0177:やくみん覚え書き/常識は常識じゃない
今日は放送大学のオンラインゼミ、指導教官と博士課程ゼミ生2名で3時間半あれこれ議論する。私は休学中なのだがご配慮で参加させていただいたもの。レジュメは無理矢理ひねり出したものだが、レジュメに沿ってあれこれ口八丁、先生の目からウロコなアドバイスの数数にこれまた応答口八丁。ここでの「口八丁」って、悪い意味じゃないよ、喋りながら自分の脳内を掘り下げていく作業のこと。つまりはブレインストーミングの技術の一環だ。やっぱり学問の世界の議論は実務とは別種の刺激に満ちている。
実は私の研究テーマは、元々実務経験から生まれたものであり、やくみんにも深く関わってくる。というよりも、やくみんの構想を練る中で研究テーマもそちらに随分と寄ってきた感じだ。今日は博論全体ではなく査読論文の構想についての報告とディスカッションだったけど、そのモチーフの中心は「人間の脆弱性」にある。
先日、小泉進次郎環境大臣が「プラスチックの原料って石油なんですよね、意外にこれ知られてないんですけど」と発言して、プチ炎上した。炎上の理由は、プラスチックが石油由来だなんて誰でも知ってる常識だろう、という人々の感覚にある。しかし、私は炎上に違和感を憶えた。誰でも知ってる、という感覚は、本当か。「ケーキの切れない非行少年たち」のように、多くの人が常識的に身につけていることを身につけていない人は、社会総体の中では一定数いるのだ。万能の効果を謳う某農業資材は、科学者がどれだけその非現実性を説いても、信じる人の耳には届かない。勝てる筈がないといわれていたトランプは選挙に勝利し、大統領として四年間さまざまな逸話を残した後、次の選挙で敗北してもアメリカ社会には(日本でも!)「本当はトランプが勝った」「今のバイデンは影武者だ」などの突拍子もない説を本気で信じている人々がいる。残留が確実視されていた国民投票でイギリスはEUから抜けることとなった。「アメリカでは神による世界創造が事実であり進化論を受け入れない人が多数いる」という話を、日本に暮らす我々はそんな筈はないだろうと思うが、事実だ。だから、プラスチックの原料が石油だと知らない(授業で聞いても覚えていない)人も、一定数いる筈だ。
人は必ずしも合理的な存在ではない。むしろ理性より情動で行動する、そういう生き物だ。それは時に愚かで、時に致命的な誤りを犯す。でも、それが人間だ。そして同時に、そのような愚かさを離れたいと願うのも人間だ。
やくみんの隠れテーマ(途中から露骨に書くかもしれない)は、こうした情動と理性の葛藤にある。公務組織を舞台に、情動がもたらす人間社会の課題の解決のために、公務員たちが取り組む。そして彼/彼女ら自身もまた、情動で動く人間だ。
というわけで初めて明かすが、「やくみん」の「やく」は役所のこと。「みん」が民族誌だというのは以前に記した。文化人類学の学生が役所に潜り込み、参与観察による民族誌を書く、というのが物語の一番外枠になる。もちろん堅苦しい高尚なものにするつもりはない(そういうのは論文でやる)。小説は娯楽体験、ライトに笑いをちりばめて、気がつけばディープな世界に漬かっている、そんな作品を目指している。
本日のヘッダ画像は徳島県鳴門市・大塚国際美術館の陶板複製絵画「ヴィーナスの誕生」。
■本日摂取したオタク成分
『マチ工場のオンナ』第5~最終話まで一気観。うん、良い意味で小ぶりのハートウォーミングストーリー。
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