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ぼくらの秘密基地 小さな想いを形にしたい

物語は突然に始まる。


私のメインのアカウントで、こんな投稿を書いていました。

当時、いま投稿している「このアカウント」は、1年以上も放置したままのアカウントでした。

そして、2024年2月21日に不思議なご縁がありました。
noteとスタエフで仲良くしてもらっている麻衣さんから相談メールがありました。


麻衣さん「個展用にアクリルキーホルダーを作りたいのですが、ヒョウガさんは作れますか?」

ヒョウガ「アクリルキーホルダーは作れますけど、いま突然に閃いたのですが💡」

ヒョウガ「もし、良かったら、うちの工場で個展や色々な人を集めた企画をしてみませんか?」

麻衣さん「えっ!?面白そう!」

突然、私の閃きから【工場の企画】が産まれました。


それから数日後、私は知人の会社でアルバイトをしていました。


窒素ガスをタンク内に注入
色々な配管と特殊機材


私の仕事は、シルクスクリーンという手刷りの印刷職人です。

そして、それ以外にも1人でグッズ製作の仕事もしています。

コロナ前から少しずつ手刷りの仕事が減っていき、未来を悲観した社員も退社。

心機一転で設備投資したものの、まさかのコロナで仕事が激減した。

コロナの時期も行政が企画した【経営セミナー】に2年連続で参加しましたが、私の話や構想が非現実すぎて4人の講師は困り果てていました。

その後、一緒に働いている両親が癌になりました。 近い未来に【たった1人】で仕事しているイメージが無く、私は様々な副業にチャレンジしていました。

その後にも色々な問題がありました。(話が終わらないので割愛します。。。)


結論から言えば、全ての副業チャレンジは少額しか稼げませんでした。
詳細を書くと企画の内容まで到達できないほど長文になるので、それは別の機会に書きます🙇‍♂️


とにかく、生き残るために【夢や希望】は全部捨てて、自分の苦手なこと、不得意なこと、常に不安を抱え、稼げない自分を責めて生きていました。

そんな私でも、稼いでいた時期もありました。
沢山のクリエイターが集まる雑貨屋とギャラリーを運営していました。

雑貨屋閉店後、気がつくと私は過去の栄光だけにしがみつく、落ちぶれた人に成り下がっていました。

コロナ禍の副業セミナーの交流会では、数億円から何十億円と稼いでいる講師、数千万円ほど稼げるようになった先輩卒業生の煌びやかな成功体験の話を聞きながら、モヤモヤしている自分の気持ちが凄く辛かった…

本当は、自分の得意分野で働きたいと内心は思っていました。

しかし、私の業界の仕事は価格競争が激しく、まさにレッドオーシャンでした。


そんな状況では、仕事もプライベートも上手くいきません…

ここでは割愛しますが、本当に様々なことが起こりました。

そんな時に、ある方の言葉が私の胸に突き刺さりました。

お金が無い時に、お金を追いかけると『もっとお金が無くなります。』

最初は、??と思いました。

そして、次の言葉が私を突き動かしました。


『お金を稼ぐ前に必ず必要な行動があります』
それは【あなたの本当の想いを発信する】


その言葉を聞いて、私は思い出しました…


過去に、グッズ製作もギャラリーも、全て【自分の本当の想い】を発信し続けていたら、いつの間にか実現していたのです。


デザインフェスタには、8年連続でクリエーターさん達を集めてコラボイベントを企画して出展していました。

2005年デザインフェスタ


2007年デザインフェスタ_設営準備その1


2007年デザインフェスタ_設営準備その2



2009年_九段下のberでコラボ企画


2009年デザインフェスタ&設営するクリエイターの仲間達


2009年デザインフェスタ設営完了


イベント開始直前の最終確認


総勢56名の作家さんのイラストグッズ


工場の建て替えで、たまたま事務所を借りて初め店舗でコラボ企画を開催しました。

そして、私が企画を考案して製作したタペストリー展が開催。

印刷から加工まで全て1人で製作しました。

タペストリーを印刷中


タペストリー展の作品とヒョウガ本人

複数のイベントが思っていたよりも好評だったことから、事務所を大規模に改装してギャラリーとレンタルBOXまで併設した店舗を建築士にフルオーダーで発注しました。


1000万円の貯金を使って、スタッフ雇い、勢いだけで雑貨屋HYOUGAを開店しました!

構想1日(笑)その後は行動しまくって、ギャラリーの知識ゼロ、雑貨屋未経験の状態で雑貨屋&ギャラリーを開店しました。


コストを下げるために、自分で電飾看板を印刷して看板を設置しました。

自分で電飾看板を印刷
アクリル板に貼り付ける作業をやりました
完成して設置した時は感動しました!


その後、仲間のクリエイターさん達とポストカード展を企画

クリエイターさんとポストカードを飾る展示棚を自作

ポストカード展の展示棚が完成!!!
銀座のギャラリーを調べまくって、そこに負けない空間を作りました!

自作展示棚_調光付きのスポットライトその1
自作展示棚_調光付きのスポットライトその2

その後、仲間のクリエイターさん達とポストカード&ヒョウガのグッズ展を企画

初のポストカード展では、ケーブルテレビの取材を受けました。

閉店前でも来客が途切れず


作家さんを集めて雑貨屋で交流会


参加者の作品その1


参加者の作品その2


参加者の作品その3


参加者の作品その4


参加者の作品その5


参加者の作品その6


参加者の作品その7
参加者の作品その8


参加者の作品その9


キリがないので、これ以上は載せません(笑)


ミニ看板

レンタルboxも併設しました!

レンタルbox完成

続々と展示する方が増えてきました!

その後レンタルboxは全て埋まりました

その後も、ギャラリースペースで、色々なコラボ企画を考えて実行しました。

クリエイターチームのグループ展
企画の設置作業その1


企画の設置作業その2


企画の設置作業その3


企画の設置作業その4


企画の設置作業その5


続々と出展者が作品を展示準備をしている



作品の設置が終わった閉店後に1人で鑑賞しました


予想外にウケた企画がトイレ展でした(笑)

トイレ展


トイレ展が意外にも人気でした!

トイレ展が大人気(笑)


その後も、朝日新聞にも小さい記事ですがイベントを告知されました。

ヒョウガが製作したグッズ展


設営準備中その1


設営準備中その2


設営準備中その3


設営準備中その4



hyougaのグッズ展その1


hyougaのグッズ展その2


hyougaのグッズ展その3




毎回、沢山の作家さんたちが全国から参加していました。


そして、季刊エスにも雑貨屋HYOUGAのイベントが告知された時は、本当に嬉しかったです!


季刊エスに雑貨屋HYOUGAの名前が!!!


季刊エスにイベント告知が掲載されました!


その後、反響が高かった作家さんの原画展を企画しました。

原画展を設営中
原画展その1
原画展その2


原画展その3


原画展その4


歓喜するヒョウガ本人(笑)

その後は、作家さんの個展を続々と開催しました。
写真を撮り忘れて少しだけしか画像が残っていません。

個展その1
個展その2


この作品は、私はステンレスを印刷できる高額なシステムを導入して、業界で初めて『ステンレスの作品』を製作しました。

当時では、大きな施設とか高額な製品しか対応できなかった時に、小ロットで製作をしていました。(その後、大赤字で撤退😆)

個展その3


個展その4


個展その5


その後も、好評だったポストカード展は何度も継続して開催しました!
そろそろ、疲れたので画像をリンクするのは終わります(笑)

ポストカード展


トリプルワーク(手刷りのシルクスクリン印刷、グッズ製作、雑貨屋HYOUGA)の心労と日々の疲労が重なり、メンタルも不安定になってきて、運営的には利益が出て継続はできたのですが、心と体が限界を超えていました。


その後、惜しまれるつつも雑貨屋を閉店しました。😢

解体前に什器を外し、最後はオリジナルの壁に『作家さんの絵を好きに描く』という最後の企画を開催しました。

展示棚を解体するスタッフ
スタッフ4人で解体作業

そして、最後のフィナーレの企画を開催しました。

みんなの言葉とイラストに号泣
色々な所に感謝のメッセージが😢


風船にもイラストが(笑)


最後は、私の自腹で感謝を込めて参加者の皆さまを労いました😭

沢山の人たちと食事しながら別れを惜しむ

他にも色々なイベントがありましたが、顔が写り込んでいる画像ばかりなので割愛します🙇‍♂️

解体される雑貨屋。。。

少しずつ元の事務所の姿に現場復旧されていく


その後は、デザインフェスタのイベントの出展企画も辞めてしまいました。


私がきっかけで雑貨屋の近所に引っ越ししてきたクリエイターさん達
が、1人また1人と別の場所に引っ越してしいました。


その後、少しずつ私と沢山の作家さんの交流が途絶えてしまいました。


それからは、手刷りのシルクスクリーン印刷やグッズ制作に専念しました。
モノづくりの同業の仲間は増えましたが、クリエイターさんの交流が少しずつ減りまして、最後は数人規模まで減りました。


その後、コロナなどの影響で私は、モノづくり以外の副業系に盲信してしまいました。


その後も、仕事量はコロナ前の状態には戻らず、知人の会社でバイトしたり何だか自分がどこに向かっているのか分からなくなりました。

雑貨屋閉店から20年前後の時が流れました。
工場で企画を始める構想も15年ぐらい前には思いつきました。

2018〜2020年にもYouTubeを使って工場で企画を復活させようと頑張っていました。

しかし、古くて乱雑な工場と過去の雑貨屋の凄く綺麗な内装のギャラリーを比べると、その落差と過去の栄光が邪魔して、企画を実現するまでには至りませんでした。


そのまま残酷に時だけが過ぎていきました。。。

何とか今の状況を変えたい!
でも、何をすれば人生が好転するのかさえ分からない…


何かを変えたくて、突然に100日間チャレンジという思いつきの1人企画をメインのアカウントで始めてみた。しかも、内容も未完成のまま投稿…
※いま見返したら、そのまま放置してました…
なので、2日目の投稿を載せます🙇‍♂️

何かを変えたい!
でも、この15年間は空回りばかり…

そして、空回りの人生に【自分の想い】、【初めての挑戦】を100日間ほどチャレンジすることを決めました。

断っていた苦手な仕事、色々な活動をしている集団の輪に飛び込むこと、初めて経験することを繰り返したり、初対面の人とzoomしたり会ったりしました。


しかし、現実は1ミリも変わりませんでした。


刻々と時間とお金だけが消費され、私の信頼も他に落ちました。


私の周囲の人たちは、『結果を何ひとつ出せない私』から少しずつ距離を置くようになりました。
同時に私も独りになるように、みんなから距離を取り始めました。


オレは一体なにをやりたいのか…

毎日、自問自答した。しかし、答えは何も見えず…虚しく空を見上げ、そしてうつ向く。
そんな毎日の繰り返しでした…


それでも、2〜3年は自分の想いを話してみよう。
そう思っていた時に、noteの麻衣さんからグッズの相談が来たのです。

私は、無意識に自分の想いを伝えていました。

『もし、よかったら、工場で個展などの企画をやってみませんか?』


その時、過去の雑貨屋を始めた時と同じ感情と行動がシンクロしました。


過去の私は、今の工場を建て替える時に、工場の機材と私の私物を保管するために、店舗を借りて仮住まいしていたのです。


たまたま、作家さんが『ヒョウガさんのグッズを宣伝したいので、チラシが何か配れる物ありますか?』と連絡が来たのです。

その返信の時に、『よかったら、雑貨屋を始めるのでスタッフとして一緒に始めませんか?』という1通のメールがきっかけで雑貨屋が誕生しました。


雑貨屋を始めた時の「当時と似たような感覚」を突然に思い出しました!


2月21日に連絡をもらい、実際に動き始めたのは3月9日前後。

そこから、工場に見学に来てもらいトントン拍子に物事が進みました。

また、スタエフの配信で麻衣さんのリスナーさんだった「まっちゃさん」も、初めはお客様として企画に遊びに来るはずでした。

しかし、その後は、私たちの熱い想いに感化されて、いつのまにか運営スタッフとして、企画に参加してくれることになりました✨


まずは、まっちゃさんのイベント告知のブログをお読みください💡

そして、今回の企画を始めるタイミングを作ってくれた麻衣さんの告知ブログです💡


本当は、もっともっと熱い想いがあるのですが、あまりに語ると参加する人が誰もいなくなってしまうので(笑)

今回は、この辺で投稿を終わります。

とりあえず、緊張しながら今の想いを語りました💡

これから、スタンドFMの単独ライブも少しずつ配信回数を増やします!


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