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読書についての考え方を少し変えてみようと思う

こんばんは
久々に盛大にコケて片足使い物にならなくなって頭抱えてるFuSaです

これはウィッシュリストのnoteで予告していた読書にまつわるnoteです

趣味は読書ですと公言してるけど、読書って一言で言っても、いろんなスタンスがあるよね、みたいな話

私は今現在、読んだ本の記録を読書メーターというサイトでつけています。

ここで、読んだ本と、短い感想を粛々と登録しております
月ごとの冊数、総ページ数、1日あたりの読書ページ数なんかが表示されます
なんなら登録初日からの累計冊数なんかもわかる
ちなみに私の場合
記録初日は 2014/03/29
約10年前ですね
そして現時点で読んだ本 999冊
チリツモだなぁと思います

基本的に読書は娯楽というスタンスです

上で書いたように読書メーターで数字が可視化されていることもあり、性格的に大雑把で広く浅くが得意な私はどうしてもより多く読みたい、という方向に傾きがちで
そんなこんなで現在の私にとって読書は消費する娯楽という意味合いが強いです

ビジネス書でもエッセイでも小説でもノンフィクションでもサイエンス系でもとにかくなんでもその本を手に取るアンテナはただ一つ「なんか面白そう」のみです

で読んでみて、全体の感想はもちろん、「へぇ!おもろ!知らんかった!」と思うポイントが1ヶ所でもあればその本は読んでよかったと思います
それが役に立つか否か関係なく
今風に言えば、学びがあったという状態になるのかな

それくらいでないとしんどいだけでしょ、面白くないなら無理して読まんでも、みたいな

昨今、教養を身につけるための読書、とか学びのための読書、とかタイパがどうのこうの、本の要約チャンネルなどなどが流行っておりますが、私は苦手です
もちろん教養はないよりあったほうがいいとは思うし、本から学ぶことはそれはそれはたくさんあるでしょう
それ自体を否定するつもりはもちろんありません
(そもそも教養とはなんぞやと問われても答えられない)

でも苦手なのはなんでですかね?
必死さを勝手に嗅ぎ取ってしまうのかな、学び、とか教養のため、みたいな言質に
教養のため、と聞くと範囲のないテスト勉強を延々やるイメージなので、苦手なのかも
全容がわからん、得体が知れない、面白そうと思う取っ掛かりが見つけられないというか
無理して読まんでも、が発動してしまう

面白いと思ってアンテナが立つとそれがフックになって記憶に残る気がしていて、私にとって未知の世界や意外性というところに面白さのアンテナがあるみたいなので、漠然としすぎた「教養」「学び」には惹かれないみたいです

でも、ただただ消費する娯楽として読書を続けるのもなぁとも思っていて

そんな折、この本と出会いました

百冊で耕す 〈自由に、なる〉ための読書術

本当は↓が先なのですが
三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾

どちらも読んだけど、私は文章を書く仕事をしてるわけでも目指してるわけでもないので、「百冊で耕す」のほうがインパクトが大きかった
あともう一冊同時期に出会ったのがこちら
名著の予知能力 (幻冬舎新書 689)
100分de名著のプロデューサーが著者です

名著や古典はこれまで意図的にせよ無意識にせよ避けてました

太宰治好きじゃないし
(名著・古典の代名詞みたいに思ってた)
長いし
難しいし
広く浅く娯楽として楽しむスタンスでは太刀打ちできないというか相容れないというか

でも上記の本を読んで色んなジャンルの古典や名著の魅力を語る熱量に私のアンテナが反応してしまった
脳に汗かく耕す読書でその魅力を理解したいなと思ってしまった

今の時代にも通ずる哲学なのか
美しい表現技法なのか
時代を経ても色褪せないストーリーテリングなのか

魅力はそれぞれ違うでしょうが、読んで格闘しながら考えながら、その面白さを体感したいなと

ということで、これまでどおり自分のアンテナに従って読み散らかす読書も続けつつ、名著や古典とじっくり向き合うような時間を作りたいなと思っている2024年の年明けです








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