イヤな予感のいう通り
気がついたらすっかり秋である。
ついこの間までおもては炙るような日差しで溢れていたのに、いきなり階段を3段くらいすっ飛ばしたように季節が進んだ。
衣替えが間に合っておらず、Tシャツの上からカーディガンや薄手のジャケットを羽織ってしのいでいる有様。
衣替えしたの先月とかじゃなかったっけ…それはさすがに嘘か…
そんな中、イヤな予感は当たるんだなという話。
今朝、友達の誕生日プレゼントを某カフェに忘れていたことに気づいて、大慌てで引き取りに行ってきた。
忘れた当日は別件でバタバタしていて、そのまま丸一日プレゼントの存在自体を忘れていた。
最近はわたしもヒトとしてしっかりしてきたと思っていたのだけど、錯覚もいいところである。まさかひとにあげるものを忘れるなんて。
カフェの荷物置き(カウンター席のテーブル下にあるやつ)に紙袋を置いた時に、自分でもちょっと感じたのだ、「見えないし、忘れそうだなあ」と。
なにはともあれ、プレゼントは無事だった。
その後、無事に回収したプレゼントを雨の中持ち歩くのもイヤだったし、時間があったので、一旦家まで持ち帰った。
明日までにすませたいテキスト作業があって、午後からzoom面談もある。その前に図書館と買い出しにも行きたい。よし、先に外出する用事をすませてしまおう。
買い出し用のWAONカードをチャージしたかったので、現金3,000円を二つ折りにしてジーンズのポケットに入れた。普段なら財布に入れてカバンに入れるのだけど、なぜだか今日はそういう風にしてしまった。
落としたりなんかしちゃったりして…とチラッと思ったのに、図書館に返却する本が雨に濡れないか考えるうちに気がそれてしまった。
再度家を出ると、雨は止んでいた。ラッキーだ。
右手には傘、左手には返却用の本とエコバッグと財布を入れた手提げ。ジーンズのポケットには現金。
図書館はうちから住宅地を歩いて10分足らず。
無事に返却と貸出をすませ、さて今度は買い出し…と思って尻のポケットを探ったら、なにも入っていない。
もう、本当の本当に死ぬほどびっくりして、道端で硬直してしまった。この涼しいのに、冷や汗ダラダラである。
本日二度目の大慌てで来た道を引き返したら、水溜まりに千円札が3枚重なったまま落ちていた。
見つけた時は、安堵のあまり膝から崩れ落ちそうになった。
察するに、お札がポケットにきちんと収まりきっておらず歩いているうちにずり上がって、そのまま落っこちてしまったのだろう。落ちてチャリンと音が鳴るものでもないし、感触も分かりづらいので、まったく気づかなかったのだ。
もう二度とポケットにそのままお札を突っ込むなんて真似をするまい…と誓ったことはいうまでもない。
というわけで、本日は朝からなんだかわけもわからずドタバタだった。
で、思い出したのだけど、何年か前にも同じようなことがあったのだ。
新幹線で地方に遊びに出かけ、お土産を買って帰京した時のことだ。
東京駅から乗った電車は夕方の退勤ラッシュで混み始めていた。土産物の入った大きな紙袋が邪魔になるので、座席上の網棚に載せた。
わたしは普段あまり網棚を使わない。身長が低いので使いづらいし、網棚に載せるほど荷物を持たないということもある。
普段網棚なんて使わないから新鮮だ。気にしておかないと忘れそう。
そう考えた後、スマホを触ったり窓の外を見たりしながら20分ほどかけて降りるべき駅まで来た。
そしてそのまま、見事に土産物の入った紙袋を忘れていったのである。
しかも忘れたことに気づいたのは翌日の朝で、慌ててJRの忘れ物センターに電話をかけて確認をし、東京駅まで取りに行ったのだった。
ちなみに電車は中央線で、忘れ物が高尾駅で回収されていた場合は高尾駅まで取りに行かねばならないところだった。回収されたのが東京駅だったのは不幸中の幸いだったといえる。
それにしても、イヤな予感って当たるなあ…と思わないではいられない。
イヤな予感というか、単に予想というか。
「見えないし、忘れそうだなあ」
「落としたりなんかしちゃったりして」
「気にしておかないと忘れそう」
みたいなやつ。
これまで、遅刻・忘れ物・確認ミスなど、致命的なものもそうでないものも含めて、とにかく失敗の多い人生だった。だからここ数年は、そういうミスやアクシデントが発生しないよう、とても気をつけて暮らしている。
そのおかげか、出歩く範囲が狭いというのもあるが、なんとか平穏無事に暮らせている。
そして書いていて気がついたのだけれど、わたしはそもそも「~~という悪い結果になりそう」というような考え方や言い方をめったにしないのだ。
そういうわけで「これをこうするとよくないかも」といった予感を抱く機会自体がすごく少なく、稀にそう感じると当たってしまう(ような気がする)。
今日の忘れ物と落とし物にしても、お土産を忘れた件にしても、はじめから分かっていたのだ、「これをこうするとよくないかも」と。
でも別のやるべきことがあって、急いでいて、疲れていて、というような理由で、イヤな予感を受け流した挙句、予感が的中してしまっている。
日常的なリスク管理をなんらかの理由でわやわやっとないがしろにした時、いつもと違うことに違和感を抱いた無意識が警告を発するのだろう。
「いいのか?本当にそれでいいのか?」
「もうちょっと、あれしたほうがいいんじゃないか?」
「普段通りじゃなくていいのか?指差し確認しなくていいのか?」
「本当~~~~~に、いいんだな?」
という無意識の警告が、イヤな予感というものなんだろうな。多分。
そう感じた秋のことである。
それにしても、忘れ物を取りに行った日に落とし物をするなんて、自分のことながらうっかりすぎて驚愕する。
イヤな予感のいうことには、面倒でもちゃんと耳を貸そう…
それはそうと、慌ててパニックになるほどでもないちょっとした忘れ物は、普通に時々やらかしている。慌てるほどではないから、気にしない。
今日はこんなところ。
では、また。
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