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中国のキリスト教の歴史

 中国には古く唐の時代には、ネストリウス派が「景教」という名で伝来していた。以降も、元・明・清の時代にも様々な教派が中国で布教を続けた。

一、唐朝

 中国に最初に伝来したキリスト教は、異端とされたネストリウス派キリスト教で、唐の太宗の時代に中国に伝わった。それから約150年間、景教は王朝の保護を受けて、主に上流社会で発展したが、その後武宗の弾圧を受け、衰退した。景教の教義や中国への伝来などが「大秦景教流行中国碑」に刻まれる。現在この碑は西安碑林博物館に保管されている。

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大秦景教流行中国碑

二、元朝

 キリスト教は元朝に再び中国に伝わり、大変盛んになった。統治者の支持のもとに、宣教師が元の大都で宣教活動を行い、多くの信徒を獲得し、全国的に流行した宗教となった。しかし、当時の信徒はほとんどモンゴル人と色目人で、キリスト教は中国の社会に根を下ろすことができず、モンゴル帝国の滅びとともに失敗した。

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三、明朝-清朝初期

 キリスト教が中国に三回目に伝来したのは明から清の初期である。16世紀に入ると、大航海時代の流れにのって、ヨーロッパの宣教師たちが東アジアへ到来した。宣教師マテオ・リッチは宮廷を中心に活躍し、キリスト教を宣教しながら、西洋の科学知識を中国に伝え、東西文化の架け橋となった。しかし、1773年に中国のイエズス会は解散に追い込まれ、キリスト教の苦労も水の泡になった。

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マテオ・リッチ
利玛窦

四、プロテスタンティズムの伝播

 19世紀初めに、植民地主義イギリス東インド会社の後ろ盾をうけたプロテスタントの宣教師ロバート・モリソンが中国での宣教を開始した。モリソンは中国語辞典をつくり、漢訳聖書を発行した。清朝末期に勃発した太平天国の乱はキリスト教とモリソンの漢訳聖書の影響を受け、政治・経済の平等を主張したと言われている。その後、連年の戦争の影響で、キリスト教の布教活動は衰退の一途をたどっていた。

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ロバート・モリソン

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モリソン教会

参考資料:
https://www.sohu.com/a/333160801_209689
https://www.ixueshu.com/document/a0d7bb67273064f3dd6ef528f084328b318947a18e7f9386.html
https://baike.baidu.com/item/利玛窦/1512904?fr=aladdin
https://baike.baidu.com/reference/14099542/ee5d9HcdLWuBR4rav-SDyrb0yTdRecM6abEFJispN8Xdvuz8aBVIRGggyhSvSpmky9EcnmP4LzkSSQS7YZPzphR6RzyAqKNXZfow
https://new.qq.com/omn/20210711/20210711A03A2R00.html

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