部屋で一人うずくまってるアンタに用がある

大丈夫と大丈夫じゃないとを行ったり来たりしすぎて心が磨耗している。
死にたくない時の気持ちを忘れないために、死にたくない時に死にたくない気持ちをどこかに残しておく。書くことで、誰かにこっそり告げることで。そうやって自分の存在を確かなものにしていかなければならないほど希薄すぎる私だ。

安心できる場所が欲しい。安心できる場所をあなたは持っていますか? もし持っているという方はおめでとうございます。あなたは世界から祝福されています。帰ってこれる場所があるということが、どれだけあなたを救っていることか。あなたはそれに気づいているだろうか。気づいていなかったら教えてあげたい。あなたはあなたが幸福であることを知る義務がある。あなたは幸福で、私はあなたが羨ましい。

安心できる場所を一度も持ったことがない方、あなたを救ってあげられなくてごめんなさい。どうしてもそれは難しいみたい。私は引きこもりだった頃、人と関わりたくて、誰かを助けたい願望が強かった。だからサンタクロースになりたかった。姿を見せずに幸福を配る人間。感謝の声を聞かずにプレゼントを黙々と配る人。そういう人になりたかった。もちろん、引きこもりの人間は、人が欲しがるものなんて持ち合わせていない。なんにもあげられない空っぽ人間が現実。残念。

このお話は私がいくつか抱えているオブセッション(強迫観念)の一つで、今もこの思いが強い。人を、助けてあげなければならない。私は私の弱さを知っているし、持ち合わせている幸福、人に配ってあげられる幸福が少ないことも知っている。それでも、誰かを助けなければならない。この愚かな信念を私は疑えない。

しかし、しかしなのだ。
人を救うことはそんなに簡単なことではないみたい。私の人生のひとかけらを捧げたって、誰も癒されない。人を救うには、人を救うには、人生の全てを賭さないといけないのかもしれない、と気づき始めた。人生の全てを捧げて、それでようやく一人の人間が救われるのかもしれない。こんなにも、こんなにもお粗末な話があろうか。それではいったい、誰があなたを救うっていうの? 自分ではないことだけは確かみたいだ。その事実が苦しい。私は、私だけが救われるなんて嫌だ。私を救う前にあなたを救いたい。

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