日記 魚腐らせちゃったから泣いちゃった

・4月14日日曜日、福岡に住む祖父の容態が急変し、母が急いで新幹線で福岡に行き、病院の手配や家の事をすることになった。
母が不在の今、我が家の家事をするべき人はどう考えても無職である私という事になった。
とはいっても、やる事はそこまで多い訳ではない。
姉が仕事でいない日の昼食を作る事、父の弁当を作る事、洗濯を干して畳んでしまう事、二日に一度花に水をやること、風呂を掃除すること、ペットに餌をやること、夕飯を作ること、食器を洗うこと、だ。
どれも大したことない。それでも気を張ってしまっているのか、躁でも鬱でもない謎の緊張感の中生活している。
夕飯を作る時、90歳の祖母に手伝ってもらうのだが、短期記憶が殆ど死んでいる祖母は、何度も塩を入れてしまったり、料理の指示を何度言っても忘れて違うことしてしまったりして、目を離すことが出来ない。
14日は父は釣りに出掛けていて、20匹の小さめなアジと、4匹の他の魚を釣ってきた。
16日はアジの南蛮漬けとアジフライを作ろうと思い、私と祖母は手分けして20匹のアジを捌き、料理した。
その途中、何度言っても間違った方法で捌こうとする祖母に苛立ってしまい、強めの口調で話してしまった。
手伝ってくれているのに、と心底自分にがっかりした。
 
・母の代わりに夕飯時に父をもてなす事も、私を疲弊させた。
和やかな雰囲気を作ろうとする父に感謝もできず、私は「早く食べ終わってくれ」と願ってしまっていた。
私も笑顔でいなければいけないという強い強迫観念が私を苦しめた。
 
・残りの魚のことは、考えるのも嫌だった。
クーラーボックスに入っている魚のことを、私は半分意図的に、自分の意識の外に追いやっていた。
私の責任の範疇にいるという事がどうしても苦しかった。
そして案の定、腐らせた。
氷を変えていなかったからだ。
私が氷を変えていたら食べることが出来た命が、私が氷を変えていなかったことによって無駄になってしまった。
その事実が、自責の念が、私を縛ってただ泣くことしか出来なかった。
 
釣った魚が腐った。ただそれだけで、私は酷く動揺し、深夜1時にも拘らず、私は福岡にいる母に電話を掛けた。
腐ったかもしれない。どうしたら良いか分からない、と言った。
母は「とりあえず氷を変えて、明日お父さんに確認してもらって」と言ってくれた。
それから、予定では29日まで福岡に留まる予定だったのだが、できるだけ早く帰ると言ってくれた。
もう24歳にもなるというのに、家族の世話もまともにできないのか。
 
母が福岡に行ってから、家の事をしなければならないという事が重圧で、実際は本当に大したことをしていないのに、気が張ってしまって、寝つきが悪くなった。深夜2時か3時頃まで起きてしまい、昼過ぎまで寝て、それから急いで家事をこなす。
魚を腐らせちゃったから泣いちゃった。魚腐らせちゃったから泣いちゃった。

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