デスの気持ち葬りたい2

すこし前 付き合ってた人に「死にたい気持ちは、本当は生きたい気持ちでしょ?」って言われた。びっくりして、何も言えなかった。その言葉は遠くから飛んできた矢の言葉だった。しっかりと私を捕らえて、苦しめたよ。悔しかった。内臓が冷たくなっていくのがわかった。ほんとうは立っていられないくらいだったけど、なんとか話を合わせた。──そうかもね。死にたい気持ちが強いってことは、それだけ生きたいってことなのかもね。

何言ってんの。死にたい気持ちは、死にたい気持ちだよ。生とは違った場所にある別の感情だよ。そんなに単純だったらこんなに苦しんでない。死にたい気持ちが、そのまま生きたい気持ちだったらどんなによかったろう。そういうふうに生きてみたかったよ。

そうしたら、次の冬がくる頃にスピーカーの向こうから声がして、「戦ってるんだよね。死にたい自分と、生きたい自分が」と言った。それは遠くから聞こえる言葉じゃなくて、半分は私のために、残りの半分はその人のための言葉だったみたいに思った。

自分じゃない誰かが、私を死の淵に落としてこようとしているんだ。でも、それに対抗して生きようとする私も、また別の存在みたいに感じる。どちらも味方のようでいて、私とは違う存在だ。

JOCの経理部長が自殺したってニュースにわたしは落ち込んだ。なにって、その死に間際の姿に。当時の現場に居合わせた目撃者によると、その経理部長は迷っているかのようにホームの上をうろうろとしていたらしい。そうなんだ。死を決行した人間もそうなんだ。生きたい自分と死にたい自分が奇妙に同居して、気まぐれみたいに死を決行するんだ。きっとみんなそうやって自死を達成するんだ、ってことがわかって私を落ち込ませたんです。死にたい気持ちがだんだんと高まって、デスの気持ち100%になったときに死ぬんじゃない。死んでもいいし、生きてもいい、どちらを選ぶもすごく自由で、どっちでもいい、少しのきっかけがあれば死ぬことができるんだ。きっかけはちいさな理由かもしれないし、天気が悪かったとかそういうことが理由になり得るかも。もしくは、ほんとにただの気まぐれ? そう、気まぐれで死ぬってこともあるのかもね。

なあんだ。じゃ今の自分とまったくの同じじゃん!そうそう私はというと、こうやってダラダラと生の延長戦を続けてまーす。死んでもいいし、生きてもいい。どちらを選ぶもすごく自由で、どっちでもいい。でももし、少しのきっかけがありさえすれば…いや、ない。きっかけなんてない。探そうとしてないだけかな? それとも隠してる? 意識の外に追いやろうとしている? どれでもいい。とにかく私は生きている。死んでもいいし生きてもいい状況の中で、強いきっかけもなく、惰性で生きている。生きたいわけじゃないし、このままでいいわけでもない。ただ、昨日もおとといもたまたま生きていたから、今日と明日も何も考えずに生きるを延長してるだけ。かろうじの生きる。あるいは少なさを生きている。そして、死ぬまでこれが続くということがわかって深い絶望、と思ったけど、よく見ると絶望の中にすこし明るさがある。このまま、何も変わらないことがわかったことの安心。結局、このままだらだらだらだら何も考えずに生き続けるのかな。

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