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ネットの向こうの誰かの話

ガジュマルの木の下で、片手にコーヒーを持ちながら歓談し合う男女や家族。
それらの命をうばう一つの不発弾。
突然訪れる理不尽な出来事。
痛みは瓦礫の下に埋まり、隠れてしまう。

安寧な場所から
そんな酷薄な想像を嬉々として綴れる
現実に満足してないから刺激的な言葉を使って
フィクションの人物らに想像力のない自分。

フィクションの人物らに鳴らされる弔鐘すら
聖職者の言葉を引用して
自分のために鳴っていると嘲り笑う。
虚構では遠い国の不発弾を操り、人の不幸を作れるが、
現実では
鏡も、窓も、扉もない不思議な場所の中で
自身を見失い「私は誰だ?」と探しているかも?

お題『ガレキにガジュマル』、『誰がために鐘は鳴る』みかんの短編部屋お題様


【後書き】
上記2つのお題を使った作品がイマイチだったので再考。
ネットの向こうから時として心無い言葉が聞こえてきます。
傷ついてしまうのはもちろんなのですが、それと同時に「気持ち悪さ」を感じるのです。
その気持ち悪さの正体はなんなのでしょう。

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