社会を変えるにはどうしたらいいか?

筆者のTwitterのフォロワーさんに、神真都Qとプロフィールに書いている人を時々見かけるようになりました。

皆さんは、この神真都Qという団体を知っているでしょうか?

筆者はあまりよく知らないのですが、反Vakzin、反mask、TRUMP元大統領を支持している人達の組織で、ネットの噂では、昔のオウム真理教のようだとも言われています。

デモ活動や写真を見て、同じような考えをしていても、この人達とは何か違うなぁと感じ


共産主義はDSだとか、在日は追い出せみたいなことを言ってるアカウントもあり、神真都Qはやはりネトウヨバイトみたいなものなのだなと、改めて認識しました。

DS(国際金融グローバリスト)と闘っている団体のようですが、マスクの着用義務などに反対する人たちの依存先&ガス抜き&イメージダウンのために、あえてDSが作った組織のような感じがします。

SEALDsしばき隊なんかと似てる気もします。ちなみに、筆者は元日本共産党員で、一時期流行っていた反安倍デモなど、若者の活動を日本共産党内では賞賛する風潮にありましたが、SEALDsのことは最初からあまり好きではなく、一緒にデモなどの活動もしたことはありません。

そもそも皆がデモ活動をする人になるのではなく、皆が強者と同じ立場に立てるようにならないと、根本的に社会は変わらないだろう、というのが筆者の考えです。

これを選民思想、優生学と勘違いする人もいますが、努力できる強い人だけが這い上がれるとかではなく、全員が対等な社会でないと「国民主権」や「民主主義」とは言えないだろう、と思っています。これを嫌だと感じてしまう人は、民主主義者を自称していても、リーダー達が主体で責任を取ってくれることに甘えて、その体制をやめてほしくない、強い者に支配されていたいのだと思います。

また、「平等」という言葉を多くの人が使いたがりますが、この言葉は「自分とみんなを同じように扱って欲しい」という、受身姿勢な感じがし、支配層にとっても都合の良い言葉だと思います。

そして、あまり誰も「対等」という言葉を使いたがりません。

おそらく支配層にとっては、庶民が自分たちと対等になられるのは、生意気だと感じ、困る、都合が悪いのだと思います。

庶民からしても、支配層と対等になるのは主体的で、自分にも同じだけの責任を被るようなイメージを持つでしょう。

だからどちらもお互いに、対等という言葉は使いたくないので、平等ばかりを使うのかもしれません。

「支配層と庶民」でイメージがつきにくい人は「社長と社員」「店長とアルバイト」で考えてみてください。平等だったら嬉しいけど対等になるのはキツい、と思ってしまいませんか?

筆者の思う、社会を変えるにはどうしたらいいか?を、絵で表すとこうです↓


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