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一つの表現を巡って

本日はエッセイです。
お題作者様のお題あっての、このアカウントですが、お題一つに色々とりようがあって考えさせられるお題。逆に限定されるから考えさせられるお題。色々考えられているなーと思います。

今日は言葉の添え木さんのお題『雨の向こう、待つ君へ』です。
パッと思い浮かんだのは雨宿りをしている君に傘を届けに行く私の映像。男女でも親子でも好きに想像して良いでしょう。
お互い離れた家に住む君。雨の中でも会いたい私の映像。これは恋人でも親友でも良いでしょう。
何を想像するにしても、そこは思いやりが感じられる温かな光景が広がります。
一言のお題なのに、もうこれだけで完成してしまっている素敵なキャッチコピーのようなお題です。

さて、もう少し細かく注目していたいと思います。例えば雨。
この雨はどんな雨を想像されていますか?
お題を出された方は明示されていません。したがって、どんな雨を想像してもいい。
激しい傷を伴うような土砂降りでも、傷ついた気持ちに寄り添うな小雨でも、切ない気持ちになってしまう霧雨でも。ここでの◯◯のようなは松本の主観ですので、感じ方は人それぞれですし、表現の仕方は多々ありますね。

私たちは何故雨宿りや、家の中を想像したのでしょう?
それは雨の降る場所と、降らない場所を区切る「向こう」という言葉があるからではないでしょうか?
雨は境目があって、降っている場所と降っていない場所があり、
それをご覧になった方もいるのではないでしょうか?
そういう自然現象よりも、なぜそっちを想像したか? それは一般的な感覚故かと思います。

区切られた場所の向こうで待っている「君」は笑顔でしたか?泣いていましたか?それとも、それ以外? 色んな様子を想像してもいいのでしょうから、これも名言されていません。
それによって描かれる詩やポエムや文章は違ってくるでしょう。
土砂降りの中、手を差し出すように笑顔で待ってくれる君ですか?
霧雨の中、凍えそうに体を震えさせている泣きそうな顔の君ですか?
色んな風景を想像させられる名お題ですよね。

雨はなにかの比喩表現とも受け取れることができるでしょう。
先ほど、雨が降る場所と降らない場所は区切られていると書きましたね。
区切りがある。それは断絶とも受け取り方があるでしょう。あくまでも一例です。
恋愛作品を書かれる方なら分かると思いますが、私たちの気持ちや言葉は通じないことがあります。
それは私たちの発する言葉の熱量が相手に伝わらないという他者との区切りだったり、
熱量を自身が伝えきれない、想いと言葉の区切りだったり、心と体の区切りでもあると思います。
それらがある故に人はお互いに完全に理解し合うことなど不可能なのですし、それ故に苦しい時もあるし、歩み寄ろうと話し合うこともできるのです。

ですので、そんな心理を踏まえて、
先ほどの土砂降りの笑顔の中に手を差し出してくれる笑顔の君に置き換えてみましょう。
「土砂降りの雨」を私たちの生活で溢れる言葉や、言葉と置き換えて、伝わらない断絶があるけれど、それを超えて、差し伸べられた手は理解し合えた歓びに満ち溢れた光景に繋がるのではないでしょうか?
そう考えていく過程を踏まえて、表現していくと創作って楽しくないですか?
Twitterでの創作は新しい表現を目指すアートって人もいるでしょうし、
どう理解されて、どう発信されるかを楽しむ実験場であり、コミュニケーションの場として活用している人もいるでしょうし、
それらに挑戦している人もいらっしゃるでしょう。
そんな彼ら彼女らに自分としては出来ることは「リスペクトはしても、曲解して悪意をもって接したりしない」ことが大事になってくると思います。
お互いに完全に理解し合えないし、全ての意見を肯定し合えるわけでもない。
けれども、同じ場で遊んでいる……リアルの生活もある人同士なので。
楽しむ場としての最低限の礼儀は忘れないでいきたいですね。

とまぁ、「お題の時点ですごいと書くことないよね」と言い訳をしてみした(๑>◡<๑)
お題作者さんは、もちろん。他の表現者の方も皆様このような葛藤をされていると思います。
皆様ありがとうございます! これからもよろしくお願いします。
松本、良心ある変態なんで取って喰うぐらいだから大丈夫ですよ(๑˃̵ᴗ˂̵)グフッ

お題『雨の向こう、待つ君へ』言葉の添え木様

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