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8月24日

 今日も夜まで作業の予定だが昨日が遅かったので、9時頃に起床し、目を入れて、納豆と卵を朝ごはんにして出社。時間をずらすと電車が空いているので、精神衛生上とてもよろしい。通勤中と退勤中は作っている最中の曲を聴き、仕事は滞りなく終わった。そして、23時半頃に着たくした。地獄である。

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 日記に仕事の内容を詳しく書かないのは、まあ一般的なコンプライアンスを守っているからである。たまにこう「今日会社でこういうことがあって、これこれこうで、こんな具合に大変だったんだよ……」みたいなことをSNSに書いている人が散見されるが、特定されない範囲とは言え、本当はネットなんかには書かずに友達に話すのがよろしいかと思う……が、もしかしたら最近はそういう風潮ではないのかもしれないな、と思う場面が増えてきた。
 この辺の感覚は、「インターネットは危険な場所である」という意識を持ってインターネットをしてきた人類(黎明期〜2010年くらいまで)に多い気がするが、インターネットネイティブな若年層や、インターネットが一般化してから参入した高齢層には響いていない気がする。つまりインターネットは『現実の拡張』であり、『世界に発信している』という感覚は少ないのかもしれない。まあ、時代の流れというしかないだろうか。感覚は常にアップデートして行きたい限りだ。決して仕事の内容を詳しく書くようなことにはなりたくないが。

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 先週の土曜日くらいに曲を作り始めてから、仕事と打鍵以外の時間はずっとDTMをしている。と言ってもまだ曲の構成も確定していないし、歌詞も決まっていないし、アレンジも当然決まっていない。が、直感的に「この曲はいい曲だ」という確信があるので、毎日少しずつ手を入れている。主に、出勤&退勤の時間に最新版の曲を聴き込んで、気付いたことをメモしておき、寝る前に少しいじって最新版にアップデートして……という繰り返しの工程となる。SNSをあんまり見なくなったので、必然的に時間が出来、隙間時間で対応出来ているというわけだ。
 僕は基本的にギターで曲を作るが、DTMをやるときはほとんど打ち込みだ。ドラムやベース、ピアノ、管楽器はポチポチノーツを書いて、音を合わせて再生し、微調整を繰り返す。が、ギターに関しては流石に自分で弾いたほうが早いし楽しいので、良いテイクを録るために、最近はひたすら練習している。そのせいで、毎日左手が筋肉痛になっている。嬉しい痛みである。

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 僕の性格上の問題として、「簡単に出来ることはあんまり楽しくない」というのがある。例えば、ギターでコードを「じゃらら〜ん」と弾くことは簡単に出来る。小慣れたスケールを弾くことも、ある程度簡単に出来る。そうなると、「わざわざ弾かなくても良いか、楽しくないし」みたいになる。あるいは「もっと難しいことに挑戦したい!」という気持ちになる。なので、万年ギター練習小僧になってしまうのだ。もちろん、弾けるようになった曲を確認のために弾くことは多々あるが、ほとんどの時間は「練習」をしているように思う。良く言えば「意欲的」で、悪く言えば「突き詰めない」とでも言うか。
 弊害と言うほどでもないけれど、前述したように僕は常に何かを「練習」している人間なので、ギターを弾かない人から見たら「こいつずっと下手くそだな」という評価かもしれないな、と思った。小説でもギターでもピアノでも、常に「自分が出来ないことをずっと練習している」状態なので、周囲からは「こいつは上手くない」認定なのかもなあ、という感想を抱いたのだ。というか自分自身も「俺って下手だなあ……」と思い続けている。
 8月22日の日記で書いたが、

 僕にとっての『真実』とは、すなわち『体験』である。
 僕は疑い深い人間だし、なんなら世界中の全てのことを疑っている。あらゆる機械のメカニズムや、人体の不思議や、宇宙の膨張など、「多分正しいんだろう」くらいには捉えているけれど、全然嘘な可能性も否定していない。というか、そういうスタンスを取っていないと気になって仕方なくなってしまうのだ。でも、例えば他人の気持ちだったり、世界の真理だったりっていうものは、いくら考えたところで、いくら疑ったところで、絶対に答えなんか分かりっこない。
 恋愛観で言えば、「僕が好きかどうか」が全てで、他者の自分への好意ってあんまり気にならないタイプだ。もちろん生まれつきそうだったわけではなく、33年間曲がりなりにも生きてきた結果、「相手が自分のことを好きかどうかなんて一生理解出来ないのだから、自分の気持ちだけが正解だ」という結論を出した。それは逆に言えば、僕自身が「好きでもない人間に好きな態度を取れる」人間だからなんだろう、という逆説的で悲しい話でもある。僕は本当に性格の悪い男である。
 まあともあれ、そういう「自分の思考や、自分の体験だけが真実」という生き方をしているので、難しいギターリフや難しいピアノ曲とかを見ると「おいおい、これ本当に人間に弾けるのかよ」と思って練習したくなってしまう。自分の脳内に鳴った音楽も、「これ、マジで弾けるのか……?」となって延々と練習してしまう。多分、今後の人生も僕は「自分が気になったことを無理矢理解決する」ことに人生を注ぐのだろう。物欲がなさそうに見えて高い買い物をしまくるのも、「これ、本当に良いものなのか!? 俺が確かめたい!」みたいな気持ちが先行している結果なんだと思われる。我ながら面倒な人間だ。

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 日記を書いていたら0時を回っていたので、滞りなく『ONE PIECE FILM RED』のIMAX上映を予約した。土曜日の朝9時の回である。ちょっと朝早い気もするが、土日はフルバーストで人生を楽しむ方針にしているので、金曜日は早めに就寝して映画に備えたいところだ。
 映画を観たら、今週届いた靴紐を取り替えるため、靴をピカピカに磨く予定。このように、平日のうちに週末の楽しい予定を立てるというのは、僕の父親が長いことやっていた生き方なので、存外、子は親に似るなぁ、みたいな気持ちになった。

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