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0573:小説『やくみん! お役所民族誌』[16]

第1話「香守茂乃は詐欺に遭い、香守みなもは卒論の題材を決める」[16]

<前回>

        *

 澄舞県庁の組織体制は行政組織規則で定められている。本庁内部組織である生活環境総務課消費生活安全室と、地方機関の消費生活センターは、規則上は別組織だ。前者は消費者行政全体の企画・調整・運用を行い、後者は消費生活相談や消費者教育・啓発などを実施するものとして、役割が分かれている。
 このふたつの組織は、かつては職員も施設も独立していた。しかし行財政改革で全庁的に職員数を削減する流れの中、平成の半ば頃に一体化が図られ、現在に至る。野田彌は消費生活安全室長と消費生活センター所長を兼務し、部下も全員が室とセンターの兼務だ。
 澄舞県市町村プラザ5階にある施設も、室とセンターの共用だ。入口側の半分は、ふたつの相談室、みなもたちが使っている協議スペース、消費者向け啓発物の展示スペースがある。奥の半分は執務室だ。向かって左の半分は消費生活相談員の島で、県民からの電話相談や事業者との交渉などを行う。右の半分が行政職員の島だ。そのため機能的には、相談員島が消費生活センター、行政島が消費生活安全室と捉えても強ち間違いではない。
 その一番奥に、野田の座る消費生活安全室長席がある。管理職として室内をほぼ見渡せる配置だ。
 だから、みなもが部屋に戻ってきた時、野田は真っ先に彼女の様子がおかしいことに気づいた。表情が固く、執務室との境から二階堂主任の背中を見ながら、何か言いたそうにしている。足元が揺らいで、逡巡が見て取れた。
 二階堂君、と野田が囁く。二階堂は顔を上げて、室長が小さく指差ししているのに気づくと、みなもの方向を振り向いた。
「あら、なあに?」
 二階堂がそういいながら近くに招く手振りをすると、みなもは足早に歩み寄った。
「あの、実はちょっと、今、警察の人から電話があって」
 警察、という言葉に行政島の職員が一斉に顔を上げた。
「私の祖母がコンビニで、あ、八杉なんですけど、なんかお金を引き出そうとしてて、警察の人は詐欺に騙されてるんじゃないかって」
 話ぶりは混乱していたが、要点は伝わった。
「あら、それ大変じゃない!」
「でも、本当かどうか。詐欺で警察を名乗る場合もあるんですよね。でも電話番号はおばあちゃんの、あ、祖母のだったし、声も祖母だったと思うんですけど、そう錯覚してるのかも」
「電話してきた警察の人間の名前は分かる?」
 混乱する様子のみなもに声を掛けたのは、二階堂の斜め前に座っていた年配の男だった。小柄で短髪、精悍なスポーツマンの印象だ。
「八杉警察署の、確かオダさんって」
「あー、おだっちか」と男が頷くと、二階堂の左隣にいた長身の男──二階堂よりは年上のようだ──が「織田ちゃんですね、八杉署三年目」と応えた。二人とアイコンタクトして、二階堂はみなもに向き直る。
「この二人は元々警察の人なの。八杉署に織田さんという警官は実際にいるみたい。状況、詳しく聞かせてくれる?」
 みなもは、昼間の茂乃の電話と先ほどの織田からの話を繋げて伝えた。老人ホームの入居権が当選したこと。困っている人にそれを譲ったこと。そして、それが法律違反だったとして供託金をすぐに払わないと逮捕されかねない──茂乃はそう信じ込んでいること。
 不穏な様子を察したのだろう、いつしか小室も近くに来て話を聞いていた。二階堂は、ひととおり話が終わると、真剣な表情でみなもを見上げた
「──それ、劇場型詐欺の典型ね」二階堂は机上のファイルを手に取って何かを探しながら話を継いだ。「劇場型詐欺っていうのは、複数人が役割分担をして、まるで演劇のように架空の話をして信じ込ませるもの。初期の頃は投資の勧誘などが多かったんだけど、振り込め詐欺の周知が進むと、最初からお金の話をしたらみんな警戒して騙されにくくなった。だから──あった、これ観て」
 二階堂はクリアファイルからA4判の紙を一枚取り出して、みなもに手渡した。
 左肩に見守り新鮮情報第215号と書かれたワンペーパーだ。老人ホーム入居権申込書を手にしたおばあさんが、電話の相手に脅されているイラスト。大きなフォントで短く簡潔に記された詐欺の手口は、まさに茂乃から聞かされた話に合致していた。

(出典:国民生活センター見守り新鮮情報)

 https://www.kokusen.go.jp/mimamori/mj_mailmag/mj-shinsen215.html

「困っている人のために名義を借りるだけといわれ、善意でオーケーする。お金の話は出ていないから詐欺だなんて疑わない。自分は良いことをしたと満足する。そこに突然、違法行為で逮捕されると脅されてパニックに陥り、一時的にお金を預ければ逮捕は免れる、お金は後日帰ってくると言われたらさ──お年寄りじゃなくても、心は簡単に誘導されちゃうよ」
 二階堂の言葉がみなもの耳に刺さる。おばあちゃんは、本当に詐欺に騙されているんだ。そう確信した途端、体が震え出した。
「どうしよう……あの、織田さんから家族が説得に来て欲しいって言われていて。でも父は出張中で、母も仕事の時は携帯を身に付けてないから連絡が取れなくて。私も夕方まで……」
「そういう事情なら、こっちはいいよ。おばあさんのところに行ってあげて」
「でも、私、車の運転できないんです」
 松映の県庁付近から八杉の中心部までは30kmほどある。JRで移動するにしても県庁から松映駅まで2km、過疎県なのでバスも電車も本数は限られている。それに、八杉駅から現場のコンビニまでの距離もある。
 目を伏せて泣きそうな表情のみなもを見上げて、二階堂は彼女の震える手を両手で握った。
「そんな顔をしないで。お姉さんに任せなさい」
 優しい声でそう言ってから、二階堂は椅子から立ち上がり、室長席に歩み寄った。
「室長、状況はお聞きの通りです。どうでしょう、インターンシップの臨時プログラムとして、詐欺被害を防ぐコンビニ現場の見学に香守さんを公用車で連れて行く、というのは」
 はっとして、みなもは二階堂の背中を見た。野田室長は、真っ直ぐに二階堂の視線を受け止めた。無言の3秒間。
「分かった、行ってきなさい」
 力強い野田の声に、二階堂は笑顔で「はい!」と頷いた。
「小室君も連れて行っていいですよね」
「いや、それはダメだ」と、今度は瞬時に野田が反応した。「被害者は香守さんのおばあさん、私人だ。香守さんは身内だからいいけれど、小室君をデリケートな場面に立ち会わせるのは適切じゃあない」
 あ、と二階堂の表情が一瞬強張った。
「小室君のことは残っている者で対応するから、すぐに行きなさい」
「──はい。じゃあ、香守さん。行こう」

        *

 エレベーターに乗り込み、B2のボタンを押す。ガラス張りのエレベーターはゆっくりと下降し始めた。
「はあ、失敗したなあ」
 二階堂がため息をつく。みなもは黙って彼女の横顔を見た。
「消費生活センターには、いろんな消費者からトラブルの相談が持ち込まれるの。それって、個人情報・法人情報の塊みたいなものなのね。当然部外秘、職員以外の人に触れさせてはいけない。分かっていた筈なのに、香守さんのおばあさんの問題に、小室君を連れて行こうとした。軽率だった。ごめんね」
 いいえ、と口の中で小さく応えて、みなもは首を振った。
 市町村プラザは地上六階・地下二階、地下は全て駐車場になっている。その一番奥に、消費生活センターの公用車が置かれていた。白い無骨なステーションワゴン、旧型の日産ウィングロードだ。
「これがうちの子、ロシナンテって呼んでる」
 運転席の二階堂が手を伸ばして助手席のロックを外すのを待って、みなもも乗り込んだ。
「ロシナンテ、ですか?」
「そ。ドン・キホーテが乗ってる年寄りの馬なんだって。原作読んだことないけどね。見てのとおりオートロックも付いてない年代物、もう13年くらいじゃないかなあ。かなり草臥れてるけど、財布の紐がきつくて、なかなか買い替えてくんないのよ」
 そう雑談のように言いながら、二階堂はメーターを確認して車内に備え付けられた記録簿に使用開始時点の走行距離を書き込んだ。何の用務で、どこからどこまで、誰が乗って、何km移動したか。公用車はこうした走行履歴を全て記録しなければならない。
「私、小学生の頃に子供向けの本は読みました。ロシナンテの名前は聞くまで思い出せなかったけど」
「あら、もしかして読書家?」
「本を読むのは嫌いじゃないです。大学のサークルも総合文芸研究会だし」
「サークルかあ、いいなあ。私は大学卒業して十年くらい経つから、若い人が羨ましいよ」
「二階堂さん、若いですよ」
「ふふ、ありがと」
 微笑む二階堂の横顔を、みなもは眩しく見つめた。
 二階堂は記録簿を後部座席に置き、みなもがシートベルトを締めたのを確認して、イグニッションキーを回した。
 きゅるるるるん。きゅるるるるるるるるん。
 エンジンがかからない。
「うそ、最近調子良かったのに」
 きゅるるるるるるるるるるるるん。ぶるるるん。ぷすん。
「ま・ぢ・かーっ。肝心な時に」
 二階堂は考えを巡らせた。ロシナンテは消費生活センター専用車だから使い勝手が良いのだが、これがダメなら別に数十台ある全庁共用車を使う手はある。ただ、今直ぐに空きがあるかどうかは運次第だし、パソコンから予約して駐車場まで走るとしても、20分くらいロスしそうだ。いっそタクシーを使うか、しかしチケット申請に本庁六階の本課まで走らなければいけないから、同じくらいのロスがある。どうする、今すぐ判断しなければ……。
 考えながらイグニッションを幾度も回している二階堂の様子を見て、みなもはダッシュボードに両手を添え、頭を垂れた。
「お願い、ロシナンテ。おばあちゃんが大変なの。私をおばあちゃんのところに連れて行って。……お願い!」
 きゅる、ぶるん。ぶるるうん!
「うそ、かかった!」
 二階堂は思わずそう声に出してから、ふと真顔になり、右手の人差し指でハンドルをとんとんと叩いた。
「ふうん。ロシナンテ、あんた、若い子の方がいいんだ」
 ぶるっ、ぶるるるるる。
 まるで二階堂と会話をしているようにロシナンテのエンジンが震える。
「ふふ、うそうそ。八杉まで頑張ってね」
「ありがとう、ロシナンテ」とみなも。
 ぶるるるるるうん!
「じゃあ、行くよ」
「はいっ」
 二階堂はサイドブレーキを下ろしてシフトをDに入れ、アクセルを踏む。ロシナンテはタイヤを軋ませながら、駐車場のスロープを駆け上った。

        *

 応接テーブルを挟んで、哲さんの向かいに押井は腰を下ろした。三人掛けの長ソファ、哲さんの正面ではなく斜めにずれた位置。気後れしてのことだろう。背後に立ったブッさんが「おい、真前に座れよ」と小さく命令的にどやした。
「いいよいいよ、俺が動くからさ」
 そう言って哲さんは少し腰を上げ、押井と相対する位置に座り直した。笑顔で押井の顔を正面から見る。押井は視線を逸らさないが、瞬きの回数が顕著に増えた。
「緊張してる?」
「え、まあ、はい」
 頬にチックが現れている。肩と胸が固まっていて呼吸が浅い。
「コウモリ君は」と哲さんは押井を呼んだ。「紫峰大学の一年生だって? 優秀なんだ」
「……いえ、東大とかじゃないですし、まぐれ入学です」
 学部にも依るが、文系なら東大が偏差値67、紫峰大は62。確かに東大クラスより一歩引くが、世間的には間違いなく一流校だ。謙遜か韜晦か、それとも──自己肯定感の低さか。
 哲さんの「候補者」面接の核心は人間観察だ。如何に隠された欲望を見極め、解放するか。最近では滅多に観ることのできない哲さんのセッションを見逃すまいと、ブッさんは応接セットから少し離れたところで後ろ手に立ち、二人の様子に注意を払う。
「専攻は何?」
「哲学です」
「お、哲学! やったね」
 哲さんはオーバーに両手を打ち鳴らした。その音の大きさ
に、押井の呼吸が一瞬止まる。哲さんは上体をぬっと押井に近づけて言った。
「俺さ、名前、哲学っていうの。みんなには哲さんて呼ばれてる。よろしくな」
 右手を伸ばして、押井の左肩に近い上腕をポン、ポンと2回、強めに叩く。一回目は押井に軽い萎縮が、2回目は硬直が見られた。
「でもさ、哲学って、流行んないじゃん。就職にはむしろ不利に働くし。なんで哲学選んだのさ、コウモリ君は?」
 返事はすぐには帰ってこなかった。何かを言おうとして、ん、ん、と言葉にならない発語が幾度か続く。これも内面の葛藤を示すチックだ。
「ん……高校で、倫理が面白かったから」
「お、仲間仲間。滅多に出会えないんだよな、そういう奴に。コウモリ君とは気が合いそうだなあ」
 笑っているつもりなのだろう、押井の表情が歪んだ。
 哲さんは、事前にアンゴルモアとハシモトジュエルオフィスから上げられた報告書に目を通した時点で、一定の見当を付けていた。実際にここまで話をしてみて、半ば確信を持った。押井は中等度の発達障害、おそらくASDメインでADHDの傾向も混じっているようだ。
「あの」
 思い切ったように押井が口を開いた。尋ねられていないのに押井の方が何かを言おうとするのは、このマンションに来て初めてのことだった。
「……うん、なに?」
「コウモリ君って、誰のことですか」
「誰って、君のことだよ。今まで受け答えしてたじゃない」
「だって、ぼく以外にいないから」
「君、コウモリ君でしょう、違うの?」
 哲さんは手元の書類をあらためて見た。正確に言えば、見るふりをした。書類には押井の本名がふりがな付きの漢字で記載されている。だから正しい読み方は最初から分かっていた。押井の反応を観察するために、わざと違う読み方をしていたのだ。
「お香を守ると書いて、コウモリ」
「違います。それでカガミと読みます」
「へえ、そうなの?」
 哲さんは柔らかな目で彼を見た。誤りを正す時の自信に満ちた様子は、融通の効かなさの表裏だ。
「名前はミツルでいいんでしょ?」
「ミチルです。ぼくの名は、カガミ・ミチルです」
 後に深網社内で「頭は良いのに、いろいろと惜しい奴」というキャラクターから押井とかオッシィと呼ばれることになるこの青年の本名は、香守充。家族にも内心の地獄を隠して生きてきた、みなもの二歳下の弟だった。

<続く>

--------(以下noteの平常日記要素)

■本日の司法書士試験勉強ラーニングログ
【累積222h00m/合格目安3,000時間まであと2,778時間】
 覚悟のノー勉強デー。

■本日摂取したオタク成分(オタキングログ)
先日放送されたNHKのドキュメント20min『ウクライナ語で叫びたい』、冒頭から最後まで圧倒されっぱなしだった。ウクライナ人でNHKのディレクターを務める女性の様子を開戦前から近日まで追ったもの。彼女の想いの深さや揺れに共感しきりで、これは胸に来る。戦争が始まってからたまに報道で見かけたキーウ在住の一家は、この人の家族だったのか。『世界ふれあい街歩き ウクライナ・キエフ』ウクライナ語で叫びたいから続けて放送という編成。一昨年に放映されたこの番組には、戦争前の平和で豊かで文化に溢れた、ドンバスの戦争の傷がくすぶりながらも安らかに生活していたキーウの人々が描かれている。今回の戦争はあまりにも不条理だ。『一騎当千XX』第1~3話、新シリーズは僕っ娘が主役か。『所さん!事件ですよ 人気女優もダマされた!?フィッシング詐欺急増中』知っている話ではあるが、あらためて怖いなあ。

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