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「宗教って何?」

宗教とは行動様式のこと。

宗教ってなんなんでしょう?
ネット上には、様々な定義がありますが、まとめてしまうと
「何らか大いなる存在により、人間の生活目標と取り巻く状況の意味と価値を普遍的、永続的に説明できるという信念の体系」
という事のようです。

しかし、私にとって最もしっくりきたのは、社会学者のマックス・ウェーバーによる

「宗教とは行動様式のことである」

という定義です。
つまり、人間の行動を意識的あるいは無意識的に突き動かしているものを総称して宗教であると言うことで、神様の有無は関係なく、倫理道徳や習慣風俗も一種の宗教であるというものです。

そうであれば、お正月に近所の氏神様(神社)にお詣りし、クリスマスにケーキを食べて、お葬式は浄土真宗というような、多分典型的日本人な私も、私なりの考えに基づく行動様式=宗教を持っていると言う事になります。

つまり特定の宗教に帰依していなくとも、自分なりに大事にしているものに従って生きている人は、いわば自分教を信仰して生きているという事になります。

(まあ、もちろん、その自分教の中身が問題なんですけど)

海外では宗教は人の根本

しかし、日本以外に目を向けると、宗教は何かをいつも聞かれますし、特にないって言うと、すごく怪訝な顔をされ、ないってことはないだろう?っと突っ込まれたりするので、Buddhismと答えるようにしています。

その人の根本がどこにあるのか、自分の根本はどこにあるのかを宗教によって端的に示すことができるからでしょう。

日本人の宗教=行動様式の根本は何?

では、今話題になっているような新興宗教に帰依していないし、熱心なクリスチャンやムスリムでもない日本人の宗教=行動様式の根本は何なのでしょう?

多少はエッセンスが残っているかも知れませんが、もはや武士道と言うこともないでしょう。
これは仮説ですが、だからこそ周囲との同調が殊更に重要となってしまい、同調圧力や過剰な忖度が蔓延してしまうのではないでしょうか?
そして、何か周囲に比べて不幸な事を抱えると新興宗教に走り、心の隙間を侵食され、洗脳され、多額のお布施で生活を破綻させてしまうようなことが起こってしまうのではないでしょうか?

戦前は比較的濃かったと言われる、近所の神様仏様との縁が薄くなってしまった日本人には昭和のただ猛烈に働くという行動様式の代わりの新しい行動様式の指針となるものが必要なのかも知れません。
もちろん近所の神様仏様との縁を復活強化すると言うのもあると思います。

もし、どうしていいのかわからなくなって社会や自分以外の他人のせいにしたり、過剰な自己責任追求で自己嫌悪に陥ったり、占いや、大いなる何か、神仏に頼りたくなったら、色々と宣伝に余念がない新興宗教の類ではなく、近所のお寺や神社や教会を訪ねてみてはいかがでしょう。

少しは気持ちの整理ができるかも知れませんよ。

#誇りを持って生きる
#共倒れ日本人は嫌  
#より良い自分

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