春一番

子供たちを父親が迎えにきて、1人になった。今日はあちらの家でゲームをするらしい。

1人静かな部屋で、昼の残りで早めの夜ご飯を食べていたとき、

冷蔵庫に貼った、3月卒園式のしおり、の文字が目に止まり、まじまじと見返し、何か区切りが着くような感覚が走った。

2月最終週の連休始まりの今日は、春一番が吹いていて、強いけど生温く、わたしは好きな温度。お陰で洗濯物がよく乾いた。

振り返れば、この生活を心に決めて、なりふり構わず自分のスタンスで突っ走ってきた。子供たちに迷惑を掛けたであろう。親にも、友達にも。

子供の行事でしか会わない、連絡を取らない父親は、離れて一年が経とうとする今でも、これまでも感じてきた一緒にいて噛み合わない居心地の悪さを、裏切らないでいる。

どうして結婚したの?

よく言われるこの言葉。友達、同僚、弁護士さんから。でもさらに自分自身にとって、永遠の謎だろう。当時26歳になったばかりの悔しいくらいに全てが若い、からっぽだったであろう私が選択したただの人生の選択肢のひとつだった。

性格、価値観の不一致が、実は原因の8割なんです。

弁護士さんに言われた言葉は、今でも鮮明に覚えている。

何故かっていうと、それまでは、自分は母であり妻であるのに、他人と噛み合わない、価値観が違う事から来るストレスに、まるで自分が我慢できない子供の様な感覚でいたからだ。それに引け目を感じて、ただ悶々としていた。

なのに身体が悲鳴をあげだして、わたしと、わたしの相手を良く知る親友に言われた一言で、何かが切れた。

「よく頑張った、頑張ったから、もういいよ。」

魔法の言葉だった。

子供みたいなわがままをだと思っていた気持ちを抑えつけて、毎日を暗く過ごしてたわたしの頭上に、突然名前を呼ばれて、スポットライトが当たって、表彰された様な感覚だった。

その言葉を聞いたその日から、私は一気に、しかしゆっくり確実に物事を持っていった。そこからここまで、3年はかかったが。

なんでそうなったの?何があったの?原因は?すごいね、一人でよくやってるね。大変だよね。子供は大丈夫?

いろんな人が色んなことを言う。

もともと我が道を突っ走る私にとって、どんな言葉も風のよう。皆ちがうんだから。これを揉まずに言葉にできるようになった今、26歳から封印された私のコアの私が、帰ってきたんだって感じた。

実際、その魔法の言葉を言ってくれた親友は、私がこんな風になって少したった時に言った。

「Nに戻ってきたね。」Nとはわたしの名前。

結婚生活では、わたしがわたしらしくなかったんだ、とやはり思っていたんだ。だって、わたしも思っていたから。とても辛かった。

コロナウイルスが世間を騒がせている時期に、卒園式も延期や中止になったら、次女は悲しむだろうな、と思いながら、春一番がつれてきている雨音を、静かな部屋で心地よく聞いている。



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