しなないったら!

どんだけハッピーな日でも家に帰ると死にたくなる。これが結構やばくてですね、壁に頭ガンガン打ちつけたり、衝動的に6階の手すりの向こうへ躍りだしたくなるから厄介。ていうかさっきまでのハッピーな気持ちはどこに? 自分はアンハッピーの天才だ。今日なんかはお酒を飲んだからもう最悪ですね。鬱鬱鬱。あは〜。まじであと何回この希死念慮を乗り越えればいいんだ。死なない死なないと呪文のように呟いて、それでもどうしようもないからもう一度コンビニに出かけて、ほろよい買ってきてこの駄文を散らしている。推敲ゼロの意味の無い文ですこれは。書いている間は普通に息できるから助かるぜ。

パーティ鬱、ていうのはみなさんあります? 私はと〜〜〜ってもありますね〜。楽しいことのあとは反動でめっちゃ鬱です〜。やばいやばい。
自分では勝手に誤診断だと思ってるけど、自分は双極性障害のきらいがある。でもそれは正確には間違っている、たぶん。だって、一日のうちにこう何度も気分がアップダウンしてたらどうなると思います? 死ぬわ。躁転鬱転反復横跳びじゃこちとら〜、おらおら。だからつーかなんというか、自分のこのアップダウンはほんとうの双極性障害のそれではないと思う。昔は確かに躁状態がやばかったけど、最近は落ち着いているので。とっても穏やかな躁〜〜〜からのどん底鬱〜〜〜てな感じよ。というかこれ、ただの鬱ですか?

鬱の話は楽しくないからやめよう。

HSPの話をする。こっちも楽しくなさそう

自慢するぜ

私はくそくそくそヘビーなHSPで〜〜す。 じゃーん。

ていうのもだな。まあ色々あるんだが、一つ生きていく上でマジで私の障害となっているのが、心の機微が体にあらわれすぎるというもの。これは適応障害て言うのか? たとえば、なんか不安なことあんじゃん? そうすっとちゃんと立ってられないほど元気がしおれてしまう。そういう時はトイレに逃げ込んだり、可能なら横になったりして回避する。いざ、てときに落ち込むことがあると何も手に付かない状態になってマジで詰むよね。

もう一個はね、これはほんと自分でもよくねーなーて思ってるんすけど。こだわりが強すぎるというもの。それでね、自分は自分の作ったもので満足したことがない。これは私自身をとっても苦しめている要因の一つ。どれだけ大事な絵だと思っても、時間が経てばもう鮮やかに見えない。粗がどんどん見えてしまってダメだ。だから私は作ることでは救われない。作っている最中の、かたちが立ち上がっていく瞬間、その短い時間だけ、私は安心できる。

もの作ってる時なら、この性向は助けになるのかもだけど、これをコミュニケーションにも適用しちゃうんだから困ったものなんです。コミュニケーションを、ベストなものにしたい。相手を尊重して、相手の歩んできた過去、そして今向き合ってる現在、歩むであろう未来の全てを好きになって、その状態で私は私の一言を投げかけたい。そうじゃないと言葉はすべて嘘にならない? それがね、すごく嫌で落ち着かない。私はある時から3人以上が集まる場所で話さない、て決めたの。3人以上が集まると、誰に没入すればいいのかわからなくなるから。それでコミュニケーションが薄まっちゃう。働くようになってからはそうもいかんけど...。

でもさあ〜〜〜〜〜こんなお花畑なコミュニケーションがさ、いっつも成り立つわけないよね〜〜〜〜〜。だから、自分はもっと雑な気持ちをもって、薄っぺらの表面的なことばでもありがたがるべきだと思う。だってそれでもさ、自分に向けられた言葉だから。相手がこれをしゃべってあげようとと考えて渡してくれたことばのはずだから。


ていうかそうじゃなくって! とにかく、今日はちゃんといい日のはずだったでしょう??

いつもはふにゃふにゃしてる恩師が、自分に向かって真剣に言葉をくれようとした。お酒を飲みながら。あの人があんなに語気を強めて話すのを初めて聞いた。私はちゃんとそれを聞いた。それだけで私ははっぴー。生きていけるね。

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