正しい歩行

例えば4月の風が抜ける駅の地下街において、正しい歩行を試みる。

まず背筋を伸ばす。体全体に芯が通っていて、私の背骨は地球の中心を指す精緻なコンパスのようだ。真っ直ぐに屹立している背骨の上には、ストンと乗った頭、まるで重さがないかのように。左に見える女の子が持ってるタピオカによそ見しないし、右の可愛い洋服のお店も見たりしない。どこにも注視せず、全てのものを見ようとする。そうすると、眼にうつる全てが自分のものになった気がする。

右手についてる五本の指は、ふっと閉じられている。握りこぶしを忘れたみたいに優しく。空気と握手しているみたいに柔らかく。右の腕全体もあくまで脱力している。やや几帳面に振りかぶるが、あくまで自然に。無理な脱力ではダメだ。ふにゃふにゃのタコになってしまうから。

意外に思うかもしれないけど左手はポケットの中にいる。4月の駅地下を正しく歩くには、これくらいの気軽さがちょうどいい。今日来ているジャケットは手を入れやすいようにポケットが二重になっている。上から物を入れるためのポケット、横から手を突っ込んでカッコつけるためのポケット。私の左手は横のポケットに収められている。奥まで突っ込むのはわざとらしくて野暮だ。たまたま手の置き場に困ったからここで休んでいるだけ、というようなさりげなさ。

私の右の足と左の足はこんなにも軽い。右足。体の中心線の延長線上に、私の踵はおろされる。踵から土踏まず、土踏まずから足の先、足の先の親指の腹にわたって移動する重心をしっかりと確かめる。気づくと左足の番になっている。右足はゆっくりと後方へ去るが、端役に甘んじる訳ではない。堂々たる尊厳をもってして、もう片方の相棒に床上の舞台を譲ったまでだ。左足だって事情は同じで、自分の役割をちゃんとわきまえている。

こうやって、私の正しい歩行は完成を見る。もし私がハイヒールを履いていたなら、美しい靴音を奏でられただろう。残念ながら今はブーツを履いているので、私の足が優秀なメトロノームだということは、誰も気づかない。いま、私の背筋は美しく緊張しているはずだ。

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