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0421:小説『やくみん! お役所民族誌』[6]

第1話「香守茂乃は詐欺に遭い、香守みなもは卒論の題材を決める」(6)

<前回まで>

        *

 朝の澄舞県庁前バス停は、多くの人が降車する。いつもなら、みなもはぼんやりその様子を眺め、そのまま澄舞大学前まで移動するところだ。今日は初めて、澄舞県庁前でバスを降りた。
 道路から広い前庭を挟んだ向こう、コンクリート打ち放しの6階建てビルが、澄舞県庁本庁舎だ。上下に軽く押しつぶしたサイコロのような安定感のある外形は、今時のそれとは異なる、昭和の建築デザインだ。明るい灰白色のコンクリートと黒い窓枠が整然とした升目を描き、美術的風格というべき佇まいが感じられた。
 すぐ右手には庁舎と同じくらいの高さの山があり、麓には石垣が聳えている。その上、木々の緑の更に上には、漆黒の松映城天守閣が空の青に映えていた。本庁舎が建つ場所は松映城三ノ丸跡地で、幕末まで藩政の中心施設が置かれていたという。つまりここは、江戸時代から連綿と続く行政拠点ということになる。
 バス停から人の流れに沿って歩くと、みなもは自然と本庁舎玄関にたどり着いた。秀一の通勤時間と重なる筈だが、それぞれ執務室へと急ぐ大勢の職員たちの中に彼の姿を見つけることはできず、みなもはほんの少し気を落としてエレベーターに乗り込んだ。
 生活環境部のある6階で降りると、すぐ正面の柱に執務室の配置図が掲げられていた。それを眺めて初めてみなもは、この建物が四角い箱ではなく、中央が天まで吹き抜けたロの字型の回廊式であることに気づいた。エレベーター正面の広々とした窓は中庭に面し、朝日が眩く差し込んでいる。目指す生活環境総務課は右手、回廊の南側に面しているらしかった。
 腕時計に目をやる。8時10分、澄舞県庁の始業時間まで20分ある。始業の少し前に来ればいい、とは聞いていたけれど、早すぎるだろうか。
 みなもはしばし逡巡し、脳内で入室手順をシミュレーションすることにした。まずは部屋の入り口で全体に挨拶だ。明るく元気よく、はきはきと。みんな挨拶を返してくれるだろう。それから、部屋にいる一番偉い人を見つけて、あらためてご挨拶。あとは、以前電話をくれたカワカミ課長補佐を頼って、その場の流れにうまいこと乗っかって……。
 チーン、とエレベーターが鳴った。肩越しに振り向くと、開いたドアから若い男性が一人降りてくる。濃い紺色のスーツ、撫で付けた髪、黒縁の眼鏡。如何にもスクウェアな公務員という雰囲気を醸し出していた。
 なるほど、これが厳しい公務員試験をくぐり抜けた県職員というものか。まだ青年といった年頃で、秀一より少し先輩くらいだろうか。大学生のリラックスした雰囲気のままスーツを身につけたような秀一とは、空気が違った。
 青年は、柱の配置図に目もくれることなく回廊へ歩いていく。もしかすると生活環境総務課の職員なのか。みなもは彼の後から少し離れて、おそるおそるついていった。
 執務室のドアは開け放しになっていた。青年は、つかつかと執務室の中に入る。1秒ほど間をおいて、張りのある高い声が聞こえた。
「おはようございます! 今日からインターンシップでお世話になる小室隆朗(こむろ・たかあき)です!!」
 学生かよっ! 同じインターンシップ生かよっ!!
 他大学の男子と一緒になるとは課長補佐から聴いていた。聴いてはいたのだが、今の今まで念頭から落ちていた。
 廊下の中途で立ち止まったみなもの耳に、部屋の中から小室に挨拶を返す数名の声が聞こえた。脳内シミュレーションした手順を先に言われてしまった形で、一瞬、頭が白くなる。
 ええい、ままよ……って古い小説で読んだ台詞は、こういう時に使うんだよな。
 みなもはノープランで足早に執務室入り口から一歩入り、小室に負けない声を張り上げた。
「私もです! インターンシップでお世話になる香守みなもです!!  よろしくおにぇが……お願いします!!!」
 60度に頭を下げながら脳内は(噛んだ噛んだ噛んだ~)とぐるぐる。1.5秒の沈黙。あはは、と皆が一斉に笑って、口々に「おはようございます」と明るい声が返ってきた。顔を上げると、既に出勤していた職員数人の柔らかな視線がみなもに集まっていた。小室の表情にも堪え切れぬ笑みがあった。
 ……よし、つかみはO.K.、結果オーライ。私はやる時はやる女。
 一瞬でポジティブマインドが復活し、みなもも笑ってもう一度軽く頭を下げた。
 部屋の奥、窓際に座っていた細面の中年男性が席から立ち上がり、みなもと小室に近づいてきた。
「先日お電話した河上です。ふたりとも、今日はよろしくお願いします。ここで少しセレモニーしてから、消費生活安全室に案内します。ごめんなさい、ちょっと今バタバタしてるんで、8時半から始めますね。それまでここで座っててください、ごめんなさいね」
 彼は早口にそういうと、ふたたび席に戻った。えらく腰の低い人だな。河上直(かわかみ・すなお)課長補佐、一週間ほど前にみなもに電話連絡をくれた人だ。今の様子から、小室にも同様の電話があったのだろう。
 部屋の奥にある簡素な白いテーブル、そのパイプ椅子にふたりは並んで腰を下ろした。すぐ目の前、中央の窓を背にした事務机には小柄な女性が座って電話をしている。一瞬、彼女はふたりそれぞれと視線を合わせて軽く会釈をし、再び目を逸らして電話の相手と話を続けた。机上の木製の三角名札には「課長 小峠美和子(ことうげ・みわこ)」とある。彼女がこの課のトップであるようだ。
 小室と雑談を始めるわけにもいかず、みなもは所在なく部屋の中を見渡した。建物の外見と同様に、内装は古びた印象を受ける。机や椅子、書類棚などは、澄舞大学事務室と同じようなありふれた事務用のそれだ。
 部屋の入口すぐのところには、8人分の机がまとまってひとつの島を形成している。上には「総務予算グループ」の木札。窓からの外光を背に室内を見渡せる単席が三つ。中央が小峠課長で、テーブルに近い左手の河上課長補佐は額に手を当てて何事かを考えている。右手は今はまだ空席だった。
 部屋には出入口の他に、左右にひとつづつ、扉があった。どちらも開いているが、部長室の札がある部屋の照明は消えていて暗い。もう一方の次長室には人の気配がした。
「そういうことならなおさら、広報課として約束違反のペナルティを課すべきでしょう」
 ふいに電話に向けた課長の小さな声の中から、広報課という言葉が鮮明に聞こえた。秀一のいる課だ。みなもは顔を違う方向に向けたまま、なんとなく耳をそばだてた。会話から何事かトラブルの気配が漂っている。始業時間前なのに、もう仕事は始まっているようだった。
「消費室長の意見はこの後確認させる。うん……いやそれは。あちらと県の信頼関係の問題だから、ケジメはきちんとしないと」
 河上補佐が、ちらり、と小峠課長の方を見るのが、気配でわかった。どうやら河上も小峠の電話の内容を気にしているらしかった。

        *

 8時半、始業のチャイムが鳴り響いた。何かの音楽のメロディ、みなもには聞き覚えがない。
「また後で電話します。はい、では」
 小峠課長は途中で話を打ち切る雰囲気で受話器を置いた。立ち上がると、みなもたちに近づいてくる。二人は慌ててその場で立ち上がった。
「小室さんと香守さんですね? 私は生活環境総務課長の小峠です、よろしくね。──それじゃあ、みなさん注目!」
 小峠課長が声を上げると、室内の全員がさっと立ち上がったので、みなもは少し気圧された。執務室の中にいるのは全部で14人ほどだ。年齢層は三十~五十代と幅広く見える。
 次長室からも一人の男が出て来た。五十代半ば、細身の坊主頭。前には出ず、他の課員の後ろからニコニコとこちらを観ていた。
「今日から三日間、インターンシップとして生活環境総務課で一緒に働いてくれるお二人です。じゃあ、あらためて簡単に自己紹介を」
 小峠課長に促され、自然と小峠の側にいたみなもから口を開いた。
「澄舞大学3年の、香守みなもです。文化人類学を専攻しています。よろしくお願いします!」
 みなもが頭を下げるのとほぼ同時に、部屋の中が大きな拍手で満たされた。顔を上げると、誰もが笑顔だ。少し肩の力が抜けた。次は小室の番だ。
「五百島(いおしま)大学3年、小室隆朗です。専攻は法学、民法です。どうぞよろしくお願いします!」
 大学名を聴いて、みなもは内心(おおっ)と思った。五百島大学、略称いお大。旧帝大でこそないが、澄舞近県では一番の国立大学だ。学部によるが入試偏差値は澄舞大学より5ほど上をマークする。
 澄舞の高校生で、一定の学力と家庭資本を持つ者は、関西や関東の大学に進学することが多い。しかし、子供は優秀だけれど遠方に行かせたくないと考える家庭にとって、大きな山地を越えることにはなるが高速なら三時間かからずに行けるいお大は魅力的な選択肢だ。みなもの同級生も一人いお大に進学している。
「香守さんは広報系の仕事に関心があるということです。ね?」
 課長の言葉にみなもは頷いた。
「小室さんは法令に関わる部署が希望でした。なので、インターンシップとして生活環境部にお迎えするお二人には、広報も法執行もある消費生活安全室で行政の現場を経験してもらいます。消費室はこの建物ではなくて、ほらあそこ、黒っぽい建物の5階にあります」
 そういって課長は窓の外、斜め左を指差した。県庁敷地内のクリーム色の4階建て分庁舎の向こうに、黒いガラス張りのビルが頭を覗かせている。
「この後、河上さんが案内してくれます。それじゃあ、三日間、頑張ってね。以上! 後はなおちゃん、よろしく」
 「なおちゃん」と呼ばれたのは河上補佐だ。大人になってもちゃん付けで呼ぶことがあるのか、とみなもは好意的な驚きを覚えた。職員たちは自席に腰を下ろし、小峠課長も席に戻った。
「じゃあ、一緒に行きましょう」
 河上補佐に促され、二人はバッグを持って出入り口に向かった。
「あ、なおちゃん、ちょっと」
 小峠課長が微妙にトーンを落とした声をあげ、河上補佐は課長のもとに歩み寄った。みなもは廊下に出てから振り返り、その様子を眺めていた。二言、三言、課長が何事かを話す。河上は小さく頷いた。二人とも、挨拶の明るい笑顔とは異なる、真剣な表情だった。

        *

 澄舞県庁本庁舎は昭和34年の建築だという。ロの字の6階建て庁舎から南側へ、2階建ての建物が接続している。
「これは澄舞県議会」
 庁舎前を歩きながら、河上補佐が二人に説明をする。「あっちは教育委員会で、正面の道路向こうにあるのが澄舞県警。その両側も県の庁舎で、県土整備部や教委以外の行政委員会なんかが入ってます」
 みなもは、はい、はいと元気に頷いて、その実あまりよくわかっていない。小室は違った。
「こんなに庁舎が分散していては、部局間の意思疎通が不便ではないですか?」
「おー、するどいね。そう、不便なんですよ。とても。でもねえ、仕方がない。澄舞県庁は昭和三十年代の建築で、当時は手頃な大きさだったんでしょう。でも、その後の社会の変化とともに行政の役割はどんどん拡大して、それに伴い人も増えていった。今ではとても本庁舎だけでは入りきれないんですよ。ひとつにまとめれば便利なんですが、本庁舎を建て替えるだけの財力は、今の澄舞県にはありませんし」
 河上補佐はハイトーンで滔々と語る。
 やばい、話題に置いて行かれる。みなもは脳を巡らせ、どうにか話の流れに沿った質問を0.5秒でひねり出した。
「だから消費生活安全室も別の建物にあるんですか?」
「それはまた別の要因もあってねえ。消費室は本庁の一部であると同時に、地方機関の消費生活センターでもあるから。詳しい事は、向こうで教えてくれると思いますよ」
 押しボタン式信号を渡り、澄舞県警前を左に折れる。本庁舎玄関からここまでおよそ100メートル、更に100メートルほど歩いて、目指すビルに辿り着いた。
「ここが澄舞県市町村プラザです。本庁舎に比べて、新しいでしょう? 県の建物じゃなくて、平成一桁に建てられた市町村総合事務組合の建物なんです。県も一部を間借りしてるんですよ」
 みなもは黒いガラス張りのそのビルを見上げた。今日から三日間、ここで過ごすんだ。よし、がんばろー。思いを新たにしているうちに、河上補佐と小室はさっさと中に入っていった。みなもは慌ててその後を追った。

【続く】

--------(以下noteの平常日記要素)

■本日の司法書士試験勉強ラーニングログ
【累積159h07m/合格目安3,000時間まであと2,841時間】
実績33分、ドリルをちまっと。

■本日摂取したオタク成分(オタキングログ)
『鬼滅の刃 無限列車編』第4話、うん、このラスト部分は名シーンだよね。精神攻撃で相手の脳内に嫌なイメージを植え付けるのは昔からよくあるパターン。しかしそれを、一瞬で断ち切る。家族の絆と、それを信頼する主人公。原作でも見事な展開だった。『テスラノート』第7話、もうあんまり話追わずに雰囲気愉しんでる。『桜蘭高校ホスト部』第14話、快調快調。

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