20240721: うーん
◯要約◯
なんか偉そうな事書いてるので、
この記事をようやくすると、
自分の言葉で話せ!
思うだけじゃなく話せ!
ということです。
で合わなければ、無理に合わせたりしなくていいということです。
否定されたいわけではないけど
肯定ばっかされてもつまらんなーと思ってしまう。
あー話の階段を上がる感じが必要なんだな。
ベースに、こしあん派つぶあん派の話。
私はつぶあん派。
私「つぶあん美味い」
否定派「えー私こしあん派だなー」
肯定派「うわーめっちゃわかるー」
…では、退屈なんですよね。
(いや、ここでおもしろいのは、否定派のほうがまだ話が弾むかもしれないってこと。
「なんで?」ってなるから。
肯定されたら、まあ違う話に行けばいいのかもしれないし、自分で話を膨らませばいいんです。
が、肯定ばかりする人の場合、お互いの趣味嗜好発表会(フィードバックなし)になっちゃって退屈な場合が多くなりませんか。いや、受け入れてもらったり口から言葉を出せばそれでいいと思う人もいるので、別に発表会でもいいんですが。)
私「つぶあん美味い」
否定派「えー私こしあん派だなーだってこしあんってなめらかじゃん。粒あんって豆のくさみがあるっていうか。」
…とこられたら、こちらも
「いやいや、そのくさみがいいんだよ。ごぼうだって土くさいのがうまいじゃん。ウイスキーとかもアーシーな香りとか言うじゃん」
「ごぼうとかウイスキーはわかるけど、あんこって甘さを楽しむものじゃないの?特に饅頭の生地と混じり合った時なんかクリームのようで、、」
「なるほど。それは考えたことなかった。私はシンプルに甘いものがそこまで得意じゃない(チョコもビターチョコ派)からつぶあん派なのかも…」
「たしかに、私も甘党だと思ってたけど、ずんだが嫌いだからそもそも豆が無理かも…」
…というふうに自分にとっても相手にとっても意見を交換し合うことができると思うのです。
以上は否定派の場合でしたが
私「つぶあん美味い」
肯定派「えーめっちゃわかるー。何処何処のあんぱん美味いよー。え、でもさー、ずんだって好き?」
私「ずんだも好き」
肯定派「あーだよねー。なんかさーずんだって枝豆とそら豆があるらしいよ。そら豆のずんだって食べたことないなー」
…と、肯定+なんかを付け加えてくれれば会話に花が咲くと思うんですが
えーっとですねー
ここでポイントなのは、両者とも質問してるんですよ。
肯定派ケースにある、「ずんだって好き?」はわかりやすいですが、
否定派ケースも、「あんこは甘さを楽しむものじゃないか?」と問題提起をしております。
よくxなどで言われている気がする、
うざい否定派のパターンってやつは、大体自分の意見を言って終わりなんですよ。私はつぶあん派。私はこしあん派。いやいや、理由を述べるか、私の意見に対する問題提起をしてくれと。自分語りされるほうが、ふんふんと納得しますよね。そしたら自分の側にも語るターンが(普通は)まわってくるし。
しかし、最後に重要な問題…
私「つぶあん美味い」
このセリフは、非常に退屈なものではないかという…
いや、それくらいは許されたい、だから退屈な会話も許しましょう!
というか、意見を交換できる充実した会話は、ほんっとーに貴重だから、もっと大事にしたいし、人の話しっかり聞きたいです。
✌︎
今から健康診断受けるんですけど、
昨日夜ご飯食べはぐってしまい、お腹が空きすぎて胃酸が出過ぎてる気がします。
腹減ったし、喉乾いたし、暑いんですが、
終わったあとサイゼでの爆食への踏み台だと思って。