性差は問題か

上野千鶴子のレトリックが判明になるにつれてそもそも性差は問題なのかという疑念が湧いてくる。学者世界を離れて欲望の問題になるのかもしれないが、結局実際の事象の評価は恣意的にしかならず、語るとか論とかいうことの意味がない世界にみえ、一方でただ事象の記述が無意味に積み重ねられてゆく。本を読むこと自体が悪いことだという風潮があるらしいが、知識人の誘いは単なる本を手に取ったことの虚しさや失望をもたらす。知識に対する批判はニーチェを待たずとも久しい。ブルデューがマルクス主義に回帰したのは資本制を客観化できなかったからなのだろうが、かといってこれというものがあるわけではない。凡庸な結論を導き出す迂遠な理路。やはり不必要としかいいようがない。

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