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その手順は私に向かない

 秋が来ようとしています(挨拶)。


日記でも書かないことには

 雑なSNSをしない、という自分ルールを掲げてから2週間ほど経ちました。
 なんとか雑なSNSをしないまま、2週間生きてこられました。
 しかし「雑なSNSをしない」というのは逆を取ると「ちゃんとSNSをやる」という意味なのではないか? という思いがありまして、そのためには「創作活動をアピールしよう」とか「告知をしたり、リポストをして人の目に触れるようにしよう」とかするべきであり、なんとなくそんな感じでやっていたんですけれど……冷静に考えるとそもそもぼくは、「誰がぼくをフォローしているのか」ということを徹底して制御するような運用の仕方をしておりまして、宣伝目的で交流するタイプの人は苦手なので、そういう人はぼくをフォローしていない気がするんですね。そうなってくると、宣伝してもあんまり意味がないかな、と、最近思い始めました。
 10年以上前のことになりますが、当時も細々と小説を書いていて、その中で小規模なものから大規模なものまで、今で言う「バズ」ったことがあります。二次創作の恩恵ですね。
 その際にワッと知り合いやフォロワーが増えました。Twitterは最初、10人程度の相互フォロワーで利用していたのですが、「バズ」が起こると、100人とか、多い時は1,000人くらいの人にフォローしていただいた時期がありました。当時は利用者も少なかったですし、小説という界隈は規模が小さいですから、小説を切っ掛けにして1,000人も興味を持ってくれたとしたら、それは凄まじいことだったのです。
 なんですが、当時からぼくはこんな性格でしたから、「こういう興味の持たれ方をしても、それに応えられるわけではない」とか、「その二次創作界隈の人間と認識(誤解)されるのも困るなぁ」とか色々考えて、アカウントを消したり、フォローしてきた人がどういう人なのかを観察して、ブロックするとかブロック後に解除するとか、そういう方法でフォロワーを制御していました。嫌らしい言い方をすると、「厳選」していたのです。そのなれの果てが、現在のXアカウントです。誰がぼくをフォローしているのか、1人1人把握しているくらいの状態です。

 そんな人間が宣伝をしたところで、意味なんてないのでは。
 宣伝した創作物がリポストされてまた「バズ」ったところで、そもそも「バズ」や「認知度」を目的としていない活動なのだから、また嫌な気持ちになるのではないか。
 ていうかぼくは、何のために創作をしているんだろうか。「やるのが楽しい」だけであって……もちろん楽しんで欲しいし、評価されたり反応されたら嬉しいけれど、そこに相互干渉はあまり求めていないのではないか……。

 という当たり前のことに今更ながら気付いたので、Xでの告知ポストは今回限りで終了とさせていただきます。長きにわたり、ぼくのTwitter、並びにXのアカウントをフォローしていただきありがとうございました。まあ「雑なSNSをしない」だけで、アカウントを消しますという公言ではありませんから、何かの際には普通に呟くと思いますけれども、日常的な「小説の更新」及び「日記の更新」についての告知ポストは終了いたします。

 別にわざわざそんなことを宣言する必要もないとは思いますが、やっぱりどうしても、急に人がいなくなるのは寂しいじゃないですか。無駄な心配をさせるかもしれないし。なので、一応の説明としてここに明記しておきました。
 今後、福岡さんの「小説」を追ってくださる方は「カクヨム」という小説投稿サイトでぼちぼち小説を公開して行こうと思いますので、たまに閲覧するなり、フォローするなりという方法をご利用ください。

 また、福岡さんの「思考」を追ってくださる方は、本noteにて暇さえあればうだうだ喋ろうと思いますので、こちらをフォローするなり、思い出した時に検索するなりでご利用いただければと思います。


運転免許証更新期限が迫る

 ここから通常運転です。
 通常運転という文言から始まる文章で「運転免許証の更新期限が迫っているのだ」という話をするとウィットに富んでいる感じがしますが全然そんなアレではございません。
 35歳の福岡ですが、いわゆる「ゴールド免許」というものを持っております。ゴールド免許って何かと言うと、「優良運転者」という定義に当て嵌まる、公道での自動車の運転を許可された人間のみが持つことを許される運転免許証を指します。
 そもそも免許証に色なんかあるのかよということですが、「グリーン」「ブルー」「ゴールド」の3種類があります。免許証を取り立ての人は「グリーン」の免許証を交付されて、3年後に初回の更新があり、ここで「ブルー」になります。で、「ブルー」から3年経つとまた更新があり、ここで無事故無違反であると「ゴールド」になります。
 つまり「グリーン」は取り立て。
 次の「ブルー」は普通の免許証。
 そして「ゴールド」は優良運転者を指します。
 とは言え、気を付けて運転していたり、ほとんど車を運転する機会がなければ、大半の人は「ゴールド」になるかと思います。僕が免許証を取得したのは19歳くらいだったかと思いますが、それから3年後の22歳で「ブルー」になり、さらに3年後の25歳で「ゴールド」になりました。
 通常、免許証の更新は「3年に1回」なんですが、「ゴールド」になると、5年に1回でいいよという特典が付与されます。しかも、講習内容もかなり簡略化されます。なのでありがたい風潮と言えばそうなんですけれども、5年も免許更新と距離を置いていると、流石にもう何も覚えていないんですよね。5年に1回でいいよというのはありがたい特典でありながら、弊害でもある気がします。
 ぼくは5年前はまだ「長野県」に住んでいたので、免許証の表書きの住所は「長野県」になっている。実際には当時もう既に「東京都」で仕事をしていたんですが、出張扱いだったので、本籍的には「長野県」だったんですよ。つまり、免許の更新も「長野県」で実施していましたし、今までの人生、免許証に関することは全て「長野県」でやっていたのです。
 しかしながら、今回は「神奈川県」でやらなきゃいけない。
 やり方がわからない。
 それで、なんかその作業を棚上げしておりました。
 そのまま、結構ヤバイところまで期限が迫ってきています。

 記録のためにも運転免許証の「裏面」を載せてみますが、5年間に3回も引っ越しをすると、このような状態になります。
 運転免許証の仕組みとして、表面に記載されている住所と現在の居住地が異なる場合、裏面に「本籍が変わりましたよ」という但し書きがなされます。が、物理的な証明書には余白に限りがありますので、ぼくのような極端な引っ越しをすると、上記画像のように「紙を貼って余白を継ぎ足す」という荒技に出るようです。
 しかしこうして見ると、「7月16日に引っ越して、10月12日に再度引っ越しって何?」という感じに見えますが、実際はこれ、2月頃に引っ越したまま「住所変更を怠っていた」という怠惰によるものです。約半年間だけ、ぼくは東京に住んでいたのですね。この引っ越しは特に意味はなかったように思いますが、まあ離婚に伴う引っ越しだったので、神奈川県を離れたかったという気持ちがあったのでしょう。しかしながら、令和2年の2月頃に引っ越しをして、その途端にコロナ禍に陥ってしまって、テレワークが始まると、寝るためだけに借りた部屋の居心地が悪くなり、精神的によろしくなくなって、再度横浜市に引っ越した、という遷移を辿っています。
 上記の理由もあって、「しばらくは引っ越すのは止そう……」と思っていたんですが、そろそろ今の家に越してから3年が経とうとしているわけですね。感慨深いというか……あっという間過ぎて、むしろ何の感慨もありません。不思議なもんで、たった半年しか住んでいなかった東京の街の方が思い入れがあるくらいです。あの頃は毎晩、生き残るために必死でもがいていた気がします。だからこそ、思い入れがあるのでしょう。

 閑話休題。
 とにかく、ようやく前回の講習から5年が経過したので、運転免許証の更新をしなければなりません。更新は、誕生日の前後1ヶ月間のうちに済ませなければならないため、9月14日生まれのぼくは、8月14日から10月14日までの間に更新をする必要があります。しかしながら、あまりに面倒でサボっているうちにそのことを失念してしまい、昨日思い出しました。「やべえ、あと2週間くらいのうちに更新しないと失効する!」という状況です。
 戒めのためにも、日記に書いておきました。何も調べていませんので、「いつ、どのようにして受ければいいのか」ということから学んで行く必要があります。本当に間に合うんだろうか? まあ、もはや失効してもあんまり困らない状態ではあるんですけどね。
 知り合いがいれば「神奈川県の免許更新って、どこでやるんすか?」とか聞けば済むんですけれど、完全にひとりで、地元の知人もいない状態で生きているので、全てのことは一から調べなければなりません。友達のいない生活は気楽ではありますが、こういう時の調査が人一倍大変なので、トレードオフという感じです。トレードオフがどんな意味なのかはちゃんとわかっていません。


日々を生きる上での報酬額

 つい先日、給料日がありました。ぼくはごくごく平凡なサラリーマンですので、ごくごく平均的なお給料をもらっています。
 と言ったところで実際に「35歳男性の平均年収」を調べてみると、510万円だそうです。東京近郊で大卒の35歳男性だと、570万円と書かれていました。本当かよ、という感じもしますけれど、まあその辺の平均額くらいもらっています。高卒で神奈川県住まいの35歳独身男性なんですが、それにしてはある程度もらっている方だろうな、という自覚があります。夏の間エアコンを付けっぱなしにしていても、やる気がないからとUberEatsを頼んでも、急に思い立って「電気ポット」をポチっても胸も懐も痛まない程度の収入はあるわけですね。
 とは言えまあ、それにしたってあんまり使いすぎるのもよくないと思って、今年の夏くらいから(今更?)出費を控えるようにしました。控えた結果、7月から8月、8月から9月で集計してみたところ、1ヶ月あたり約10万円くらいは貯金出来るということがわかりました。独身ですし、交友関係もないですし、まあ順当でしょうか。
 今年の前半で諸々の支払いも終わり、適当な気持ちで契約していたサブスクとかもほぼ解約し、今現在、生きるのに掛かる金額と言えば、
・家賃
・水道光熱費
・食費
 くらいなものです。
 自分の人生を楽しむためのツール……楽器とか、パソコンとか、ゲーム機とか、そういうものも一通り揃ってしまったので、あまり大きなハードを買う予定もない。日々の趣味と言えば、NETFLIXで映画を観るか、小説を読むか、小説を書くかくらいなものですので、日々使うお金は本当「食費」くらいなものです。
 でもまだ全然余裕を持って暮らしているので、突然高いお肉を買ったり、本を買ったりしても、余裕があります。家賃も高いですし、切り詰めに切り詰めれば、毎月25万円くらい貯金出来るかもしれませんが、しかし、それをしたところでどうすんのよ、というのもあるので、まあ現在の高めの家賃の家に住んで、自由に暮らしています。
 お金を貯めてやりたいことなどありませんから、今回は実験的に「無理なくいくら貯まるんだろう?」みたいな感じで2ヶ月調査をしてみたわけですけれども、うーん……まあ実感として、「お金がある」状態は「お金を生む」な、という感想です。
 投資とかそういう話ではないんですが……そもそも、預貯金があることが怖いタイプのぼくは、とにかく物を買ったり経験に使ったり、という方向に走っていて、結構病的に「貯金はしたくない」派だったんです。「貯金をするということは、死ぬのと同義なのではないか」くらい、病的に怖くて、今までまともに貯金をしたことがありません。基本的に全部使い切るようにしていました。
 しかしながら、今急に仕事を辞めても「しばらくは何とかなる」くらいのまとまった貯金が出来ると、次は「数年は何とかなる程度」とか「大病しても何とかなる程度」とか「人ひとり救えるくらい」とか、新しい展望が見えてきます。もうちょっとだけ貯めてみようかな? という気分になるので、さらにお金を使わなくなる負のスパイラルが発生するなぁ、という感じです。貯金が趣味だ、という人の気持ちが、最近少しだけわかってきました。
 まあでも、お金を貯めるために生活を犠牲にしては本末転倒ですから、無理ない程度に貯金を進めて、40歳くらいまでに1,000万円くらい貯金があればいいのかな、という感じです。将来的にはこぢんまりとした家でも建てて、老後はそこで静かに暮らす予定です。小説でも書きながら。


亀ならせめて一歩目くらい

 高校生の頃からずっと不思議に思っていることがあります。
 ぼくは本を読み始めるのがすごく苦手なんです。
 本を読むのは好きなのに。
 お前は何を言っているんだ、という感じなんですけれど、本当に「本を読み始める」のが苦手なんです。本を買って、手に取って、読み始めると面白くなってきてウワーッと読み進めるんですが、最初の数ページを読んで「事を始める」というのが苦手なんですね。
 とは言え逆に、「読み始めちゃえばなんとかなる」という感覚もありますから、無理にでも勢いをつけて「始める」のが得意という考え方も出来ます。上手く言えないんですが、なんと言うか……「苦手」は性格の問題なんですけれど、「得意」は技術というか。どう言ったらいいんでしょうね。
 本を読み始める、あるいは仕事を始める、または上記した「免許証の更新のための準備をする」みたいなことが、性格上すごく苦手なんです。面倒くさがりですし、ずっとだらだら寝ていたい。なんですが、そうも言っていられないので「エイヤ」と起き上がって何かを進める必要がある。元々が「苦手」な性格をしているから、それを克服するために様々な技術を習得するわけです。「こういう時は、こういう始め方をするといい」とか、「始めるのが億劫な時は大抵眠い時だから、たくさん寝ておこう」とか。
 だからぼくは「毎日小説を書く」とか「毎日1冊本を読む」とか「映画を1本観る」とか、そういうルーチンをやろうと思えば意外と出来るタイプなんですね。こんなにルーチンワークが苦手そうな人間なのに、実際苦手なのに、心を無にしてそれが出来るという特技があります。毎日仕事をするとか、人とお喋りをするとか、「苦手」なことこそ、確立された「技術」があるから出来る、みたいな。生存戦略の一環ですね。
 しかし悲しいことに、「本当に好きなこと」は、いつまで経っても上手くならないところがあるんですよね。いや、本を読むのも映画を観るのも好きなんですが、一向に「上手くならない」のです。これをぼくは、「無我の境地」なのかなと感じている部分があります。本当に好きなことをしている時って、それが楽しくて仕方がないので、あんまり脳が働いていないし、快楽によって支配されて、記憶も残っていないんですよね。いわゆるハイな状態です。技術が磨かれない。

 これって不公平というか、普通逆じゃない? と、昔からすごく悩んでいたんですけれど、最近になってそれを受け入れ始めました。「本を読むことが上手になりたい」とか「小説を書くのが上手になりたい」のに、それをやること自体が楽しいから上手くならないんです。悲しいことです。しかしまあ、「ぼくはそういう人間なんだ」ということを、最近受け入れられるようになりました。老化というか、諦念というか、まあちょっと悲哀的な話ではあるんですけれども、「何も始められないよりはマシだろう」くらいに、自分を肯定的に見られるようになりました。
 年の功だなぁ……という話です。あるいは本当、ただの諦念なのか。
 ぼくはウサギとカメなら、間違いなくカメ側の人間です。何かを始めて、勢いに乗ってトップスピードで駆け抜けるタイプではありません。同じことをずーっとずーっと繰り返して、少しずつ上達して、蓄積するタイプです。「インターネット上に日記を公開する」なんてことも、かれこれ20年以上続けています。「小説を書く」も15年以上やっているし。だけど別に上手くならないし。でもいいんです、考えてみれば、上手くなりたいが目的ではない。「楽しいから」が目的で、それはもう叶っていて、付加的に「上手くなりたい」があるだけなのですから。そういうことを、老化と共に、少しずつ受け入れられるようになってきた。

 ぼくは鈍足な亀には違いないんですけれども、そもそも亀であるぼくがレースに出る目的は、「速くゴールすること」でもないし、「一番になること」でもないし、ましてや「ウサギを出し抜くこと」でもありません。多分、ぼくという亀は、「レースに出て、歩く」ということをすごく楽しめる性格なんだろうと思います。
 たまに福岡という人間は自己肯定感が高いのか低いのかみなさんもわからなくなると思いますが、基本的には低くて、自分には何の才能もない愚鈍な人間だと、自己認識しています。ただ、そういうことを言われても反応に困るだろうなあという自覚があるので、対外的には自己肯定感高く生きています。が、根っこのところはすごく低い。技術に裏打ちされた「自信」はあるけど、それがなければ何も出来ない、「歩くことしか出来ない」愚鈍な亀なのです。

 そんな亀な自分なんだから、一歩目くらいは早く踏み出そう——みたいな意識が当時のぼくにあったかはわかりませんが、なんでも「やる」ようにしていました。おかげで何事も「始める」のがすごく得意になりました。思い立ったら即行動、失敗してもいいからチャレンジしてみよう、みたいな。どんな結果が待っていようと、レースに出て歩くこと自体を楽しめる人間なんだから、せめて一歩目くらいは自分の中の最速を叩き出せよ、という感じでしょうか。
 まあなんか、別にだからなんだよという話ではあるんですけれども、そういう風に自分のケツを叩きながら、これからも愚鈍に歩き続けられればいいなあ、最初の一歩目は最速でありたいなあ、と改めて思いましたというお話でした。


背表紙ないと落ち着かない

 ほとんど「今後は告知ツイートはしません」ということを書きたいがために日記を書き始めたので、特筆してまで書くべきことがありません。ので、今回は本当にぼくという人間の日常に関する話になってしまいました。どーでもいいわおっさんの日常とか。
 ともあれ、今後は「カクヨム」と「note」が本当の主戦場になるのかな、という感じです。Xへの日常ツイートも、別に禁止しているわけではないんですが、自然としなくなるかな……という気がしています。少し寂しい気もしますし、人付き合いが減ると生命の危険度が上がるので少しだけ不安ですが、まあ仕事もしていることですし、家族もまだ生きているので、何とかなるのではないかと楽観視しています。
 あれですね、ひっそりと結婚相談所とかに相談をしに行って、恋愛とかよりは生存戦略的側面の強い、「同居」という選択を出来るパートナーとか探した方がいいのかもしれません。どちらかが困った時に助け合えるような関係というか。でも向いてないんだろうなぁ、ぼくは……集団生活に向いていない個体なんでしょう。まあでも、なんとかなるでしょう、今まで35年間なんとかなってきたのだから。と、楽観視して行きたいところです。

 そんなわけで、今後はXにも通知しなくなるよ日記でした。
 ある意味で心機一転、というか原点回帰か。告知すれば誰かに見てもらえるかも、という期待のない、完全にひとりで黙々と何かを発表するという気の狂った地獄に舞い戻ることになりますが、なんだかんだでそちらの方が気負わずに済む気もしますので、心新たに頑張ろうと思います。
 ぼくに興味のある方は、年1くらいで、たまに覗いてみて下さい。
 多分相変わらず、なんかしていますので。
 というわけで以上、今までお世話になりました。
 いやいや……再三になりますが、別にSNSを辞めるわけではないのでね! 単なるSNS時代の区切りとして、背表紙として、「告知は辞めます!」というだけのお話です。ぼくの生活は続くし、ぼくがインターネット上で活動することも続きます。単に気付きにくくなります、というお話です。
 なので今後とも、興味を持っていただける方、よろしくお願い致します。
 それではまた来世。
 アディオス!

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