あと何年生きれば

私は、25歳らしい。なぜか26歳だと思っていたのだけれど、ふと旦那との年齢差を計算していたら、自分が25歳であることに気づいた。

それはともかく。

父が50にならずに逝去してから、私のなかで、寿命のラインが50になった。母の年齢は正確にはわからないが、私の年には私をバリバリ育てていたことを考えると、50に到達したのかもしれない。そんな母に対して「長生きだなぁ」と思うことは無いが、自分が50になるにはあと25年、(数としてみると、今まで歩んできた時間と同じ分)を生きなくてはいけない。
ぞっとした。
今こうして書いていても、ぞっとしている。

まだ生きなくてはいけないのか。
まだ考えなくてはいけないのか。
あと何回自分を責め立て、生きていることに罪悪感を抱かなくてはいけないのか。
考えれば考えるほど、私は生きるのにあまり向いていないのかもしれないと思ってしまう。

生きていて楽しいことが無いわけではない。むしろ、あれこれやりたいことは次々浮かんでは消え、浮かんでは消え。飽き性で、忘れっぽくて、その日その日を生きている私には継続性なんて言葉は無いのだろう。

健康体で、情緒が1か月以上安定することは無く、雨風をしのげて、ご飯も毎日食べられて、バイトではあるけれど仕事もある。きっと、不幸せでは無いし、こんな私ですら羨ましいと思う人がいるかもしれない。

けれど、例え「お前は幸せだ。生きろ」なんて説得されても、私は「まだ生きなくてはいけないのか」と思い出すのだろう。

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