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0380:行政と科学

 世界銀行が2018年の世界ビジネス環境ランキングで中国を格上げする不正操作を行っていた問題。

 政策科学という言葉がある。私は門外漢だけれどもイメージとしては、従来の行政学が現にある行政の有り様を観察対象としてその力学を明らかにする政治学の一種であるのに対して、政策判断について客観的数値と合意形成過程の人間的反応の双方を見据えた、基本的にエビデンスベースドの政策決定論なのかな、と思っている(どなたか識者、補足ぷりーず)。

 公的機関が発表する数字は、社会に与える影響が極めて大きい。それだけに、客観的根拠に基づくことが重要だ。とはいえ定量的調査だけで全てが分かる筈もなく、定性的調査も当然必要になる。定量・定性いずれもそこに結論ありきの恣意性が入り込んでしまったなら、それはもはや科学ではない。だからどの機関もその点には留意している筈だ。ある程度は。

 今回の世界ビジネスランキングの問題は、まだ詳細が分からないが、恣意性を交えてしまったものとして問題視されているわけだ。

 さて。私が27年間行政内部で見つめてきた状況は、どうであったろうか。

 少なくとも「科学的に正当な政策決定」は決して当たり前のものではなかった。ある数字に無理矢理意味づけをしたり、数字の把握方法そのものにバイアスがかかっていたり、ということが普通に見られた。ある幹部を講師とする内部研修でエビデンスベースドの例として挙げられた数字の読み解きが、様々な理解可能性のひとつと決め打ちして政策を導くもので、別の(十分に考えられる)可能性の検討がされていなかった時には、惜しいなあ、と思った。審議会で外部委員からの鋭い指摘に対して、まともに受けとめない事務局答弁で結論を押し通す場面も幾度か立ち合った。そして面目ない話だが、私自身が関わった行政計画の中でも、前任者から引き継いだ数値と政策の牽強付会を改善することができないまま、新たな計画として世に出したものもある。

 何故このようなことが起きるのか。公務員なら誰もがその原因に心当たりがあるだろう。リソース不足だ。ひとつは量的に、ひとつは質的に。行政現場は人が足りない。その人の育成もOJT(それ自体は大切だし一定の有効性はあるが美しい逃げ言葉でもある)に頼るほかない。量・質の不足を嘆いても始まらない、それを所与の条件として、一定の限られた期限内に課題をこなすことが、実務上の最優先事項となる。

 それは仕方のないことだ。それが現実だ。そしてその結果、政策科学と呼ばれる手法は、少なくとも私の知る範囲では現場に十分取り入れられるに至っていない。中央省庁で政策科学の必要性を説く人の声は聞こえていたけれど、当該省庁のメインストリームには残念ながらなっていない。

 行政は実務のプロだが科学に疎い。学問は科学のプロだが実務は分からない。行政職員の内地留学や、実務家と学者のプロジェクトチームなど、少しでも「いま足りていないこと」を補う道筋はある筈だ。

 今後は行政への啓蒙が進んで政策科学が一般的になるだろう、とは考えていない。現実は強力だ、きっと状況は変わらない。でも、公益目的に対して本当に効果的な施策を生み出したいと考える行政職員は、決して少なくない筈だ。ある時期にどのような管理職とどのような部下がひとつの組織に集うかで、アウトプットの質はまったく変わってくる。そこに期待している。

--------(以下noteの平常日記要素)

■本日の司法書士試験勉強ラーニングログ
【累積121h25m/合格目安3,000時間まであと2,879時間】
実績234分、動画6本とドリル。淡々とこなしてるけど、少し前に勉強した事柄は次々記憶から剥離しているだろうな。

■本日摂取したオタク成分(オタキングログ)
『俺のスカート、どこ行った?』第8話、文化祭、セクシュアリティ、余命と盛りだくさん。うん、面白いぞ。前回の引きは今回の引きでようやく出てきて、残り2話。

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