかず」は現代では通用しないのではないかとさえ思います。この言葉が生まれた時代では100人の意見を聞くことは(少なくとも庶民では)難しかったでしょう。(もちろん100人というのは比喩的な表現ですが)

仮に100人の意見が聞けたとしてもひとりひとりの持っている情報量が現代より少なかったのではないでしょうか。
現代人が1日に接する情報量は、平安時代の人達の一生分、江戸時代の人達の一年分と言われていることを考えても、100人に聞いて得られる情報量、あるいはその100人のバックにある情報を合わせた量は現代と当時では比べ物にならないでしょう。

しかし現代では100人分の商品レビューを見ることなんて、20、30分あればできてしまいます。

百聞は一見にしかずというのは成立しない時代になってきたのかもしれません。

アウトプットの効果

話は元に戻って
みなさんは、実際にアウトプットが役に立った経験はありますか?

私はあまりないかもしれません(笑)
学生時代にアウトプット効果を期待して友達と教えあったりしましたが、あんまり点数は伸びませんでした。

こちらの方は「一見」をして思ったことにあたるでしょうか。

しかしまだ「一見」しかできていないので、これからは「百見」達成を目指していきたいと思います。
流石に百聞しても百見には敵わないはずですから。


色々書きましたが、学んだことを発表する場所が欲しかったので、とりあえず始めることにします。

こういうことをはじめて、定着した試しがないのでこれっきりの投稿かもしれません。
3日坊主になったかならないかの結果も含めて、全世界に晒してみることにします。

ありがとうございました

追記

数年前に「アウトプット大全」を買いましたが、未だ積読状態のままです。
そのうち「アウトプットをアウトプットする」ことがあるかもしれません。

できるといいな。

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