0127:やくみん覚え書き/暗黒啓蒙問題

 年度末で退職したら、4月からnoteで小説を書こうと思っている。略称「やくみん」、正式タイトル(かな漢字6文字9音と短いけど絶対誰も当てられないだろう)や概要は、4月1日まで伏せておく。役所を舞台にした物語であることは間違いないが、十年前に着想した時(シリアスなサスペンス)とはかなり違うものに変わってきた。ちなみに現時点ではまだ一行も書いていない。脳内にあるだけだ。2月に構想を整理し、3月に第一章を書き出し、4月1日から少しずつ公開できるといいな。

 で。急遽その創作メモを始めたのは、本日観た『呪術廻戦』第10話がきっかけだ。吉野が真人に取り込まれていく回。吉野が真人に闇の思想を吹き込み、それになびくこと自体は、昔からマンガのパターンとして見慣れたものだ。だから原作を読んだときにはさらっとスルーしていた。しかし今回アニメーションでこの会話を聞き、「俺は順平の全てを肯定するよ」の台詞に至った時、ああ、実は現代社会はここまで来ているんだなと感じた。

 ダークウェブ。ニック・ランドの暗黒啓蒙。ISIS。根拠のない陰謀論への熱狂。理性への信頼を揺るがすこれらの潮流は、「マンガのパターン」などではない現実だ。そこを生きる人々にとって、自分の情動とそれを導くカリスマを「肯定する」ことが全てだ。理屈ではない。理性でもない。情動の肯定。

 でも、こうしたことは一部の「愚かな人」の話ではない、と今の私は思う。健康食品の誇大広告に飛びつく人。マスコミが誰かを批判すると、それをなぞるように批判する人。行動経済学が明らかにしたように、人間は決して合理的判断で日常を送っているわけではない。

 行政は様々な分野で広報啓発を行っている。でも、その広報啓発は「効果」を生んでいるのか。「理解ある人たち」の内輪で生産-消費を繰り返しているだけで、元々その分野に関心のない人には声がちっとも届いていないのではないのか。もしそうだとすれば、行政の広報啓発として出来る「最もマシなもの」は何だろうか。

 この辺りの話を、主人公のミッションに絡めよう。

(自分の覚え書きなので読者置いてきぼりですまんね小説公開後に読み返すと「ああそういうことか」と分かるかも)

■本日摂取したオタク成分
『たとえばラストダンジョン前の村の少年が序盤の街で暮らすような物語』第4話、決してシリアスに陥らせずにライトにライトに問題を解決していくのが本作の魅力だなあ。ある種のハーレム設定ではあるが、エロさはなくて無自覚ショタに周囲が勝手に群がるのが面白い。『呪術廻戦』第10話、鬼滅が鮮やかに示したように(もちろん鬼滅以前にもこのパターンは多いのだけれど)、しっかり予算をかけて一級のアニメーションを作れば原作を大きく補う演出によって完成度をぐいぐい高められる。そんな回。『2.43 清陰高校男子バレー部』第1話、スポーツ物はそんなに需要ない(メジャーは別格)なので、切る候補のつもりで見はじめた。ところが、面白い。田舎町の人間関係のリアルと、スポーツとしてのバレーボールのリアルを描く。脚本のディテールが凄いんだ、これ。もうひとつ惹かれたのがエンディング曲の破調。昔ライブ映像に圧倒されたSIONのコンクリートリバーを思い出した。

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