@TorokuAyumi

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最近の記事

新潮45とSTAP細胞

新潮社の本を棚から撤去 和歌山の書店、新潮45に抗議 https://www.asahi.com/articles/ASL9N41TGL9NPXLB006.html 新潮社社長「常識逸脱した偏見」 https://this.kiji.is/415795571616121953 『新潮45』が話題になるにつけ、気になることがある。 「新潮社の本は売らない」「新潮社の本は読まない」「新潮社では書かない」それぞれ、 経営者、個人の判断なので、それはそれで良いのだろうけれど、 そ

    • 大学の乱立と学士号の価値

      韓国の名門女子大が実業高校卒業者や無職女性に対し、面接のみを入学試験に課す学部を新設しようとしたところ、在学生や卒業生から猛烈な反発を受け、件の構想を白紙撤回するという騒動が起きた。200人の学生が建物を占拠し、その排除に1,600人の警察官が動員され、負傷者も出ているようだから相当な事態である。 ・・・・・・・・ 韓国の名門女子大、卒業式で「総長辞めろ」の大合唱 背景に根強い学歴社会 http://www.huffingtonpost.jp/2016/08/28/ko

      • 教養を疎外し、個人を否定するということ

        政府による高等教育の方針が議論を呼んでいる。 文科省が主催する「実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議」にて提言されたいわゆる「L型」「G型」は記憶に新しい。極一部のトップ校をG型としてグローバル競争に耐えうる教育を施し、それ以外はL型大学として職業訓練校化へというものだったが*、いままさにそれが現実になろうとしている。 職業教育中心の新大学を創設へ 専門学校などの移行想定:朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/artic

        • 感情論と感情で扱う論理と倫理

          わたしはすべての詩的なものは愛せども、個人の感情に当人が価値を求めたものはえてして気色が悪いと思っているのだけれど、先日、このような記事を拝読した。 ・・・・・・・・ 自分を論理的だと思っている人へ/論理的思考へのよくある4つの誤解 http://huff.to/WsWDE3 @HuffPostJapanさんから ・・・・・・・・ 「論理的思考は万能ではない」「論理的思考能力とコミュニケーション能力は別物である」というのが主軸で、言っていることはよくわかるのだけれど、

        新潮45とSTAP細胞

          炎上解析イコール自己分析

          ルミネの件である。 先日のルミネのうったCMがたいへんな炎上を引き起こしたことは記憶に新しい。上司とおぼしき男性が同僚女性と別の女性の容姿を比較し、「需要が違う」(暗におまえには需要が無い)と発言したり、ののしられた方の女性がそれを経て「変わらなきゃ」と決意するあのCMである。 念のため、経緯を示した記事も記しておく。 ・・・・・・・・ ルミネのCM動画炎上で、謝罪文を公開 - エキサイトニュース http://www.excite.co.jp/News/societ

          炎上解析イコール自己分析

          【全能感の傾向】「ありのままの自分」や「オンリーワン」のように個々人に価値を置きすぎる傾向のせいで、何とは無しに自分が尊重されるべきだと考えているひとが多い。そうして、そのような歪んだ全能感を持つひとは、自分にその価値があるのであれば他人も同様である、ということに気付いていない。

          【全能感の傾向】「ありのままの自分」や「オンリーワン」のように個々人に価値を置きすぎる傾向のせいで、何とは無しに自分が尊重されるべきだと考えているひとが多い。そうして、そのような歪んだ全能感を持つひとは、自分にその価値があるのであれば他人も同様である、ということに気付いていない。

          【原理主義】オバマ大統領の「テロリストはイスラム教を利用しているだけだ」って演説を聞いて、適応能力の低いひとほど原理主義的な思考に影響され易いんじゃないかな、と思った。極端というか、複雑になってくると理解できないし考えるのがめんどうになるなど。わかり易い例が就活に失敗した北大生。

          【原理主義】オバマ大統領の「テロリストはイスラム教を利用しているだけだ」って演説を聞いて、適応能力の低いひとほど原理主義的な思考に影響され易いんじゃないかな、と思った。極端というか、複雑になってくると理解できないし考えるのがめんどうになるなど。わかり易い例が就活に失敗した北大生。

          【シャルリエブドの件】新聞社襲撃においてのテロリストの行動はたいへんに稚拙だし、シャルリエブドの方も表現の自由はさておき他の宗教に対して敬意が感じられない。いすれにしても自分の意見を聞き入れてもらうにはそれなりの努力が必要で、それは立場を確立するということだと思う。

          【シャルリエブドの件】新聞社襲撃においてのテロリストの行動はたいへんに稚拙だし、シャルリエブドの方も表現の自由はさておき他の宗教に対して敬意が感じられない。いすれにしても自分の意見を聞き入れてもらうにはそれなりの努力が必要で、それは立場を確立するということだと思う。

          漠然と考えていて、そのうちちゃんと書こうと思っていることをこの形式で残せば良いことに気付きました。何でもメモするからアイホンにわけんからんメモがあふれてるし、あ!それ書こうと思ってたのに!ってことも無くなりそう。

          漠然と考えていて、そのうちちゃんと書こうと思っていることをこの形式で残せば良いことに気付きました。何でもメモするからアイホンにわけんからんメモがあふれてるし、あ!それ書こうと思ってたのに!ってことも無くなりそう。

          曖昧なものを曖昧なままにしておける思考の強度

          先の小泉政権における郵政解散のあたりから漠然と考えていたことが確信に変わりつつある。昨今のひとは物事に白黒つけすぎる傾向にある。「責任の所在」が追及されるようになったことと連動しているかもしれない。物事は白と黒だけではなく、灰色や透明であることも往々にしてあるのだけれど、白か黒でなければゆるされない雰囲気がある。 先日の衆院選(2014年12月)、自民党圧勝と共産党大躍進でも同じことを感じた。 何でも極端に考えているひとが増えているように思う。 物事を白黒つけたがるというのは

          曖昧なものを曖昧なままにしておける思考の強度

          好意や善意もハラスメントに成り得るということ

          「ありのままの姿」や「本当の自分」のようなものがもてはやされて久しい。抑圧された生活の中で求められる役割を演じることに疲弊し、それらの存在を信じることが生きる糧になっているのかもしれない。しかし実際のそれは「意のままに好き勝手に振る舞う粗野な自分」や「理想化された自分」をあらわしているような気がする。 社会性を喪失しても良い、というのでなければ恐らくは概ね後者への憧れであると思われるが、あまりにもそれが拡張しすぎると実際の自分とのギャップに苛まれることになると思う。 また、そ

          好意や善意もハラスメントに成り得るということ

          嫌いなものが多いということは自分の可能性を狭めるということだ

          その存在を認めると自分の根幹が揺らぐようで受け入れることができない、何となく嫌いなもの、などは誰にでもあると思うのだけれど、わたしの場合それは「東京」だった。 10代後半から20代前半にかけて、進学や就職などで親しいひとや嫌いなひとが立て続けに上京するのに何となく反発して、いや、別に博多でいいし、のように地元に固執していた。 現在は必要があって東京に住んで東京で働いている。東京でできて博多でできないことは無いと考えていたのだけれど、思いの外、東京ならではというか集権地特有の仕

          嫌いなものが多いということは自分の可能性を狭めるということだ

          「わからない」ことは武器ではない

          わたしは読解力が低く、あらゆるリテラシーに乏しく、物事を理解するのに時間がかかるし時間をかけても理解できないことが多い。そうして、そのことを恥ずかしいことだと思っているので賢いひとと話しているとついていけなくて申し訳無い気持ちになることが多いし、卑屈な気持ちになってくる。それだからこそ、そのことで相手に迷惑をかけたくないと気を付けているのだが、昨今は「アタマが悪い」ということを武器にするひとが多くておぞましい。 自分でなくとも誰かが何かを発言した際に「意味がわかりません

          「わからない」ことは武器ではない

          矛盾したイデオロギー

          邦人ジャーナリストがテロリストに拘束された際、元航空幕僚長の「在日かどうか調べてほしい」という発言が取り沙汰されたり著名人が「英雄になるために自決しろ」と言ったことに多くの賛同が寄せられているのを見たとき、とてもインターネットぽいと感じた。 自己責任論を盾に被害者が糾弾されるのはいわゆる「炎上」に近い、あるいはそのものだと思ったのだ。 ユーチューバーに代表されるように、さいきんは誰でもにスポットライトを浴びる可能性がもたらされた。その結果、爪楊枝少年のような短絡的な行動を起こ

          矛盾したイデオロギー

          それぞれの責任の所在

          後藤健二さんの解放を求める妻の声明を拝読したとき、落ち着いていながらも真摯で、とても胸を打つものだと思った。むしろ落ち着きすぎていて、世間の「自己責任」論者に配慮したものであろうことも察せられ、えもいわれぬ気分になった。以前のイラク人質事件を踏まえて、ということもあるかもしれない。 殺害後に公開された声明はそのことが如実にあらわれていると思う。 どのような方か存じ上げないので勝手なことを言うのははばかられるし、元々思慮深く、落ち着いた方で取り乱すことの無いのかもし

          それぞれの責任の所在

          努力や根性では格差はなくならない

          トマ・ピケティ氏の台頭により格差についての議論が盛んである。氏の言論について日本にはあてはまるのあてはまらないの、の議論も活発のようであるが、いずれにしても格差について考える機会のあることは良いことだと思う。 日本が格差社会に傾きつつあることには多くのひとが同意するところだろう。ただし、格差格差と糾弾されつつも本格的な議論に至らないことやそれに対しての大々的なデモ抗議などが起こらないのは日本の格差は抗議しにくいものであるからだ。 賃金の高く、安定した会社へ就職するためには良い

          努力や根性では格差はなくならない