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あの日のオレンジ・エピソード(2017~2018.3)

あの日のオレンジ・エピソード(2015~2016年)|そにっぴー|note

これの続きです。オレンジ・エピソード大好きな春香Pがオレンジ・エピソードに特に関係ない夕焼けの写真の思い出を垂れ流す記事です。

2017.1.13 赤にかけるRainbow

雨。不便ゆえに嫌われがちな天気ですが、雨あがりにしか見ることができない景色もあるのです。

これは埼玉と千葉の県境、宝珠花のあたりで撮った写真だと思います。
車の屋根を見てほしいのですが、虹がかかっています。雨上がりを示す厚い雲の下に夕暮れの光が見えるのが好きです。
元家車のトヨタ・ラウムの赤色がここでは映えますね。コンパクトなのに車内広くていい車でした。

2017.3.3 夕桜

春、桜のみならずピンク色の花々が風景を彩る季節。

3月3日だと桜には少し早いと思うんですけど、なんでしょうかねこれは。
前後の写真から、埼玉県杉戸町の道の駅、アグリパークゆめすぎとで撮影したみたいです。

夕暮れの光と並木道がマッチしていると思います。
アグリパークは広大な公園広場と直売所、土日のフリーマーケットで飽きの来ない施設なので、是非立ち寄っていただきたいです。

2017.5.20 時には立ち止まることも必要

渋滞は車を運転する人にとって大敵です。私なんて今はMT車のロードスターに乗っているので、渋滞は殺意が沸くほど嫌いです。
しかしまあ、渋滞も悪い思い出ばかりではありません。

現在も工事が続いている、浦和美園付近、国道463号バイパスから国道122号への連絡路です。
普段は何も考えず過ぎ去ってしまうポイントですが、写真から分かる通り、これは渋滞中のもののようです。弧を描く美しいジャンクション、オレンジに染まる力強い重機……ゆっくり見る機会はなかなか無いでしょう。

2017.10.5 鱗雲

どこで撮ったか忘れた写真シリーズです。しかし、注目してほしいのはロケーションではなく、ただ”雲”それだけなので問題ありません。

絵に描いたような鱗雲です。この光景は秋ならではで、「秋は夕暮れ」という先人の言葉の意味を噛みしめることができます。

2017.10.27 未完のスカイライン

その未成道は、空を貫くはずだった。

栃木県、塩原と那須を繋ぐ「塩那道路」。一部区間は開通していますが、山を越える主要ルートが未完成のままになっています。

ここらへんの経緯は「塩那道路」でググって出てくる冒険者たちの記録に詳しく載っています。

塩原温泉から土平園地に至る区間は急峻なつづら折りになっており、秋には美しい紅葉を見せてくれます。

ヘアピンカーブで振り返ると、美しい栃木の夕焼けを見ることができます。栃木、何回訪れても飽きが来ません。

2017.11.19 富士山がある風景

日本国を代表する山、富士山のすごいところは、かなり遠くからでもその雄姿を拝める点にあるでしょう。

これは埼玉県松伏町にある緑の丘公園からの写真みたいです。この公園は小高い丘があり、少し汗をかいて頂上まで登ればこのような絶景が待っています。
関東平野とはよく言ったもので、関東地方は「山が遠くにしかない」んですよね。このことは関東から旅行で関西の方に行くとよくわかりますが、向こうは市街地の四方を山が囲んでいたり、海と山の間の平地がほとんど無かったりすることが珍しくありません。だだっぴろい平野が続き、そのどこにいても霊峰富士が見える関東のほうがむしろ日本の中では異質なのかもしれませんね。

2018.1.6 初星の煌めき

これはよく覚えています。

一直線に続く水平線に落ちる夕陽。
これは千葉県幕張メッセ裏の海岸です。歩いてすぐです。
なにをしに来ていたかというと……

はい。アイドルマスターの765単独ライブ「初星宴舞」Day1現地です。
2017年からアイマスにハマった私にとって、初の765単独現地でした。今思うと衝撃の『ロイヤルストレートフラッシュ』やオリメンでの『合言葉はスタートアップ!』、伝説の『隣に…』など、見どころ満載の贅沢な初単独現地でしたね。
幕張メッセでライブがあって、少し喧騒から離れたいと思った方。少し歩けば、ノスタルジックな海岸にたどり着きますよ。

2018.1.28 白とオレンジのコントラスト

雪景色というのは特別なものです。それと夕焼けが組み合わさればなおさら。

詳しい場所はわかりませんでしたが、雪が降った後にドライブしていたみたいです。
雪の表面は光を良く反射しますね。

夕焼けと雪景色、そこはかとなくノスタルジーを刺激します。あまり都会で見ることが無い組み合わせだからでしょうか。

2018.3.9 和歌山はいいぞ

最近も行ったんですけどね。
このころは私の大学卒業の時期だったので、色んなメンツで何回か卒業旅行をしていました。
これは和歌山県に行ったときの写真です。

円月島という有名な観光名所で、孔が空いた奇妙で美しい形の岩石が海の上に鎮座しています。
和歌山は自然がいっぱいで絶景スポットも多く、肉も魚も果実も美味しいので、のんびり旅行するには最高ですよ。

蛇足:夕日が美しいのはなぜか

夕日はなぜ美しいのでしょうか」という問いに、みなさんならどのように答えるでしょうか。

……

類題を呈示します。
桜はなぜ美しいのでしょうか」。

……
…………

みなさんが自ら導いた答えは大事にしてあげてください。
それはそれとして、ひとつ考えられる「よくある答え」として、このようなものが挙げられるのではないでしょうか。
「夕日は、やがて沈んでしまうからこそ美しい」
「桜は、やがて散ってしまうからこそ美しい」

この感性を否定はしません。
しかし、”本当にそうなのでしょうか”。

たとえば梅雨の頃、五月雨にぬれる紫陽花の花は美しい。(中略)それは、やがては枯れていくから美しいのだろうか。やがては枯れていくことを知っているからこそ美しく見えるのだろうか。つかの間の命のはかなさゆえに、その美しさが際立つのだろうか。

荒井洋一著『人生の星の輝き ―哲学からの問いかけ―』P.239

ここで引用した荒井先生は大学時代の恩師で、哲学者アウグスティヌスを特に専門とされており、私に大事なことをたくさん教えてくださいました。

特に夕焼けが好きだった私が感銘を受けたのは、「夕日はなぜ美しいのか」という問いに対して、一般的な解とは異なる見解を示されたときでした。

やがて沈む夕日。遠くない未来に散ってしまう花。
その美しさは、「やがて消える」からこそなのでしょうか

今まさに没していこうとする夕日の美しさは、もうすぐ始まろうとする夜の夕闇からやってくるのだろうか。

荒井洋一著『人生の星の輝き ―哲学からの問いかけ―』P.240

このことについて荒井先生は、「別れとセットの美しさ」だけではない「そのものの美しさ」があるのではないか、と考察されています。

私は夕日や花の美しさを終わりの方からだけではなく、夕日や花の美しさそれ自体の中からもはっきり言い表したいと強く思うのである。

荒井洋一著『人生の星の輝き ―哲学からの問いかけ―』P.240

「別れとセットの美しさ」、これはいわば「相対的なしかたで語られる美しさ」です。しかし、相対的なしかただけでは語れない美しさがあると言えるわけです。
荒井先生は、この夕日や花のたとえを用いて「出会いと別れ」という小節を書き上げています。

(前略)どうしても「出会い」と「別れ」は相対的であるということになる。
「出会い」の反対概念は「別れ」であり、「別れ」の反対概念は「出会い」である、というように。
あるいはまた、「出会い」の本質は「別れ」の本質からせまることができ、「別れ」の本質は「出会い」の本質からせまることができる、というようにも。

(中略)

けれども、はたして、私たちの生のすべてを相対的なしかたで語りつくすことができるだろうか。

(中略)

非相対主義的な立場から、すなわち、あくまでも、「出会い」の経験それ自体の中から、「出会い」とは何かにアプローチしてみたい。

荒井洋一著『人生の星の輝き ―哲学からの問いかけ―』P.237

私はここまで夕焼けの写真を想い出と共に振り返ってきました。写真の出来はともかく、どれも私が「美しい」と思ったものばかりです。
私は本当に夕焼けそのものが好きです。ゆえに「やがて沈むからこそ美しい」という捉え方をされてしまうと、少し違和感を覚えてしまうのです。
「私が美しいと思ったもの、それ自体の美しさ」
私の夕焼けフェチをぶちまけると共に、その感覚も共有したく、このような蛇足を書いてみました。

2018年度以降の写真も、後日紹介してみたいと思います。
今日もオレンジ・エピソードを聴いて眠りに就いて、ミリオン10thライブact-1に備えまs……今日10thライブ!!?!??!?!?!!?!??!!?!?!??!??!(錯乱)