Obsidianの中身を整理した

あまりObsidianらしからぬ思想に基づいて整理した。要するにフォルダ分け。
しかもinboxとかじゃない。フツーに物の分類。

というのも、「流石にこれは一つのまとまりとして管理すべきだろ」みたいな、例えば特定のソフトウェアに関する知識とかが溜まっていくわけですよ。
で、それもリンクで管理できるというのがObsidian的な思想なのかもしれないが、コウモリ問題になる可能性が極めて低いのにわざわざフォルダ分けを避ける理由もないことに気づいた。
あと、そもそもリンクから漏れてしまうものって結構あって、そういったのを補足しやすくするためにもファイルシステム上での整理はあっていいと思った。

ただリンクの構造も整理しました。併せて。
アトミックだなんだと言われてしましたが、正直言うて再利用しなくないすか?
俺、一つのノートを複数箇所から引用するってことあんましてきてないんだが。実は。
自然体で書いた結果そうなる人おる? なんか頑張ってやってみてる人も多いのでは?

あとまあ、実際に内容のある記事に関してはまだそういう小分けにするのが悪くはないんだけど、俗に言うMOC、要するに目次ページはあんま要素増えても小分けにせん方がええね。それ深くなったディレクトリ構造とやってること一緒で、だんだんどこに何があるのか分からんくなる。

なんちゅうか……クラスの設計みたいにやればいい気はするんだよな。
構造化や分類は破綻するんだみたいなの、言ってることはわかるんだけど、それをやらんことで単に破綻が早まってるだけな気がする、俺の場合。
思ったのは、気になる大トピックでフォルダを分類して、その中で基本的にそのトピックの情報は完結するようにしておくのがいい気がする。横を跨ぐやつはそういう分類の外側に置く。

あとノートの単位を細かくしてリンクで繋げると、ノートの中身がよう分からんなるねん。
ノートの数ばっかり増えてどんどん管理のしにくさが加速する。
むしろ、一つのトピックにまとめられるならまとめるべきでは?
ずらっと上から読んだらちゃんと読み物的に読めて、頭に入る一つの記事になってるべきでは?
Markdown自体そういうスタイルに向いた書式だと思うし(見出しがあるんだから)。

再利用性とかについては別に見出し付きリンク使えばええやん。

ということで、今後はガンガンフォルダ分けするし、ノートも大きな一つにしっかり書くようにします。全体の数が少ない方が絶対にいい。

あと、俺はマジで階層構造が好きなので、階層構造からの脱却が全然魅力的じゃないことにも気づいた。分類超大好き。
適度に分割するのは大事だと思うけど、カプセル化の恩恵を得ることが出来てる場合に限ると思っていて、カプセル化の本質ってAPIだと思うのだが、Obsidianにおいてあんまり小分けにしても単に忘れるだけに思える。

なんかまともに運用し続けられてる事例とかないんすかねぇ?

なんか僕はObsidianである前にMarkdownでメモを取ってるってことに立ち返って、そうした時に自分はどう管理するのか考え直そうと思います。

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