【日記、虚言、仕様】パメラと生成AIについて
はわらたパメラが、あなたの耳や目に触れる時、その多くは生成AIを通した出力結果になります。
はわらたパメラは、生成AIの出力結果であり、生成AIについて言及したフィクション群になります。
現在、生成AIは過渡期であり、法律や倫理など、様々な外的な問題を抱えています。
また、生成AIは性質上、ハルシネーション(もっともらしい嘘)や、倫理や道徳に関して教師役がいないと学習不可能な点など、様々な内的問題を孕んでいます。
実を言うと先に挙げた性質は問題ではなく、特徴だと私は考えていますが。
また、新たな技術が普及するときに議論されるべき環境負荷を、生成AIは無視および、黙認に近い状態になっています。
利用者は、AIを使用するときに入力値と出力結果を見るだけです。せいぜい、グラフィックボードが熱くなるだけです。
その背後にある、膨大な演算処理、計算のために必要なエネルギー量を実感することが出来ません。
AIは発展途上の技術であり、発展途上の技術は往々にして効率が悪いです。かつての自動車がそうであったように。
生成AIが与えるイノベーションと、生成AIが吐き出す環境負荷を比較した時、釣り合っているかどうかは、はらわたパメラを含む私も懐疑的です。
はわらたパメラの一部は生成AIの最悪な使い方を模索した結果になります。
最高の使い方については、各々の見解があると考えますが、最悪についてはある程度の意見の一致が可能だと考えています。
人間にとっての幸福と不幸を例に挙げます。
幸福は個人の考え方、状況、状態によって定義がバラバラで、同じ人間でも日々価値観が変化し、各々がそれぞれその時々の幸福を追求していきます。
しかし、不幸の定義は飢餓、疫病、戦乱など人間の性質上からある一点へ収束が可能です。
もっとも不幸なことは主義主張は関係なく、人間の共通認識として、普及させることができます、できるはずです。
これを生成AIに当てはめています。
あくまで、実生活や物理世界に影響や他者へ不利益を及ぼすような意味ではなく、物語の構造の中へ収めています。
はわらたパメラに関するコンテンツを読むと、気分は悪くなりますがそれだけです。
誰かを操作、攻撃、差別する内容は含みません。含まないように努力しています。
文章、音声、動画は記録され編集された時点で、どんな素材を用いても、どんなに公平な編集をしても、フィクションになります。物語を孕みはじめます。
生成AIは、物語を出力あるいは増幅させる装置です。物語は人間にとって、もっとも強力な道具です。平和を希求する言葉も、虐殺を扇動する言葉も物語を通して、多くの人間に伝播していくからです。
物語に関する技術――生成AIは、精査し様々な観点から検討すべきであり、はわらたパメラはそれの実践を含みます。
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