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8月22日

 たくさん寝たい人間なのに、眠るべき時間に眠れない時が多々ある。同時に、眠りたくない時にも急激に眠くなる時がある。
 日曜日は1時頃に寝たのだが結局4時頃まで眠れず、8時過ぎくらいに起床し、在宅勤務を実施。時間的には22時頃までなんだかんだ働いていて、そのまま力尽きるように寝落ちしていた。会社から帰る電車の中でもよく眠っているので、まあ普通の生体反応かもしれないのだが、もう少し便利な身体になって欲しいものだ。
 そんなわけで、今まで「その日のうち」に日記を投稿していたが、いよいよ日付を超えてしまった。だからと言って別にどうこうではないのだけれど、気持ちが滅入る感じだ。月曜日からこの調子では良くないので、深夜2時頃に目覚めたついでに日記を書いている。一度サボると、絶対にサボり続ける。

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 インターネットを主軸に生きていると、インターネット上の意見というものが正しく思えてくる、という現象が起こる。インターネット上には真実が書かれていて、一般社会では得られない真理を得ることが出来る、みたいな錯覚だ。
 これは「本」にも同じことが言える。インターネット文化が存在しなかった頃は、多分「本には真実が書かれている」みたいな意見があったのだろう。本を主軸に生きていれば、そうした錯覚に陥っても不思議はない。とにかくまあ、ひとつの世界を盲信すると、それだけが真実で、それ以外は全部嘘だという錯覚を起こしてしまうことがあると思う。
 でも実際のところ、インターネットは虚構であるし、本も虚構だ。
 仮に『真実』というものの定義を、『物理的な現象』とする。例えばそうだな……とある人気男性Vtuberが、とある人気女性Vtuberと同棲しているという噂があったとする。その噂を裏付けられる真実は、自分自身が『その両名が同棲している事実を目視で確認する』こと以外に有り得ない。「いや、とある情報筋によると、本当のことらしい」とか、「同棲している、と言う人の割合が多い」みたいなことは、全部信憑性がない。にも関わらず、「インターネット」や「本」には本当のことが書かれているように錯覚することがある。何故か?
 多分、インターネットも本も、割と能動的に「そうであって欲しい情報」のみを取捨選択出来る構造をしているからだと思う。上記の例なら、「人気男性Vtuber 人気女性Vtuber 同棲」みたいに検索すると、上位に「確証はありませんが、可能性は高そうです!」とかいう眉唾サイトが浮上することだろう。何故なら、人々は「そうであって欲しい」情報を多く閲覧するので、必然的に上位に浮上するし、同時に「そうであって欲しい」情報の方が閲覧数が増えるから、書く側もそちら側に偏る。100人のうち99人が「同棲してるんだ!」と認識した時点で、真実はどうであれ、「そういうことになる」のが現在のSNS世代のインターネットだと考えられる。

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 でも嘘の可能性はある。
 本当かもしれない。嘘かもしれない。確証は得られない。
 それを確かめるにはやはり、自分自身が目視するしかない。あるいは、「自分には関係のないことだから」と切り捨てる他ない。しかし他人の生活形態を正確に把握するのは難しいことだ。だったら、それっぽい正解を読んで「そういうこと」にして溜飲を下げるなり、一時の満足感を得て終わりにするのが精神衛生上良い。その方が効率も良いし、危険を冒さずに済む。そして、なんだか頭が良くなった気になる。僕だけは真実を知っているのだ、というような、付け焼き刃な状態が出来上がる。

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 最近、そういう人が増えたな、とふと思った。これは単なる世間に対する愚痴なのだが、SNSでバズる事例の大半は「民意」に通じている気がする。「そうであって欲しい」という願いの集合体や、「いや、そうではないよ」という訂正の意思が、バズに繋がる。憶測や虚構に塗れた世界の中で、唯一の救いの手が「この意見を賞賛/訂正したい」という願いなのだ。情報過多だから、ひとつの疑問に対して徹底的に自己研鑽する暇がない。だから分からないことがあればネットでちょっと調べて、「そうなんだ」と納得して、また次のコンテンツの視聴に戻る……その繰り返しばかりしていて、自分の中に「真実」を持つ人間の割合が減ってきたんじゃないか、という気がする。「真実」は言い換えれば「経験」や「体験」であり、言わば「アイデンティティ」を指す。
 まあ、本来「学習」というのはそういうものだし、僕は宇宙に出て地球を目視したわけではないけれど「地球は丸い」となんとなく理解しているし、「地球の外には宇宙という無重力空間が拡大している」ということもなんとなく知識として知っている。が、本当かどうかなんて分からない。そもそも、「アメリカ」という国が本当にあるかも分からない。だって、行ったことがないんだから。そこで撮られた映像や音声を電波を通じて見聞きしたとて、それが本物の映像である証明を、一体自分に対してどうやって行えば良いのか、未だに分からなくなる。

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 これは僕が今日、お昼休みになんとなくネットニュースを見てしまったことで発生した疑問や思想だ。なんでも、人気バンドが音楽フェスでルール違反を犯したことに対する賛否が飛び交っていたらしい。気になってしまい、『民意』を見たのが間違いだったのだが……当事者でもないのに「ださい」と言っている人もいれば、「流石だ」と言っている人もいて、うーん、なんとも言えない気持ちになった。
 僕もその「当事者でもない」人間のひとりなので同じ穴の狢であることは百も承知なのだけれど、僕はその「音楽フェス」が本当に行われていたかも知らないし、「人気バンド」の人が本当にルール違反を犯したのかも知らない。だって行ってないんだから。だけど、世界は他人の批評に忙しく、「みんなが一丸となっている今、ひとりのルール違反者が業界構造を変えてしまうのは許せない」という意見が多かったように思う。確かにごもっともなんだが、「音楽フェス」に行っていなくて「ライブのチケット抽選」に応募もしていなくて「そもそもそのバンドの新曲をひとつも知らない」僕と同じような人間がどれくらいいるのか? が少し気になった。みんな、他人事を自分のことのように受け入れすぎじゃないか? という気がする。怒りはもっともだけれど、人生の身の回りに、もっと簡単に確かめられる「真実」が転がっているんだから、そちらに集中した方が良いのでは? という感想を抱いた。「どうして米は美味しいのか」とか「どうして鍵盤を叩いて音が鳴ると楽しいのか」とか「どうしてこの漫画は面白いのか」とか、確かめるべきことがたくさんある気がするのに、毎日毎日ネットニュースに怒りを覚えて、律儀にRTして批判コメントをして役目を果たした気になるのは、疲れませんか? みたいな。なんか、久々にそういう、「もったいないな」という気になった。

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 上記、まるで人気バンドを擁護するような意見に見えるので、ここまで書いたなら自分の意見も書いておくが、「出禁覚悟である。自分のやり方は変えない」という意思のもとルールを破って演奏をされたようである。個人的には「出禁覚悟」じゃなくて「自分たちのステージだけルールを変えないなら出演はしない」の方が潔いと思うので、「とりあえず出演はします、演奏はします。だけど好き放題やります」はまあダサいな、とは思った。ダサいというか……うーん、適切な言葉が見当たらないが、「保護下で好き放題やる子ども」と同じというか。そんな印象ではあった。まあ、結論、ダサいに要約されるか。
 僕は上記したような「自分の意見が通らないならそもそも計画自体やめにしましょう」という意固地なタイプである。サラリーマンの仕事は片手間にやっているので自分の意見を押し通すようなことはないが、文章や音楽の表現の方ではそうで、「僕の伝えたいことが伝わらないのであればやめましょう」と言ってかなりの数の企画が死んだ人間である。なので、「世渡り上手で利口な人」なのは上記人気バンドのようなタイプの人なのだろうと思う。実際、僕は作品が世に出る前に「これじゃ何の意味もねえじゃねえか! だったらやんねえよ! バーカ!」と喧嘩してしまうタイプだから、そもそも世に出ていないし、認知もされていない。
 これを書いている今現在でさえ、「こんな雑な文章書いて、自分の意図が100%伝わらない可能性があるなら書くのやめよ! 公開しない! 全部消そう!」と思っているところなのだが、戒めの気持ちで最後まで書くことにする。ほとんど僕の愚痴というか、精神鑑定みたいな日記になりかけている気がするが……まあ、最近結構、孤独に作業をし続けていて多少疲弊しているのか、今回みたいな騒動をちらっと見てしまって「ああ、いいなあ、時間がある人たちは……」みたいな、よく分からない苛立ちを覚えたのかもしれない。嫉妬心なのか、自分に対する憤りなのかは分からないが、「自分が何も生み出さなくても焦らなくなった人たち」に対する、不思議なまでの嫉妬心みたいなのが、僕の中にまだ根付いているということのようだ。

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 このまま続けて「自分は何か作っていないと生きている意味がないように思えてしまうんです」という精神異常者特有の悩みを話そうとしたのだけれど、日記にしては多い量の文章を書いてしまったのでここら辺でやめておこうと思う。
 別に何か作っても、何も作らなくても、人には同じ時間が流れるし、その価値は宇宙規模で見れば等しく平等である。SNSで世界に向けて発信してフォロワーをたくさん獲得していても、何も発信せずに家に引きこもって無駄飯を食らって寝ているだけでも、人間の価値は等しく平等で、尊ぶべき命であることに変わりはない。願わくは、あなたのその命の存在を見守ってくれて、嘆かなくても寄り添ってくれる誰かが隣にいれば良いのにと思うばかりである。自分への戒めも含め、よく分からないままこの日記は投稿される。

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