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白衣を脱ぎ捨て治験コーディネーターへ転生したけど、やっぱり白衣を着て仕事をしており、結局白衣は正義だった件について

こんにちは。あめりです。

今回は、看護師から治験コーディネーターへの転職について書きたいと思い、転生ものっぽいタイトルにしてみました(笑)

少し長くなりますが、よろしくお願いします!

はじめに

治験コーディネーター(以下、CRC)へ転職して数年が経ちました。
正直、「CRC・・・辞めたい」と思ったことは数知れず。

それでも辞めずにやってきた中堅CRCです。
CRC歴4年以上ありますが、いまだにCRCが自分にとって向いているかどうかは分かりません。けれども、看護師より長く続けることができております。

今回は私が看護師からCRCへ転職してからの4年間の変遷を振り返りながら、転職してからの苦労や、CRCの仕事の面白さについてお伝えできればと思います。

※治験や仕事の投稿は個人の見解に基づくものであり、所属組織およびSMOを代表するものではありません。


CRC転職1年目
ー転職初年度、こんなに大変だとは!

今振り返ってみても、CRCとして一番辛かったのは1年目だったと思います。辛かった主な原因は、「看護師とのギャップ」と「プライベートの変化」でした。

看護師とのギャップ①【病院内での立場の変化】

病院で働くという大きな枠は一緒ですが、看護師時代とは仕事内容だけではなく立場も変わります。看護師の時は「病院のスタッフ」ですが、SMOのCRCはあくまで「外部の人間」です。患者さんから見れば同じ「病院のスタッフ」ですが、院内での立場は異なります。

例えば、医師やコメディカルのスタッフとの接し方です。
看護師時代は、医師やスタッフさん達と長年の友のように朝まで飲み明かすような看護師でしたが(懐古)、CRCとしては、そのような態度のままで仕事をするわけにはいきません。

医師だけではなく、コメディカルのスタッフも全員、SMOのCRCとして接する時は同僚ではなく、クライアントです。この意識の差に留意する必要があります。
全方位に気を遣う必要が出てきたこの空気感に慣れるのに少し時間がかかりました。看護師という立場が病院内でどれほど強かったかを痛感しました。

「懐かしき、看護師時代」  photo by freepik


看護師とのギャップ②【給与】

看護師の時に比べ、CRCは夜勤がないため年収が下がります。(人によりますが)さらに、転職初年度はボーナスも期待できません。

下がった年収に追い打ちをかけるように、住民税の支払いがあります。住民税は、昨年度の年収を基に徴収されるため、それはそれはカツカツでした。

「住民税って意外と払っていたのね」   Author:stockking/source:Freepik

少ない給与から、住民税や生活費を確保するために、あらゆる対策を講じました。この対策の結果、看護師とのギャップに続く、転職初年度を苦しめた「プライベートの変化」へ繋がっていきます。

転職後に起きた「プライベートの変化」

以下が転職に伴い私に起きた変化です。

  • 居住地を変更する。(好立地エリアから郊外エリアへ引越す→家賃を下げた)

  • 月1の旅行をやめる。

  • デパコスのスキンケアを買うのをやめる。(地味に辛かった……)

  • 彼氏と別れた

あらゆる節制の甲斐あって、なんとか生活はできていました。
しかし、居住環境と仕事がほぼ同時に変化したため、自分でも気づかないうちに精神的には疲弊してしまいました。

もしこの記事を読んでいる人の中で、仕事もプライベートも大変革を控えている方がいらっしゃいましたら、どうかご注意ください。自分の想像より、自分は十分に頑張っていると褒めてあげましょう。


CRC転職2年目
ー仕事のペース配分分かってきたかも

転職1年目で起こった苦労から、この状況でCRCを続けていくことに不安を抱えつつも迎えたCRC2年目。

CRCとしての動き方が少しずつ分かるようになってきました。ただ、担当する疾患は常に新しいもので、日々の勉強は欠かせませんでした。

この頃は試験数だけではなく、自分が担当していた施設も増えていました。病院の特性に合わせた業務内容を求められるようになりますが、少しずつ仕事に対しての力加減も分かるようになっていきました。

1日のうちに病院から病院へ移動する日は、移動時間に少しだけ仕事のことを忘れられるような心の余裕も持てるようになりました。

「電車の中で気持ちの切り替えもできます」 photo by freepik

CRC転職3年目
ー日々の業務から得た気づき

転職3年目。ここまでくるとたくさんの経験値を蓄えています。

施設からのクレーム対応、CRC由来のインシデント、モニターさんと一緒に頭を抱えるようなトラブルなど詳細は割愛しますが、辛いこともたくさん経験しました。

辛いこともありましたが、辞めずに3年目を迎えられたのは、看護師の時とは違う面白さに気づき始めたからだと思います。
きっかけは、長期試験の担当をして得た気づきでした。

「あ、この試験のPIと患者さん、結構長い付き合いだな」

                         Author:pressfoto/source:Freepik

1人の患者さんを年単位で担当することは、看護師時代では経験できないことでした。治験を通して改善していく姿を近くで見れたり、治験が終わっても病院の中で挨拶し合ったりするような関係性が築けていることに面白さを感じ始めていました。
(※全ての患者さんに治験薬が奏功するわけではありません)

患者さんだけではなく、PIも3年以上の付き合いになると、人見知りなPIでも心を許してくださります。CRCの窓口代表として、PIと連絡を取ることもありました。信頼されていることが伝わってきて嬉しかったのを覚えています。

また3年目になると、病院スタッフさんとの付き合い方にも慣れてきます。上述の通り、SMOのCRCは外部の人間です。同僚ではないからこその交渉術や謝罪も3年目になると少し様になっていきます。(時には、心にもない謝罪の言葉がペラペラと出てきます。)

「誠意のある謝罪が大切です」

CRC転職4年目
ーもう看護師には戻らない?!

3年目にしてようやく、CRCの面白さに気づき始めたのですが、4年目で新たな面白さに気づきます。それが、私にとって看護師には戻らず、この業界をサバイブしていこうと決意したきっかけになります。4年目の気づきについては、少し長くなりそうなので一旦ここまでにしたいと思います。

ここまで、読んでいただきありがとうございます。
続きも読んでいただければ嬉しいです!

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