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匂いから引き起こされた感情で

今さらだけど10月の中頃のこと。

階段を降りると、家の中なのに、最後の数段で金木犀の匂いがした。
それで、この使い勝手の悪い古い家が、とても好きだと思った。数年前に手放さなくてはならなかったかもしれなかった時にこの家を守ってくれた両親に感謝を覚え、教育のためにとここを買って、そしてわたしたちよりもずっと短い期間しか住めなかった祖父母のことを思った。

スターシードであるわたしと、
地球で肉体を持って生きるわたし

エンパスであるがゆえに空気に敏感だったこともあってか、わたしは、物心つくかつかないかの頃から自分がこの家に馴染んでいないと感じていて、常に疎外感と共に生きてきた。親に、兄弟に、何を言っても通じない。言葉を尽くしても、どうして家族とこんなに通じ合えないのか不思議だった。加えて地方の古い価値観や男性優位の家の中で、自分がなぜここにいるのかもずっと理解できなかった。幼いわたしにしてみると、わたしがここにいる必然性はどこにも見当たらなかった。

だから自分がスターシードであることに気付いた時は心底救われた気がした。
この家だとか、血筋だとかに縛られる必要はないのだと思い、自分が感じていた疎外感に合点がいった。


けれど、今のわたしは肉体を持っている。
魂はどこか別のところから来たとしても、
この世界を経験するために
金木犀の匂いからこの感情を得るような
そういう体験のためには肉体が必要で、

魂が宿るための肉体を繋いでくれたのは、
わたしと相性が良いとはとても思えない両親で、
(わたしとはまるでウマが合わない、例えば学生の時だったら、同じクラスになっても絶対仲良くなれないタイプの人間)
その先には、話しかけることすら躊躇われるくらい遠く感じていた祖父母、直接知りもしないのに古い価値観でわたしを縛る(ように感じてきた)たくさんの祖先が含まれている。

わたしが、家から、先祖から、わたしを縛るありとあらゆるものから逃れたいと思ってきたことに対して今わかることは、
彼らはみな、子供にどう接していいか、
ひいては自分がどう振る舞えばよいのか、
何もかもわからなかったのだと思う。


そして恐らく彼らは彼らで、その時代に地球で与えられた役割を全うしたにすぎない、ということ。
わからないなりに、必死で最善を尽くしていたのだということ。

たとえそれが、結果的に最善たり得なくても。


理解が及んで
やっとスタート地点に立つ

それで初めて、
ご先祖さまに感謝する意味や、自分があえてここを選んだことに合点がいった。自分が望んで、体験したかったことを体験しているのだと理解した。
感謝がどれだけ強力かということは散々語られているけれど、実感が伴わないことには真の感謝にならない。パフォーマンスとしての感謝をしようとしてはそのたびに自分が自分でなくなってきただけに、わたしにはもっと下準備が必要だったのだと知った。

あらゆるバックグラウンドを否定するということは、根本から自分自身をも強く否定するということ。
長く感じて来た疎外感は結局のところ、わたしがそれを体験するために持って生まれて来た孤独の表れにすぎない。その孤独感に寄り添ってくれるように思えたスターシードというアイデンティティを、「自分はスターシードだから」と表面的な捉え方をして、眠っている人をスケープゴートにしてしまうような側面がわたしにはあった。これでは分離の助長になってしまう。

だから、あらゆるジャッジを手放そう、と先人は言うのだと思う。
「あの人はこういうタイプだから、わたしとは合わない」
そういうジャッジを今まで幾度となく繰り返して来た。わたしの場合、その原点はかなり深く、家族に対して根差しているように感じる。家族の形態、名前、受け継いだ容姿や体質。あらゆるものを否定することからわたしの人生は始まっている。
もうほんとに深く、自分の存在そのものからの分離を、強く体験したかったのだと今は思う。

経験上、ジャッジをせずに過ごしていると、現実でもラッキーな体験をしたりする。
統合することに注力して生きるわけだから、宇宙が味方してくれるのは当然かもしれない。


それにしても、ほんとうの魂というのは物好きだなと思う。何なら、かなり悪趣味だとさえ思う。

でも、地球にいるわたしだって、誰かが悩んだり、騙したり奪ったり、ひどい時には人間が殺されたりするドラマを見て喜んでいたりするので、案外そういうものなのかな、とも思う。
(最近までヘラパレスという凄まじい韓国ドラマを見ていた)




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