愛、わからない

触れることを好ましく思えるほどゆるしあえた人。


素直とは何だろうかと考えていた。瞬間的な表現の分かりやすさだろうか、切実に向き合った時間のことだろうか。
心に触れられない人を前にしたときに、素直であれない私だった。そもそも形はなく、言語化もできない。




故に望んだのでしょうか。

生まれた場所や選んだ人生、あなたがしたいことがしたいという思考が、重なる2人でした。自らの意思で、考え選び求めて手にすることを、あなたはしなくてはいけないと、分析したのは傲慢でした。固有の人生があることを忘れ、想像で自身と重ねた身勝手さを恥じています。口にはださなかったけれど、自ら求めるべきは私だったのでしょう。あなたのなかに、私を見ていました。

出会って初めて知る孤独。
感情をむき出しにする女の子をラベリングすることは、実感を許されなかった子ども時代の名残りでしたか。きっとこんな言葉の連なりも、ポエマーだとでも言って笑うのでしょう。分かりにくいあなたのこと、包みたかったのです。
虚しさの意味は、まだ命の循環を諦めきれない肉体の足掻きだったのだと捉えます。
人に優しくしなくても、何か与えなくても、何かの能力に長けていなくても、あなたが在る価値のことを、知ってほしかったです。歳を重ねることを、自虐的に危惧する瞬間に、包み込める言葉を持っていたい私でした。


結局のところ、魂にしか興味がなく、心の機微を見つめようと必死でした。私に触れてあなたの心は動きましたか。あなたに心は宿りましたか。分かりにくければ分かりにくいほど触れたいと渇望し、分かりやすく健康なあなたの命を前に抗えずに、距離をはかりかねていました。一体、どんな人に美しさを見出して、大切だと実感しますか。想像力の行く末は「嫉妬」と表現できるのかもしれません。同じ熱を求めずに幸せだけ祈れる私ならば良かった。

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