タイトルなんて書きたくねえよ

またがっかりしちゃったな。いいかげんもう何にも期待してなかったつもりだったけどまだダメだったみたい。期待は徹底的に潰しておかないと。裏切られた時に悲しくなってしまうからね


思い返すと、鬱がもう15年くらい続いている。巨大な無気力と無感動が度々私を襲う。自殺なんか考えたことのない人なんかにはわからないでしょう?死の淵に立つ感覚。私には、ギリギリのところまで行ってしまったことが2回あった。たった2回。こんなにも長く生きながられているのにたった2回ですんでよかった。そして、生きている。

であるのに、自分はあまり自分のことをかわいそうと思ったことはない。えらい、のではなく、自分のことを惨めと認めることが耐え難い屈辱だからそうする勇気が出ないだけだ。だから、最近はすっかりダメだ。毎日泣いてしまう。泣いてばかりいるからかまつ毛がすごく強くなった。それはいいことだ。

さて。

この世の中に幸福な人間がいるとわかったとき愕然としましたか? 幸福というものが、ことばや映画や音楽の中にしかないものじゃなくて、実在のもので、しかもそれを所有する人がいるんだと知ったとき、絶望を味わいましたか? 私です。私なんですそれは。幸福って実在するんですよ。まやかしや慰めや気まぎれのものではなく、きちんと、幸福というものが かたちをもっているんだ! と気付いたときは愕然としました。いやはや、あっぱれおみごとこりゃ参ったねってな感じで、白旗を振りたい気持ちになりました。本当にお見事降参打つ手なし。でも何にたいしての降参? 幸福な人に対してか世界か自分の人生か? 

どん底の落ちこぼれでしたが、これでも一応美術大学でデザインを学んでいたんです。えへん。在籍していた同じ学科の2つ下の学年にSという人物がいた。こいつです、私を確実に絶望へ突き落としたのは。Sはいつでも温もりある空気を周囲に纏わせ、明るく、元気いっぱいだった。つくるものも、語ることも裏も表もございません。ハッピーそのものです。ハッピーを具現化し、周囲にハッピーを配る幸せ人間。

衝撃。
本当になにも言えなくなったんですよね。

ただ、いいんです、作品が。まず造形の豊かさが違う。色彩は踊り、かたちは舞う。目が楽しい! ずっと見ていたい! そしてかたちと色に込められたストーリーが雄弁に語り出すあたたかさ!......非の打ち所がありません。
幸福な人間だけが、いい作品をつくれるんですね。かわいそうな人は何をつくってもなんにもならないのに。あの、これは本当なんです。幸福な人間はみんなにハッピーを配ってあげられるんです。でもじゃあ、幸福じゃない人間は…? 悪いことは言わない。あなたの残り少ない元気をあなたのために使った方がいい、のかもしれない。

傷つけられてきた人間だけの特権があるような気がしません? 傷を知った人間だけが持ち得る優しさってあると思いません? 残念、ありません。浅い傷ならそこから回復することもたやすいでしょうが、深い傷は無理、死にます。一生傷を庇って生きていくしかありません。両の手のうち、片方は自分の傷を押さえながら生きるしかありません。片手だけで生きていくことがどんなに困難なことか。生きることが困難な人間をあまた見てきました。そこから救済される人もたくさん見てきました。

でもじゃあ自分は? 自分が救われる番はいつくるんだろう?? 

だんだんと自分のことがわかってきたのだけど、本当に心底、自分は他人を信用していないのだと思う。どんなに好きになった人間も、いつか裏切られるのだと思っている。裏切られることに怯えているのではない、最初から諦めているのだ。ボーダーの方々で、誰かに救済されるような人は、最後のひとかけら、人に対しての信用が残っているんだ。人を信用していない人はだれからも信用されない。救われない。しかたない。


傷ついたということがむしろ自分の支えだった。傷つけられたから、今の自分があるんだと思い込もうとしていた。だから自分は作るんだ、と。私はつくることに執着している!こんなにもつくることに集中できるのは自分が傷を持っているからだ! ...でもそんな理由にすがってないとものを作れない人間は、ものを作る資格なんてないんですよ。誰も求めていない、そんなものは。醜い傷を早く仕舞え。全部無意味。おしまい。

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