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大人が勉強する時の特権

半年ぐらい前、自分がやっている別のブログに書いた記事について人に聞かれたので、改めて「大人が勉強する」ってなんだろうと考えてみました。

子どもが学校でやる勉強を、大人になっても引きずってはいけない

小学生から大学を卒業するまで、やれと言われた勉強は大嫌いでした。銀行員だった父の教育方針なのかどうかはわかりませんが、そろばん、公文式、数字にまつわる習い事をしていました。自分の大学進路を決めるときには迷わず「文系でいこう!」となっていましたし、社会人としての進路を決めるころまでには、いっぱしの数学嫌いになっていました。しかしながら社会に出てみると、あれほど嫌いで、あれほど無益だと思っていた数列、確率、微分積分などが、世の中では確かに使われているのです。

数学だけではなく、歴史、絵画、音楽、文学など、ひとりの人間が、自分の人生や世の中をよりよいものにしようと一生懸命創作した結果として後世に残っているものなので、きちんと理解すれば、面白くないわけがないのです。勉強した分だけ、世の中を見る目を複数持つことができる気がします。クラシック音楽を聴いて「ああ、いいな」と素直な感動を口にすることも音楽の楽しさの一つ。でも、キリスト教を勉強してから同じ曲を聴くと、その曲のさらに深みをのぞくことができるようになる、と言われたことがあります。

最近読んだ「会計の世界史」という本を読んだら、無機質だと思っていた企業の財務諸表が、途端に人間臭いものに見えるようになりました。

やりなさい、と言われた勉強は嫌いでしたが、自分が知りたいと思ったことにはのめり込むタイプでした。就職が迫った大学生のころ、「なぜ飛行機は飛ぶのか」という疑問が、気になって気になって仕方がなくなってしまい、その月のアルバイト給料をほとんど全部注ぎ込んで航空力学や流体力学の専門書を買い込みました。わからないところはバイト先で一緒だった、材料工学を専攻している友達に聞いたりして(少しだけ)理解しました。

子どもが学校でやる勉強は、基本的に教科書準拠です。これはとても優れた方法で、学問と名がつくものはすべからく体系的な構造を持っているので、1学年という定められた時間内に、順番に、基礎から、有機的な繋がりを持って学んでいくには効率が良いです。

効率よく体系的に学べるなら、多忙な大人こそ教科書的な学びは向いているではないか、といわれるかもしれません。
でも私はそうは思いません。

知りたいことを学ぶ、楽しいところから学ぶのが、大人の勉強の特権

なぜ、大人は教科書的な学びが向かないのかを示したのが、下の図です。

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横軸に時間経過、縦軸にスキルの習熟をとります。時間をかけて学ぶほど、スキルが上がっていきます。普通は「基礎」から始めて、「実践」、「応用」へと発展していきます。この「基礎」がつまらないから、大抵の人は勉強はつまらないと認識してしまうのではないでしょうか。

語学学習を例に取ると、まずは、アルファベット・基礎単語・基礎文法などから始めます。この辺が「基礎」です。
ある程度蓄積ができたら、海外旅行などで使ってみるとか、ネイティブの先生とのマンツーマンレッスンで話してみるとか、場合によっては仕事で使わざるを得ない場面に放り込まれるとか、そういう場面があるかもしれません。これが「実践」です。
さらに場数を踏んで、多少の度胸がついてきたら、アドリブなどで使える「応用」力が身に付いていきます。

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単語を覚えて、文法パターンを覚えることは、地道な作業で時間がかかります。語学の王道が「通じた!」というところにあるとすると、楽しいのは「実践」と「応用」のところにあるはずです。単語暗記は脇道も脇道、そればかりやっていたら、学習のモチベーションがなかなか上がらないのも仕方ないと思うのです。海外旅行から帰ってきて、あまりに通じなかったので「よし、英語の勉強しよう!」と異様にモチベーションが上がった経験、ありませんか?

学校の勉強であれば、試験に出るのでつまらない「基礎」をすっ飛ばすわけにはいきません。しかし大人の勉強なら、基礎をすっ飛ばして、楽しい「実践」から始めることができます。
好きで好きで仕方がない人に、「愛している」なんて陳腐な言葉ではなく、ましてや「大好き」なんていう語彙不足丸出しの感想でもなく、どうやって言葉にして良いかわからない感情のニュアンスを正確に英語で伝えたい!という強い動機を持って単語学習に臨むと、これはもはや苦痛ではなく、快感です。

複数の感覚器官を使って学ぶと腹落ちする

知りたいことを、好きなところから学び始められるのが、大人の勉強の特権です。でも欠点があります。それは時間効率が悪いと言うことです。一定の期間に結果を出さなくてはいけないような、特定の試験対策のような勉強には向かないかもしれません。

何かについて興味を持ったら、その気持ちを無駄にせず、とりあえず検索してみるとか、新書などで入門部分だけ読んでみるとか、そう言うことをしてみると、あとで思いがけない時につながるかもしれません。人生の早い段階からそう言う習慣をつけておくと、きっとあとで役に立つ時が来るはずです。

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できれば、複数の感覚器官を使って学ぶことを意識するといいと思います。例えばジョギングに興味を持ったら、「自分で走ってみる」「スポーツ用品点の店員に靴の選び方を聞いてみる」「図書館や本屋に行って運動生理学や栄養学の本を読んでみる」「自分がジョギングに興味を持っていることを周りの人に話して反応を探ってみる」などです。触感を使い、耳を使い、目を使い、口を使う。ジョギングに対して複合的に向き合ってみると、腹落ちして、立体的に理解できます。

浮気結構。勉強のテーマは幅広く持ち、絞らない

「自分は〇〇が好きだ」というのは、多分、自分の思い込みです。世の中には、自分がまだ気がついていないだけで、他にももっと興味が持てるものがあるかもしれません。大きな書店に行って、新書コーナーを2、3往復するだけで、自分のアンテナに刺さるタイトルの本が数十冊は見つかるはずです。パラパラとめくって、そのうちの何冊かを読んでみると、あらたな知的好奇心が湧いてくると思います。

そういうキーワードをメモしておくと、次の日から街を歩いているだけで、いろいろなものが繋がり始めます。

家を出るときに「赤」を意識しておくと、出勤途中に赤い車や赤い服を着た人が目に入る、というあのなんとか効果みたいなものです。

テーマに飽きたら次に行く。浮気、ありです。

好奇心のタグをたくさんつけておいた方が、ネットワーク効果が大きくなります。

もちろん、体系的に学んだ方が、いいと思います。でも、健全な好奇心を持っている人は、逆算的に基礎に戻ってくることになり、結局は体型的な知識を得られると思うのです。やっぱり基礎がないとどうしても理解ができない箇所が登場してきます。理解ができないと、気分が悪い。だから、最終的には基礎から応用までの積み上げが完成します。下から上に順番に積むか、好きなところから手をつけて、足りない方向に伸ばしていくか、アプローチの違いだけです。

優れた教科書や、優れたメンターがいれば、きっと最短時間効率で積み上げる勉強法もあると思います。でも、つまらなくて挫折してしまってはなんにもならない。大人が勉強するときは、好きなことを、好きなように勉強するのが、結局はハッピーなのではないかと思っています。

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