30歳という数字の重み③

芸人を辞めて数ヶ月たって 仕事を探してみたけどそれ以上にやりたいことがなかった。無理やり理由つけてみたけどどれも後付けなような気がして踏ん切りが付かなかった。海外に行ってみたかったけどワーホリや留学の説明会にいったら130万は必要だと聞いてすぐ諦めた。(今思うともっと少なくても絶対いけた。)

それで公務員の母の勧めで職業訓練校に行った。ここは条件を満たせば(実家暮らしじゃないとか、収入が低いとか、)月に10万円貰いながら勉強ができるのだ。絵を描くことが好きだった僕は広角美術科というところに入った。そこは高校卒業したばかりの子から50代の主婦まで年齢層が幅広かった。

25歳の僕は真ん中より若いくらいで色々可愛がってもらったし、少々生意気なことを言っても許された。25歳で人生に行き詰まりを感じていたが、もっと年配の人でもがいてる人や前向きに取り組んでる人を見て自分もまたまだこれからだと気持ちが解放された。逆に下の子たちをみてもっと自信を持って取り組んでほしいし、自分のこと歩んできた道は平凡じゃなかったんだとなんか変な形で自信を取り戻した。 悪い言い方をすれば弱いものを見て自分はまだまだ大丈夫だと思ったのかもしれない。性格のひん曲がったやつである。

しかし広告美術科とは別に好き勝手に絵を描いてアーティストを気取っていられるわけではなくむしろその逆、デザイナーや看板屋での作業など決まったことを正確にやることが求められた。元来の不器用さを持っていた僕はあまり性に合わず10ヶ月過ぎたところで就活を開始して海外の店舗があって給料もまあまあ高いラーメン屋に就職した。手取り25万だったが月250時間労働という中々の激務だったがお笑い時代月に2日しか休みがなく月に5000円の時代を思えばなんとでもなかった。ラーメン屋は都内に20店舗くらいあるまあまあの人気店でまあ忙しかった。でも何かに追われて余計なことを考えずに済んだ。芸人時代の友達と引き続きシェアハウスをしていたから色々と愚痴を言えたことが良かった。ラーメン屋のスタッフも声優やミュージシャン、役者など夢を追っていたり諦めたりした人がたくさんいたので元芸人のぼくも浮かなかったしみんな優しかった。

でも一年経った頃、お金に余裕が出てきて 以前から抱えていた夢がまた顔を覗かせ始めていた






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